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「――邪魔が入ったか」
和輝の傍らで、同じように摩耶の姿を見送った“疫病神”は苛立ちを隠さず舌打ちをすると、白い腕を振り上げ、炎に手をかざした。
「もっと、もっともっと……足りないね、もっと焼き尽くせ! 一人でも多く、この場にいる全ての人間に絶望を……」
涼しげな声色の中に確かに蠢く狂気のようなもの――
――良く知る声だからこそ耳に入れたくない、受け止めたくない一心で早まる鼓動に身をゆだねる。
その時、建物全体を打ち鳴らすような轟音が耳をつんざき、立っていられなくなるほどの揺れが和輝達を襲った。
「あはっ……いいねえ、今ので何人か死んだかな?」
人間が発した音かどうかすら判断しかねるような、壊れた楽器のような音に耳を傾けると、“疫病神”は付き合いの長い和輝でさえも見た事の無い恍惚の表情に細身な体を打ち震わせ、濁った赤い眼に鮮烈な炎を焼き付ける。
「……ああ、そうだね。どうせならもっと近くで。特等席で断末魔を……」
“疫病神”は見えない“誰か”の言葉に耳を傾けているかのように頷くと、一歩……また一歩と、まるで歩く行為にすらも愉悦を感じているかのような足取りでゆっくりと歩いて行く。
すぐさま追いかけようと立ちあがった和輝であったが――突如、何かを思い出したかのように振り向いた“疫病神”の鮮烈な色に染まりきった紅の瞳に声を奪われたかのように、足を竦め立ちつくした。
「そこのガキは……まあ良いか。反応薄いし」
冷酷なまでに抑揚のないその言葉が自分に向けられたものなのか……はたまた背後の試着室の中から聞こえている少女の泣き声に向けられたものなのか。
問いただそうにも言葉が喉に詰まってしまい何も出てこないまま、和輝の視線の先に立っていた“疫病神”は美しく整った顔に冷たく冷え切った笑顔を貼り付け、そのまま炎が揺らめく通路へと消えて行ったのだった。
――施設内の照明は既にマヒしていたようであったが、奇しくも燃え広がった炎だけが辺りを赤く照らし上げている。
吹き付ける熱風は死神の吐息のようで、抗う人々はお互いを押しのけ合いながら出口を求め駆け抜けていた。
「……まだ、そこにいますか?」
暫しの間、その地獄絵図さながらの光景に目を奪われていた和輝であったが――背後から聞こえた、消えそうなほど微かな呼びかけに気付くと我に返ったように試着室に駆け寄った。
「いる、けど……」
いつの間にやら閉じられていた試着室のカーテンは、少女が閉ざした“心”そのもののような気がして……触れる事も憚られ、和輝は布越しに声を届ける。
「……良かった」
電気も遮断され、本来の役割を失ったエスカレータにはもう逃げ惑う人々の姿も無い。
一階から溢れかえってくる阿鼻叫喚の叫びさえもどこか遠くのものに感じられ、和輝は不思議と落ち着いた心持ちでカーテンの前に立っていた。
「ねえ、もしかして……君の名前って。あ、いや違ったら、謝る、けど……“君”は、最初から……」
頭に浮かんでいた“答え”を確かめようと、和輝が恐る恐る手を伸ばす。
だが、その気配に気づいたのだろう。少女は狭い箱を囲むカーテンを内側から握りしめると、しっかりと閉ざしてしまったようだ。
「……もし、そうだとしても。風見は風見、だと思うんだ」
――先程までよりもすぐ近く、和輝の背中越しに床が崩れそうなほどの地響きと耳が壊れそうな程の音が轟く。混じって聞こえた幼い少女の声はどこか馴染みのある音に聞こえたが……和輝はもう後ろを振り返らなかった。
「今まで、気付けなくってごめん」
和輝は白いカーテンに手を伸ばす。布地に覆われていても一目瞭然なほどに強く握られた小さな手の上から触れると、驚いた様子で少女の手はカーテンから離れた。
「……一緒に帰ろう。今度は、ちゃんと“君”の話、聞くから」
だが、“拒まれた”とは思えなかった和輝はそのままカーテンの端を掴みゆっくりとスライドさせていく。
その判断は間違っていなかったようで……蹲っていた少女は顔をあげ、腫れてしまった目でまっすぐ和輝を射抜いた。
「本当……? 私、意外とおしゃべりなんですよ?」
「大丈夫だよ、話聞くのは好きだから。それに、喋りすぎる身内とか友達で慣れてる」
「……うん」
馴染みのある姿――三つ編みのおさげに前髪を頭のてっぺんで一つに結んだ“梗耶”の姿がそこにあった。
「大丈夫、君の“心”は……風見の事は、守るから」




