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――摩耶の話に耳を傾けていた佐助は言葉も無く、ただ息を飲む。
社務所の向こう、両親と共に暮らす家屋の方からはテレビの音が漏れ聞こえ始めていた。
「……もう、分かっているであろうが……佐助。私は体を持たない――いうなれば“魂”だけの存在だ……長く愛された“道具”に魂が宿る、“付喪神”のようなものと解釈してくれて良い」
光が闇を作りだすように、闇の切れ間に差し込む光のように――その日、ついに自我を覚えるほどの力を持った私もまたあの“地獄”に生まれ落ちたんだ。
本来、そのような立場では無い事は分かってたつもりだった。
“道具”が人の生き死を左右してはならない……それでも小さな命を守りたかった。
「絶望にその身を委ねさせたくなかった」
――壊れた自動ドアの辺りには我先に逃げようとする、本能のまま死に抗う者どもで溢れかえっていた。
小柄な女を突き飛ばし経路を確保する大柄な男、男の髪を掴み引きさがらせる年老いた女、年老いた男を押し倒す子供――
道具の力で、“全員死ねばいい”と言う願いの力で避難経路も何もかもマヒしていたのだからそれも至極まっとうな流れであった。
「ああくそ! 邪魔よ! あたしは死にたくないの! 若いあたしに道を譲りなさいよ!」
佐助を見離した後、母は最短の逃げ道、自動ドア前に溢れかえる人々で溢れかえる惨状を目の当たりにした為か別の出口を模索し駆け出していた。
幸か不幸か、防火シャッターの類も不完全に閉まりかけたままで各フロアへの移動は自由。
これだけ大きな施設なのだから出入り口などいくらでもある。
……彼女はこの商業施設に馴染みがあったのだろう、迷うそぶりもなく別の出口へと向かっていった。
本来、人が用いるはずの“道具”がその人間の生死を左右することなどあってはならない。
あるはずがない……荒唐無稽、不可逆的な事だ。それは分かっていたはずだった。
「――お主がこの子の……佐助の母か」
「はあ!? ……誰よあんた。って言うかそこどいてよ」
「私には理解が出来ぬ。どうして腹を痛め生んだ子にかような仕打ちが出来る?」
「……ああ、さっきの見てたのね。あんたみたいな子供にはまだ分かんないわよ。大人にはね? 外聞ってものがあるの。“産まざるを得ない”“良妻を演じざるを得ない”“母でいなければならない”……でも、母である前に、妻である前に“心”があるのよ! 旦那に愛想尽かして何が悪いの!? 女であろうとして何が悪いのよ!」
――だが、どうしても許せなかった。
「女でありたい、大いに結構。妻をやめたい、勝手にするがよい。……だが、自分だけの都合でこの世に生まれ落ちた生命まで巻き添えにすることはあってはならない。ましてや、自分の都合で、“外聞”で生み出した子供の命を!!」
「うるっさい! 子供には分かんないって言ってるでしょ、あたしの気持ちなんて! 良いからそこどきなさい!」
「お主の身勝手な心情など理解したくも無い! ……この先には出口は無いぞ、生きたければ来た道を引き返すがよい。……この子は私が連れていく」
――その後の現場での出来事は知らない。
私がやったことと言えば、佐助を連れてこの神社まで帰ってきたくらいの事だ。
「――この子の父親だな」
「……佐助!?」
「案ずるな、命に別条はない……ああ、ただ足を怪我しておるようだから治療はしてやって欲しい」
佐助の父の驚きようと言ったら想像に絶するであろうな。
なんせ、自分の妻は戻ってこず、自力での避難が絶望的な年齢であった実子だけが帰ってきたのだから。
だが、その驚きと子への愛情は必ずしも結び付くものとも限らない。
妻の事は愛していた事は明白であっても、その子供まで愛せるとは必ずしも言い切れないのが世の常。
……あの妻をほぼ野放しにしていたような男なのだから、“わが子が帰ってきてしまった”と言う驚きであった場合は、このまま子供を返さず連れて行こうかとも考えたが――
「君が助けてくれたの……?」
「そうだ」
「この子、一人だった?」
「……まあ」
「そうか、じゃあ、やっぱり……この子だけ、ってことは、春美は……でも、この子だけでも……佐助、ごめんな、怖い思いさせたな……」
佐助を託した時の――安堵に包まれた彼の嬉しそうな眼差しを見て確信した。
彼は優しすぎたのだ。そう、愛した女を守るため、女の嘘をも飲みこんでしまうほどに。
「……あ、待って! 君、助けてくれてありがとう……名前聞いても良いかい?」
「別に名乗る名前は持っていない」
「う、でも……あ、じゃあ御礼くらいさせてほしいな、君も怖かっただろうに……この子を助けてくれた恩人なんだから」
私はこの男の歩んできた人生など知らないし、聞く事も無い。
いうなれば、このわずかに交わした言葉だけでの、私の直感のようなものでしかなかったが……この男なら、きっと近い将来本当の意味でよき伴侶に恵まれ、佐助も大事に守って行けるであろうという予感がした。
「御礼か。そんなものはいらない。代わり、と言っては何だが……この小さな命を守ってやってほしい。この子が、自分の足で立てるようになるまで。本当の愛をはぐくめる“大人”になるまで……」




