5-3
「まずい……このままじゃ」
――ここが夢であることは間違いない。だが、体が重くなる感覚と声なき声に揺さぶられ鈍い痛みを訴える脳天、回る視界――それらの、和輝にとって確かに覚えのある嫌な感覚は小さくなった全身を苛み現実のもののようにはっきりと存在していた。
「和輝さん、顔色が悪いみたいですけど……?」
薄れる意識をかろうじて繋ぎとめたのは、自身の背後――試着室の中に残っていた少女の声。
動かせるだけの力を絞り後ろを振り向くと、試着室の白いカーテンに身を隠すようにして覗きこむ、眼鏡を掛けた少女の姿がそこにあった。
「か、ざみ……返して、刀を……!」
声を絞り出そうとするだけでこみ上げる嘔吐感を堪え、和輝は自由が利かなくなっていた右手を伸ばす。
それに気付いた少女は思い出したように試着室の中を探り始め――傍らの小物入れの籠の中から柄だけの刀を取り出したのだ。
「……だめ、私はここから出たくない……」
「は……?」
“ま”は人間の手のような形を成し一本、また一本と和輝の足を絡め取っていく。
かろうじて持ち上げられていた右手さえもその自由を奪われていた時、柄だけの刀を抱きしめた少女は試着室の中で崩れ落ち、蹲ってしまった。
「どうして出たくないの……?」
「ここから出たら、私は――」
少女の震える声に耳を傾けていた和輝は、ふと、視界が薄暗く揺らいだ事に気がついた。
“ま”の支配は上半身まで達していてその人物を見上げる事は叶わない、だが揺らめく人影の背丈から察するに大人が背後に立っているようであった。
「――子供? ……はあ、またか。泣き喚いたところで俺は助けないよ。子供嫌いなんだよね」
如何にも興味のなさげで、冷たく吐き捨てられた声色に確かな馴染みを覚え、和輝は息を飲んだ。
「邪魔しないでくれるかなあ。もう一人の“俺”が興ざめしてしまう。折角良い感じにテンションあがって来てるんだからさ……!」
背後の足音は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
フロアに這いつくばったままでいる和輝の横をすり抜けると、少年は試着室の骨組みを強く蹴りつけたのだった。
目の前の非道な光景を直視できず思わず目をつぶった和輝が恐る恐る視線を手向けると、どうやら少女は無事らしい。
立ちつくす黒髪の少年、その向こう側には相変わらず蹲ったままの幼い少女がしゃくり泣いているのが見えた。
「どう、して……?」
一瞬過ってしまった嫌な予感を振り払いたい一心で和輝は少年の背中に手を伸ばす。
それに気付いたのか、はたまた違う目的か――振り向き和輝を見下ろした少年の赤い瞳と、美しく整った顔立ちは“予感”を的中させるには十分すぎる材料であった。
「どうして……? どうして貴方がここに――」
初めて出会った時の“その人”より、幾分か若い印象を与える少年の手首には見覚えのある“腕輪”が光る。
幼い頃から誰よりも信頼していたその人を、一番近くにいてくれた“兄のような存在”を見間違う筈がなかった。
「ああ、もう目障りだ。何もかも消えてしまえばいい」
――少年は腕輪を掲げるように片手を天高く振り上げると、それに応えるかのようなけたたましい電子音が館内を包み込む。
施設に備え付けの非常時用警報システムのようで先程までとは打って変わり人々は不安げに辺りを見渡し始めていた。
「綺麗なものも醜いものも、俺が愛したものも憎いものも、全部、全部!!」
そう遠くない施設内の奥の方からは悲鳴や爆発音のような音が混ざりあい、動揺は押し寄せる波のように次々と拡大していく。
浅い呼吸で繋ぎとめるしかない途切れそうな意識が訴え続けている事、それは――“まを祓える道具が手元にない以上、無力な自分は幼い日と同じ過ちを繰り返すだけ”と言う事だけであった。
「あはは、あ……ははははは……!! そうだよ、簡単な事だ……! “全部壊してしまえば良い”んだ。手に入らないなら、誰かの手垢に汚されてしまうくらいなら……邪魔するクソガキもまとめて……!」
動揺する人々の心に寄り添うかのように“ま”の気配は一層深まり、それは和輝だけでなく周囲で戸惑いを隠せずに辺りを見渡している見知らぬ子供達をも取り込もうと手を伸ばしていく。
既に両足の動きを封じられていた和輝には、成す術もなく――ただ泣き叫ぶ子供たちを見ているしか出来なかった。
「貴方が、“疫病神”だったんだ――」




