3-12
――家へと急ぐ帰り道、夢姫はあることに気が付き足を止めた。
桔子との戦いで、手を踏まれ腹部を蹴られた。それは紛れもない現実のものであり、來葉堂へ向かうまでは確かな痛みを残し続けていた。
だが、今は痛みをまったく感じなかった。
痛みが“和らいだ”と言うよりは、まるで“最初から何もなかった”かのような感覚。
傷跡を確かめたくなり、夢姫は近くの街灯の真下に立ち光に手の甲をかざしてみるが――
――確かに熱を持っていた筈の指先は普段と変わらず真っ白く、細いままであった。
「……ものすごい回復パワー、なのかなあ。あたしゾンビなのかも」
分からない事をいつまでも考えていられるほど気が長くない夢姫は半ば強引に結論を導き出すと再び歩き始めた……が、夢姫はふと遥か後ろの方から、誰かが走ってくるような騒々しい物音に気付き足を止めた。
ジョキングを楽しんでいる雰囲気では無く明らかに誰かを追い掛けているような“本気の音”が聞こえ、どこか遠くの家からは飼い犬が警戒を促し吠えている。
その足音は瞬く間に夢姫のすぐ後ろまで迫ってきていた。
形容しがたい恐怖に駆られながら、夢姫が振り向くと――
――ピンク色のツインテールを街灯に輝かせた白い妖怪が……クララがそこにたっていたのだった。
「出たおばけ……って、クララちゃん……」
――夢姫は後にこう語った。
“初見は気を失うタイプのモンスターだわ”と――
「く、クララちゃんどうしたの? あたし忘れ物でもしてた?」
自分を追い掛けてきたのだと悟った夢姫は控えめな胸を手で押さえ、早まった心音を落ちつかせると呼吸を整え尋ねる。
クララは“違うぞ”と首を横にふると、両手を腰に当て――さながら気の強いお母さんのような立ち姿で夢姫をまっすぐに見つめた。
「“疫病神”だか何だかわからないけど、そんな危なそうなのがいるって言うのに女の子が一人で帰っちゃ危ないのだぞ! ……前も言ったでしょう。“女の子なんだから、危ない事はしちゃ駄目”って」
――それは和輝とも知り合ったばかりの昨年の初夏、不良と揉めていた夢姫にクララがかけた言葉。
強く、そして懐かしい言葉に張りつめていた夢姫の心は緩み、その表情には柔らかい笑みが戻っていた。
「……クララちゃん、ありがと。……クララちゃんがいたら疫病神だろうが“お化け”だろうが、一撃必殺だね」
「何だか褒められてる気がしないのだぞ?」
首を傾げるクララの横に並ぶと夢姫は先程までより力強く足を踏み出した。心強い味方が出来たような気分だったのだ。
そんな夢姫を見つめると、クララもまた優しい笑みを湛え淑やかに歩き始めたのだった。
「――ねえ、夢姫ちゃん。本当に明日……“猿喰さん”って方を探しに行くの?」
夢姫が住むマンションが見下ろす住宅街に差し掛かった頃、クララが控えめに切り出す。
少女の身を案ずる不安げで優しい声に夢姫はまっすぐ向き合うと、深く頷いた。
「それしか今は手が無さそうだし、佐助がどうだとか……まあ、桔子はムカつくし気にはなるけど……もう、そんなこと考えてる時間がもったいないもん」
「そう……」
迷いのない夢姫の言葉を受け止めると、クララは小さく笑みをこぼす。
“変な顔でもしていたか”と不審そうに自分の両頬を抓ってみていた夢姫であったが、どうもそうではなかったらしい。
クララは首を横に振ると、自分より頭一つ分は低い夢姫の頭を優しく撫でた。
「――ごめんなさい、夢姫ちゃんがまっすぐすぎてびっくりしちゃったの。きっと、夢姫ちゃんがいるから……弟は大丈夫ね」
クララが微笑み、またゆっくりと歩き出したので、夢姫も足を踏み出す。
マンションのエントランス前に到着すると、夢姫はクララの方に向き直り頭を下げたのだった。
「あ、夢姫ちゃん! ……さっき言いそびれたのだけど、“猿喰さん”を探すにしても、どんな人かも分からないのだから、一人で行っちゃ駄目だぞ? 女の子なんだから、何かあったら親御さんが悲しむわ」
クララは先を憂うように途切れ途切れに低い声を紡ぐ。
――クララの言う通り、名前からして怖そうでもあったし、夢姫も不安が無いわけでは無かった。
そもそも、もしも道中に再び桔子の強襲でもあれば……先程の邂逅でもはっきり分かるように“ま”を操る事に長けている様子の少女と一対一で戦う事にでもなれば、苦戦は必須である。
「……そーだけど、佐助は役に立たないし、まさか昼間から八雲さん連れ回すわけにもいかないしクララちゃんはお仕事なんでしょ? ……他に知り合いなんて……」
不安げなクララの憂鬱を吹き飛ばすように、夢姫が叫ぶ。
宵闇の住宅街に響き渡るその声に警戒したのだろうか、近くの住宅の囲いの中からは大型犬の大合唱が始まってしまい、クララは大きな体を縮みこませ辺りを見渡した。
「どどっど、どうしたのだ……!?」
「知り合い! そうだよ、刹那っちに協力してもらえば良いんじゃん!」
「せ、刹那君……?」
――昨年の学園祭で、夢姫が(ほぼ自業自得で)巻き込まれたトラブルの際、和輝の“刀”と同じ力を持つ道具、“絹布”を操り“ま”を祓い助けてくれた美少年――逢坂 刹那。
彼なら――昨年末の“灯之崎家お家騒動”の際も駆け付けてくれた彼であれば、きっと協力してくれる――
夢姫は手を叩くと、いそいそとスマホを取り出しアドレス帳を開いたのだった。




