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ユメユメ~二年目~  作者: サトル
4.此れ前生の宿報也
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4-14


 

 ――生温かい水の中へ沈んで行くかのような不愉快な感覚の果て、体にまとわりつく気味の悪い温もりからようやく解放された美少年は深呼吸で肺に空気を満たす。


「……ここは、鏡の中? まさか、本当にそんなことが」


 水中に沈んで行くような感覚は現実のものとして明確に覚えているのに、その体には水滴の一つも残っていない。

 乾いたまま、またも乱れていた細い髪の毛を手櫛で整えなおすと、絹布を握り締めた刹那は立ち上がり周囲を見渡した。


 そこはどこにでもある住宅街の一角。近くの家で飼われているらしい大型犬の吠える声と小さな赤ん坊が泣く声とそれをあやしているらしい女性の声が、車の一台も通らない細い道を風と共に通り抜けていく。

 それは、つい先程通ってきた猿喰家に続く住宅街と酷似した風景であり、刹那にとって既視感のある世界が広がっていた。


「――刹那?」


 思考の限りを尽くし、状況の把握を急いでいた刹那の意識はまだ若い少女の声により削がれる。

 服の裾を引く、細くしなやかな指先に視線を手向けると――そこには刹那とよく似た中学生程の年頃の少女が微笑んでいたのだった。


「……姉さん?」


 自身が知るよりも遥かに幼い頃の姉の姿にただ驚き、掴まれた指先を振り払うと刹那は息を飲む。

 少女――刹那の姉は不思議そうに首を傾げるとその手を差し出し、年よりも大人びた明媚な微笑みを返した。


「“姉さん”なんて大人ぶって、どうしたの? いつもみたいに“お姉ちゃん”って呼ばないの?」

「え……?」

「ほら、おうちに帰ろう?」


 中学生頃の自分より年上の“弟”に何の違和感も見出さないまま、姉は弟の――刹那の手を握るとどこかへと誘おうとする。

 姉の視線の先を辿ると、そこには先程現実で見たばかりの朽ち果てた“幽霊屋敷”の代わりに、真新しく温かな光を灯した綺麗な邸宅が二人を出迎えていた。


「どういうこと……?」


 蓋をしたはずの記憶が鮮明に頭を駆け抜ける。

 体内から込みあげてくる不快感を繰り返す呼吸で誤魔化しながらやっとのことで呟くと、姉は然も当然の如く刹那の背中を撫で、どこか寂しげに視線を重ねた。


「だって、刹那も私も……あの家だけが帰る場所でしょ? お母さんが死んじゃっても、あの家だけが刹那の“居場所”じゃない」


 “帰ろう”と囁き、姉は背中に添えた手を優しく押す。

 優しくて残酷で悲愴感を孕んだ少女の温もりは、刹那の身体を支配し続ける嘔吐感をそっくりそのまま彼自身の良く知る嫌悪感にすり替えられ、胸を強く打ちつけた。


「違う! 違うよ、あんな家、姉さん、帰っちゃダメだ……僕達の居場所は」

「他にある?」

「それは」

「大丈夫、分かってる。刹那は私が守るし、刹那も私を……私だけを守ってくれる、でしょ?」

「……ダメだ、姉さん。お姉ちゃん……!」


 迷いのない少女の言葉、その確たる一言一言が鋭い刃のように耳を突き抜け、刹那は思わず耳を塞ぐ。

 その時――


「――逢坂さん、耳を貸さないで。一度目を瞑って!」

「え……?」


 聞き覚えのある少年の低く静かな声が背中に響き、その瞬間閃光が一筋の線を描き走り抜ける。

 文字通り、刹那と姉しかいなかった世界に割り入ったのは、本来ここへ来た目的でもあった、和輝本人であった。


「和輝君!? どうしてここに?」


 刀身に光を纏わせ、精悍な面持ちで歩み寄ってくる少年の姿は疲れた様子も傷ついた気配も無い。

 夢姫の決死の様相とは裏腹に“元気そう”という他にないほど淡々とした振舞いに刹那が呆気に取られていると、和輝はため息を落とした。


「……それはこっちの台詞です。“ミイラ取りがミイラになった”みたいな展開を体現するのは貴方のキャラじゃないと思ったんですけど」

「ミイラ……?」


 和輝からの冷ややかな視線を浴びた刹那は、ふと自身の足元に生温かい水のような感触を覚えた。

 それは水よりも粘度があり、ただただ赤い。錆びた鉄のような鼻をつく匂いを発するそれは人肌の温かさを保ったまま、背を向けていた姉の方から流れているようである。


 ――その感触は幼い日に見た“一面の赤”そのもの。

 振り返る事も出来ないままでいる刹那のすぐ耳元ではぴちゃ、ぴちゃと不愉快な音を奏でる足音と、理性を持たぬ獣のように荒い息遣いが首筋を掠め……救いを求めるように目の前の少年に視線を預けた。


「……和輝君、今僕の後ろにいるのは誰……?」

「さあ……多分逢坂さんが一番見たくない相手なんだと思うんですけど。あ、いや突き放すような意味じゃなくって」

「見たくない相手……」

「なんて言えば良いのかな……逢坂さんの“心”が一番の拒絶を示す存在……向き合わなければならない、心の奥に蠢くものがそのままそこにいるんだと思うんです。だけど、俺にはそこに踏み込む権利は無いわけなので」


 言いにくそうに和輝は頭を掻き、ため息を落とすと手招きをして見せる。

 未だ状況が飲みこめないままである刹那がその足元に絡みつく不快な液体を振り払いながらその傍らに立つと、言うよりも見せた方が早いと言わんばかりに和輝は後方を刀身で指し示した。


「逢坂さんの心が作り出す幻なんです。そこ(・・)にいるのは。鏡に映る自分の姿を左右反転で映しだす鏡のように、自分が描く心の中を、左右反転で跳ね返されてるんです。……だから、それを認識すればもう見えなくなってるはずです」


 和輝が足元を指し示すと、先程まで鉄臭い赤に染まっていた地面は、何もなかったかのようにアスファルトの灰色をぎらつかせていた。

 耳元に張り付いていた荒々しい吐息もいつしか息を潜め――刹那が意を決し振り向いてみたが、そこには姉はおろか“見たくない”と願った相手の姿すら存在しない世界が広がっていたのだった。


「――心が作り出す世界か……ありがとう和輝君。助けに来たつもりが助けられたみたいだ」


 忘れそうになっていた呼吸を取り戻し、息をつくと刹那は手を差し出した。

 ……だが、和輝は相変わらず淡々とした面持ちでその手を見つめるばかりで握手をかわそうとしないままであった。


「助ける? ……俺を?」


 和輝の片手にはいまだ刀身に光の刃を纏い、刀としての様相を保ったままの“道具”が輝く。

 一瞬脳裏をよぎった嫌な予感を信じ、刹那がその身を翻し後ろへ引きさがった瞬間――

 その刃は空を裂き、刹那の喉元を掠めていったのだった。


「……和輝君、正気かい? それとも、君もまた僕の心が生み出した“幻”だったりするのかな……!?」

「俺は正気ですし、ちゃんと存在してますよ」

「じゃあ説明して欲しいな。……どうして僕にその切っ先を向けるのかを、ね……!」

「逢坂さんって回りくどいですよね。そんな深く考えないでくださいよ」

「は……?」


 いつしか、聞こえていたはずの外部の音はなりを潜め、自身の鼓動だけが静寂を支配していた。

 平静を装いながら手に巻いたままの絹布を握り締め、まっすぐに視線を手向けると……和輝は口元だけの笑みを返していた。


「部外者同士、チャンバラごっこでもして時間つぶしましょうってだけですよ、逢坂さん」

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