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「――着信?」
ここは恋人達が愛を確かめ合う空間――あるファッションホテルの一室。ラミネート加工された冊子には色とりどりのコスチューム、ジョークグッズが並んでいる。ふと、マナーモードに設定していたスマートフォンに光が宿る。メニュー表を閉じると美少年はため息をつき、通話ボタンを押した。
「……あー、えっと、どうしたの? こんな時間に」
電話口から響く甲高い少女の声に言いかけた名前を飲みこむと、美少年――刹那は辺りを見渡し声を潜める。豪華な装飾が施されたキングサイズのベッド、膨らんだ掛け布団の中からまどろむ女の艶やかな声が響く。起こしてしまわないように、美少年……逢坂 刹那は静かにガラス戸を開け、ベランダへと向かう。
「……和輝君が? ……うん……明日?」
ガラス越しに室内を振り返る。女は身をよじり寝がえりを打つと甘える子供のように枕を抱きしめていた。端末越しに聞こえる説明下手な少女の声に耳を傾けつつ、刹那は少し先の予定を思い浮かべ、辿るように持て余した左の指先でベランダの手すりをなぞる。
綺麗な寝室内とは違い、ベランダまでは清掃が行きとどいていないようだ。……指先に残る土埃の感触を息で宙に返すと、刹那は息を吐いた。
高性能なマイクがため息までも受話器の向こう側へ伝えてしまったのだろうか。少女の不安げな声が耳元で騒いでいる。我に返った刹那は、既に決まっていた答えを柔らかな声に乗せたのだった。
「基本的に強行突破する夢姫ちゃんから頼られるなんて、意外な事もあるね。……僕はまだ夢の中にいるのかな。……例え夢の中であっても僕は君の悲しむ顔は見たくないから、一緒に行くよ」
受話器の向こうから耳が壊れそうなほどの甲高い声が響いている。夢姫の声が届くことなど決してあり得ないのだが――まるで“騒々しさに寝ていられなくなった”と言わんばかりのタイミングでベッド上のシーツが擦れ動く。寝乱れた女は長い髪をかき分け、露わになったままの美しい体を薄いシーツで包み起き上がっていた。
「じゃ、じゃあ夢姫ちゃん、話の続きはまた明日。……うん、こっちから連絡するよ」
目を覚ました女はうつろな表情のまま辺りを見渡している。傍らにいたはずの刹那を探し始めたようだ。気付いた刹那は取り急ぎ会話を締めると、何食わぬ顔でガラス戸を開け――女が座り込むベッドに歩み寄った。
「――ごめんね、沙羅……起こした? ……ちょっと職場の人からの電話でね。急遽明日出勤できないかって」
「……そう」
寝乱れたままでありながらもまるで西洋の絵画のような妖艶な美しさを纏う女――沙羅の頬に細く長い指を添わせると、刹那はその耳に唇を寄せる。
不機嫌そうに目を細める沙羅の髪を撫でると、刹那は子供を寝かしつけるかのように雪のような背中に優しく手のひらを添えた。
「沙羅、明日も仕事でしょ? ……僕ももうちょっとしたら寝るから先に寝ててよ」
だが、抵抗するように首を横に振ると、沙羅は絡みつくように刹那の腰に腕を回し顔を埋めた。
「嫌……一緒じゃないと眠れないわ。どこに行くの、離れないでよ……」
やましい事がある訳ではない。だが“仕事”と嘘をついた後ろめたさが刹那の心に燻っていた。沙羅に向き合うと、刹那は子供でもあやすような優しい手つきでゆっくりとその頭を撫でる。
優しさに身を委ねるように、沙羅はただ黙って刹那の胸に顔を埋めていた。
「――最近の沙羅は前より甘えん坊になってるよね。あの社長、ろくな噂を聞かないし……仕事、やっぱりきついんじゃない?」
「別に、これくらい覚悟してたわよ……! とうの昔に汚れた体……泥水に塗れた体に今さら傷が増えても、もう変わりはしないわ」
「ねえ……沙羅、そんな悲しい事言わないでよ。“どんな過去でも愛してる”って、あの人はそう言ってたでしょ? それに、僕だって……もう、沙羅が傷付くところは見たくないから、こうして傍にいるのに」
「……そうね」
ふと、沙羅が顔をあげる素振りを見せたのを察し、刹那は手を止めた。
美しく整った沙羅の垂れ目がちな瞳には涙が滲んだまま。だが、その表情はどこか希望に満ちている風に見える。
「大丈夫……もうすぐよ。もうすぐ、私はこの苦しい日々から解放されるわ。ルークが、こっちに来ているんですって……通ってる大学の留学制度だから時間の制限はあるらしいけど、“あの計画”を実行する為には何の問題も無いって言ってくれたのよ」
「……え」
「まあ、そうは言ってもまだ“ローザ”が見つかっていないんだからすぐには無理でしょうけど……刹那?」
少女のように声を弾ませていた沙羅は、紡ぎかけた先の言葉を呑み込むと――眉間にしわを寄せたままとなっていた刹那の頬を両手で包み込む。お互いの唇が触れそうなくらいに顔を近付け、額を寄せると沙羅は妖艶な笑みを漏らした。
「怖いの? ……大丈夫よ。何も死ぬわけじゃない、貴方はただ……“舞台を降りる”だけよ」
「……怖い、違う。そうじゃないけど……沙羅、本当に良いの? 僕と貴女は――」
微かに震えていた少年の声を丸ごと飲み込んでしまうかのように、言いかけた刹那に唇を重ね口を塞ぐ。
「“いつまでも守ってくれる”んでしょ? ……責任とってよ、刹那――」




