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――夢姫達がようやく手がかりを掴みかけていたその頃、來葉堂はいつも以上に静かな朝を迎えていた。
それもその筈、普段であれば開店時間前から店内に居座る佐助も、時間ぎりぎりに起きてくる和輝も、それを訪ねてくる夢姫達もいない。
そして、八雲もまた珍しい事にまだ日も昇らない早朝に外出していたのだ。
きっとその全てのイレギュラーは、それぞれが状況打開の糸口を模索している真っ最中であるとクララも理解していた。
「さすがに静かですね、クララさん」
普段であれば早くからマリンと散歩に出かけたり図書館で勉学にいそしんでいるソラも、気を使ったのだろう。クララを一人きりにしないようにと開店の準備を手伝いながらあどけない声を紡いだ。
「八雲さんは……まあ、いてもいなくてもあまり変わらないけど、和輝くんがいないとこうも静かになるのね……あの子自身が騒々しいわけじゃないのに、何だか不思議なのだ」
「そう言う所はクララさんと似てるのかもしれませんね。灯火のようなもので、そこにいるだけで誰かの心を照らすそんざいなのかもしれません」
「あら! 褒めても投げキッスしか出ないぞ!」
「ふふふ、それはえんりょしておきます」
和やかなキャッチボールを重ねつつソラが投げキッスをかわしていると、ふと鍵を開けたばかりの扉が来客を招き入れた。
朝から珍しく外出した八雲が帰ってきたのだろうと、何気なく視線を手向けると――そこには想定外の来客の姿があった。
「――あら、いらっしゃ……え?」
何気なく視線を手向けたクララの思考が停止したのを余所に来客は店内に足を踏み入れる。
「きょ、梗耶、さん……?」
――そう、そこにいたのは……“梗耶”の姿をした少女だった。
今朝がたの夢姫との邂逅など知る由も無い二人には、当然“彼女は本当に自分たちの知る少女であるか”と言う疑念が脳裏を掠めていく。
だが、そんな事を気に掛けるでもなく、少女は静かに扉を閉めると眼鏡を指先で押し上げた。
「……貴方が噂の妹さん? 本当にそっくりなのね」
ソラをカウンター裏に呼び寄せると、いつもより低い声のクララが少女に笑いかける。
大きな体のわりに繊細な心の持ち主であると言う事を熟知していたソラは、その背に隠れながらもクララの震える手を握り締めていた。
「へえ……? 良く分かりましたね、流石和輝さんのお兄さん」
少女が光の無い冷めきった目を細め無邪気に笑う。
――夢姫達はもちろん、八雲がいない今、ソラを守る事が出来るのは自分しかいないと覚悟を胸に抱いていたクララは袖をまくりあげていた。
「ええ? 私は貴方とやり合うつもりないですよ、力で勝てないのは重々承知ですし」
「……あら、そうなの? じゃあお話しに来た感じかしら」
両手をあげ、降参するかのようなポーズをとって見せる桔子をまっすぐに見つめ返しながらも、優しく綺麗な言葉と裏腹にクララは警戒を解くことはしなかった。
桔子もまた、隙を見せないクララに対し“分かっている”と言わんばかりに息をつくと、静かに手を降ろし扉に手をかけた。
「――ここまでは勿論想定済み。クララさんがお店を離れる筈が無いし、ソラ君もそんなクララさんを気遣うでしょうからね」
「何……?」
桔子は自然な振舞いで扉を開けると、道路へと続く手摺に結んでいたらしい紐のようなものを手繰り寄せる。
その後ろ姿は無防備そのものであったが、それは同時に“攻撃してくるはずがない”と言う自信の表れでもあった。
「よいしょ……っと、重い……」
中々の重量物を引き上げるかのように息をもらしながら、少女は紐を手繰り寄せ、ふわふわで灰色がかった“ぬいぐるみ”のようなものを抱きかかえ、クララ達の方へと向き直る。
――遠目に“ぬいぐるみ”のようなものとして見えていたそれが自分たちの良く知る“來葉堂の一員”の姿であると悟ると、ソラはクララの手を離しカウンターの外まで飛び出したのだった。
「マリン! ……マリンに何をしたんですか!?」
桔子にとって欲しいリアクションであったのだろうか、少女は嬉しそうに口角を釣り上げると腕の中でぐったりと蹲る猫の背を撫でる。
「殺してませんよ? 餌に睡眠薬を混ぜただけです……食い意地の張った猫だと思ってましたが、まさか薬剤まで疑いもせず飲みこむとは」
マリンはぐったりと尻尾を垂らしたままであったが、少女が背中を撫でると生理反応のように毛を逆立てた。
小さな命がまだ息づいている事に安堵をしつつも、ソラとクララは少女へ鋭い視線を手向ける。
マリンはその体を借りているソラにとっても、餌を与えたりして可愛がっているクララにとっても家族同然の存在なのだ。
「あはっクララさんも怒るとお母様に似るんですね。それに、ソラ君も子供とは思えない迫力あって、ゾクゾクしちゃう……! ああ怖い、取ってて良かった人質……じゃなくって、猫質」
「その子、どうするつもり? ……返答次第じゃ、デコピンくらいじゃ済まないわよ」
クララが着物の袖をたすき掛けに仕上げると逞しい腕で古武術のような構えをして少女を睨む。
隙のなさと力量と可愛さ(?)を目の当たりにし……桔子は笑みを堪えたような表情を浮かべ、マリンを抱えなおした。
「――猫に人間用の睡眠薬を飲ませるって、結構危険なんですって。このまま私の手元にこの子置いていくと、衰弱してって死んでしまうかも。……そんなの嫌ですよね? だから、“交換”しませんか?」
「交換……分かったわ」
少女の言わんとしている事を理解した様子で、クララは構えていた手を降ろすと桔子に歩み寄る……が。
「いやこんなでかい人質はいりませんけど」
淡々とした調子で眼鏡をかけ直すと、少女は目の前の白い巨塔から目を逸らし、その傍らの小さな少年に視線を傾けたのだった。
「ソラ君!?」
「当たり前じゃないですか。そんな縄で縛りつけても引きちぎって逃げそうな人質誰も得しませんし。……ソラ君は物分かりが良い子ですから、分かりますよね?」
ソラは少し考え、息を吐くと少女の目をまっすぐに見つめ歩み寄る。その姿に迷いも怯えも動揺も無い、年よりも遥かに落ちついた振舞いの少年がそこに立っていた。
「……分かりました。ですが、一つじょうけんを付けさせて下さい。先にマリンを動物病院に。もちろん、逃げるつもりはありませんので、風見さんもご一緒してかまいませんし、“かいねこがあやまって人間用の薬をごいんした”とでも言って、ごめいわくかからないようにしますから」
“マリンを病院に預けたら、その後はただ従います”とソラが微笑むと、桔子は言葉も返さないままその小さな手を掴みあげる。
それでもソラは臆する事は無く、“しょうだくいただいたと取ってよろしいですね”と目を細めた。
「ソラ君!」
不測の事態におろおろと子供たちの顔を見比べるクララにソラは微笑みかけると、丁寧に頭を下げたのだった。
「大丈夫です。クララさんは――」
「ちょっと勝手に話さないでもらえます? ……クララさん、分かってますよね? 下手な動きしたらこの子に一生消えない傷を残しますからね?」
「ソラ君……!」
桔子は掴みあげたままの腕を引くと、塞がった両手の代わりに片足で扉を蹴り開ける。
クララは動く事も出来ないまま、少女達が歩道の向こうに見えなくなるまで見つめ続けた。
「誰かに知らせないと……!」




