5-2
「――ここには、君しか居ないの? ……風見さん」
和輝が差し出された少女の手を取ろうとした時、ふと少女の後方に見覚えのある三つ編みが見えた。
自分が良く知る方の――“梗耶”をそのまま小さくしたような髪型の少女の姿。見間違える筈も無く、和輝は驚きの声をあげた。
“梗耶”は和輝の声に気付いた様子で視線を重ねると、悪戯な子供のような笑みを浮かべたまま、背中に隠していたらしい棒のような何かを構えてみせる。
“チャンバラごっこ”にでも興ずるやんちゃな子供のような振舞いで少女が突きつけてきたその“得物”は、和輝にとって大切なもの――
そう、自身が常に持ち歩いている“道具”そのものであった。
「ちょ、風見! ……ああ、違う、君じゃなくて……こっちも風見だ……えっと風見姉? それ返して!」
声を上げ“梗耶”に駆け寄る……が、少女は渡さないと言わんばかりに得物を天高く掲げると、後ろに下がり舌を出す。
「……は? え、ちょっと待って!?」
馬鹿にするようにその身をひるがえすと、“梗耶”はアーケードを駆け抜け逃げてしまった。
見失ってしまっては、二度と帰ってこない――
そんな予感がした和輝は慌てて少女を追い走りだしたのだった。
梗耶の後を追い、静かな商店街を抜け……船も見当たらない港沿いを駆け抜けると、やがて梗耶は大きな商業施設の前で足を止めた。
それまでの道中も人や車とすれ違うこともなかった。
だが、なぜかここだけは今まで誰もいなかった世界が嘘だったかのように人々で賑わい……今の自分と同じくらいの年の子供たちの姿も見える。
梗耶は息一つ乱さないままに正面に見えるエスカレーターを駆けあがっていく。
和輝の呼びかけには耳を貸す様子もなく、まるで姿など見えていないかのようだ。
エスカレーターに乗る大人たち足元をすり抜けながら段を駆けあがっていく梗耶の姿を眺め、和輝は誰にでもなく呟いた。
「風見姉、やんちゃすぎない……!?」
だが、呆れてる暇も与えられていない。
姿が完全に見えなくなってしまわないよう、和輝もまた急いでエスカレーターを駆け上がると少女の背中を追ったのだった。
――梗耶が姿を眩ました先は衣料品のコーナーのようで、子供の背丈である和輝と同じくらいの棚には色とりどりのシャツが並ぶ。
ふと、その一画。レジの横に据えられている試着室の閉ざされたカーテンの向こうから聞き慣れた声が聞こえた気がして、和輝は静かに足を止めた。
「お姉ちゃん、本当にやるの? もし、お母さんに気づいてもらえなかったら……」
「大丈夫だよ! “ゆーき”だって分かるんだから、私たちのお母さんならすぐに気付くよ!」
閉ざされた白いカーテンは、気の強そうな少女の声と共にゆらゆらと揺れる。
一つの仕切りの中に二人の少女が籠っているのだろうか、声を潜めカーテンを揺らす少女達の様子を伺い、和輝も息を潜めていた。
「もー! きいちゃんそんな顔してたらバレちゃうじゃん、私はメソメソ泣いたりしないんだよ!」
「分かってる、けど――」
――その時だった。和輝の思考をかき消すように、鈴の音が鳴り響く。
その音はまるで建物全体を包み込むようにはっきりと、そして脳を揺さぶるほど繊細に空間を支配していった。
すぐ耳元で響くような音色に確かな既視感があった和輝は辺りを見渡す。
――だが、周囲に見える人々は鈴の音にも、和輝の存在にも気付かない様子で何事もなく各々の会話を弾ませていた。
「お姉ちゃん、今なにか……鈴みたいな音聞こえなかった?」
和輝と同様、試着室の中の少女の片割れも音に気づいたようで怪訝な声を紡ぐ。
だが、もう一人の少女は勝気そうな強い調子であっけらかんと問いかけを打ち消していた。
「はいはい、そんなてきとー言って時間稼ごうったって無駄だよ! ほら早くお母さんに見せにいこ!」
いよいよ辛抱が出来なくなったと言わんばかりにカーテンを勢いよく開けると、飛び出してきた少女と正面で聞き耳を立てていた和輝は鉢合わせの形となる。
目の前に姿を現した少女は、髪を下ろしスカートを身に纏った――あまり馴染みのない格好の桔子の姿をしていた。
桔子は強気な眼差しで和輝を一瞥すると、すぐに踵を返しどこかへ走りだす。
「あ、ちょっと待っ……」
――だが、追いかけようと和輝が踏み出した足は何かに掴まれた感覚と共に自由を奪われてしまったのだった。
そのまま冷たいタイルに小さな体を投げ出した和輝が足元に視線をやると――
いつの間にか“ま”が溢れ、手の形を成したそれらが体を蝕もうとしていたのだった。
―――
「――少年は酷くこの世界を恨んでいた。腕輪は彼の願うがままに世界を壊す、だが彼は何かを“壊したい”のではなく、手に入れたいものがあったんだ」
昇りきったばかりの太陽が朝露を飾り付けた木々を優しく照らす。
神社の裏手で静かに時を重ねている池のほとりで――摩耶は湖面を覗き込むと自身の存在しない水辺の世界に息を落とした。
「手に入れたいもの、とは?」
摩耶の一挙手一投足、その全てを汲み取ろうと佐助は直向きな視線を傾け続ける。
静かな声でそう問いかけると、摩耶は赤い瞳を伏せると首を横に振った。
「それは、私にも分からない。分かってはいけないんだ。……容易く共感を促せる程度の感情であれば、ここまでの力を、憎悪を持つ事も無かったのだから」
「……憎悪の力、ですか」
――人の“心”には、強大な力が秘められている。
それは良き心から生まれる素晴らしく幸せな力にもなりうるが、悪しき心から生まれる禍々しい力にもなりうる程のエネルギーを持っている。
そう、全ては表裏一体だ。
「――少年は苦しんだ。本来は悪しき感情ではない、純然な思いを抱いた少年だったはずだが……渇望する彼の“心”に、腕輪に封印されていた“地獄”が共感してしまったのだろう。心に寄り添ってしまった“地獄”の魂は少年の心に蠢く負の感情を呼び起こし――」
――僅かな火種が少しずつ成長し、やがて何もかもを飲みこみ焼き尽くしてしまう地獄の業火となり果てるように、彼の心もまた全てを食らい尽くす……鬼となってしまったのだ。
「そうして、少年の心を取り込んだ“魂”は……古に封印された“地獄”の心は、いよいよ自我を持ってしまったんだ」
腕輪に封印されていた“魂”は、宿主であった少年だけではとどまらず……その周囲にまで“負の感情”を呼び起こすだけの強大な力を手にしていた。
「それは、次々と燃え移る炎のように……」
負の連鎖、その中核となりつつあった少年が願った事は“破壊”だ。
彼の心に呼応するように、ある者は火元となった電気制御室の管理を放棄し、またある者は避難経路を阻害した。
またある者はスプリンクラーを始めとした救出及び消火の手段を故意に破壊し……個々の“無意識の悪意”という力を、“最悪の結末”に向かい集わせ――そうして“未曾有の大火災”が起きてしまったのだ。




