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――十一年前、春のうららかな青空が見下ろす大きなショッピングセンターに家族で買い物に来ていた。
お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんと“私”。
お母さんは気が強くって、いつもお父さんがあとから追いかけていたっけ。
すぐに言い争いを始めちゃうから、お姉ちゃんが仲裁に入って――
「これは喧嘩じゃないから大丈夫だよ」
そういってお父さんが私たちの頭を撫でてくれる、それが私の“日常”だった。
――今はもう、何も残っていない。
何故ならあの日……十一年前の四月七日に起こった“未曾有の火災事故”は私の家族を――“日常”を全て燃やしつくしてしまったのだから。
“もう十一年前”だけど……ここに来るとつい昨日の出来事の様に思いだし、吐き気が襲ってくる。
人々の悲鳴が、肉を焼く匂いが、焼かれ爛れて崩れていく“人だったモノ”が――
この耳も、鼻も、目も。その鮮烈な光景を忘れようとしないままだ。
激しく脈打つ鼓動が呼吸の仕方を忘れさせてしまう。
深く息を吸い込むと、私は並べられたパイプ椅子に体を預けた。
「――梗耶ちゃん、顔色悪いわね……大丈夫?」
「伯母さま……大丈夫です。その……やっぱり、ここに来ると思いだしてしまいますね」
無理はしなくて良いのよ、と伯母さまは頭を撫でてくれる。
母の姉と言う事もあって顔はよく似ているけど――気遣う表情も、添えられた手のぬくもりも、母よりずっと遠慮がちで優しい。
「……あ。しまった……お数珠、車に置いてきちゃったみたい。梗耶ちゃん、待っててもらえますか? ちょっと車に戻るけど……」
「はい、大丈夫ですよ」
伯母を見送っていると急に形容しがたい不安に駆られた私は、気を紛らわしたくなって……何か文字でも読みたい衝動に駆られ献花台に歩み寄ってみる。
組立式のテントが作り出す日かげの中、青空に似合わない事務的な長テーブルの上には小さい子供向けのお菓子や玩具、そして色とりどりの花が所狭しと並んでいた。
「桔梗の花……ああ、造花か」
毎年、慰霊祭が執り行われている。
毎年こうやって、締め付けられる感情に苛まれながら供物を眺めているのだけれど……ここ数年、少しずつだけど献花が減っている気がしていた。
……そう言えば、マスコミの取材クルーも……昨年は十年と言う節目だったからか多少見受けられたものの、今年は来ていないようだ。
――これは、人々の記憶から忘れられ始めた事を意味しているのか、それとも被害者達が未来に向かい歩き始めた事を意味しているのか――
「……桔梗の花ですねえ。花言葉は“永遠の愛”または“誠実”……恋人を亡くされた方が献花して行ったのかもしれませんねえ」
ふと、すぐ隣から聞こえた少年の声に顔を上げる。
顔の右半分を覆い隠す長い前髪のせいで表情は伺い知れない、だけど……私は、この少年に見覚えがあった。
「吾妻さん、でしたね」
「あはは、俺の方が年下なんですから敬語じゃなくって良いですよ。それに、“美咲”と……下の名前で気軽に呼んでもらって良いんですよ~? いやあ今日は“あの日”と同じで良い天気ですね~」
――吾妻 美咲。
彼の素性は正直よく知らない。ただ一つ分かっている事は――
「美咲さん。あなたがここにいると言う事はやはり」
「ええ。俺は、たった一人の肉親を……あの日、母は仕事が休みで。昼食も兼ねて買い物に来ました。……ですが、あの禍々しい炎は……」
彼はそう視線を伏せる。相変わらず表情は伺い知れないけど微かに震える声からは憎しみと悲しみが滲んでいて……。
きっと、それは嘘偽りのない事実で“私と同じ光景を見た”と言う事なのだろう。
「……私もです。母と、父と……妹をこの火事で」
「ああ、存じていますよ」
「え?」
想定していなかった言葉を返され、私は戸惑いを隠せず彼の横顔に視線を投げる。
困惑が顔に表れていたのかもしれない。美咲さんは微かに見える口元に笑みを浮かべ、風に溶けていってしまいそうな小さな声を紡ぎ始めた。
「この事故の犠牲者の……五十音順のリストの母の名前のすぐ下にあなたのご家族の名前がありましたからね。風見という苗字に変えたのは“例の一件”があったから、じゃないですか?」
まるで全てお見通しと言わんばかりに紡がれたその言葉は、訂正する箇所が見当たらないほど的確で……私には返す言葉も見つけられなかった。
「……おや。あの……走ってこられてる女性は風見さんの保護者さんではないですか?」
美咲さんの視線を辿ると、車から戻ってきた様子の伯母が私の元へ駆けてくる姿があった。
急ぐ事もないのに……私がさっき体調を崩しかけたのを気にかけてくれているのかもしれないな。
「……優しそうな方ですね? あらぬ心配を掛けたくない……法要が終わってからまた話しましょうか」
ふっと笑みをこぼすと、美咲さんがそう呟いた。
「……“疫病神”の正体、でしたね」
献花台の桔梗の花、健気な愛の花…が寂しげに揺れる。
私の名前、“姉”の名前。
「――退屈でしょ? 優菜は関係がないのだから、わざわざ付き添わなくても良かったのに」
規則正しく並べられたパイプ椅子、その一つに腰かけていた少女は名前を呼ぶ声に気付き鼻歌を中断させる。
ゆらゆらと振り子のように揺らしていた足を、躾けられた幼い子のようにお行儀よく揃えて見せると、声の主を――美咲の顔を見上げ悪意のない笑顔を手向けた。
「んー退屈! でも、“ライタ君”が楽しいみたいだから大丈夫だよ! “ここには悲しみ、絶望、渇望、不安……色々な感情が溢れてる”んだってさ! ねえねえ、それより美咲君の席、取っといてあげたよ!」
『ライタ君』と名付けられているのは優菜の隣の椅子に座らされている犬のぬいぐるみだ。
ぬいぐるみを抱きかかえ、胸に抱いた優菜が椅子の座面を叩くと、美咲は「ありがとう」と素直に受け取り、腰かけた。
「で? 美咲君のほうはどうだったの? 何か収穫あった?」
「……やはり探していた“彼”は今年も来ていないようですね。父親だけのようです」
「ふーん?」
美咲はあたりを見渡すと、声を潜めた。
穏やかな気候に似合わない、冷たい風が不吉の予感を運ぶようであった。