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「――ねえ聞いた? あの噂」
「うん、怖いよねえ……でも、何で今さらなのかねえ」
「あ、ほらもう十年くらい経ったじゃない? つまりあの時小学校入学前だった子とか高校生に上がる年齢なのよ、だから……」
「自分を取り残したまま入学式に行った同級生への復讐! ……みたいな? あら~心霊話ってやつねえ」
――噂は子供たちの間だけにとどまっていない様子。十一年前の“疫病神”は商店街で午後のひと時、余暇を過ごす婦人たちの間でも取りざたされていた。
「あらっ! 団子屋の――」
「あらあら灯之崎さん!」
商店街で買い物をする時、クララはメイクを落とし髪を一つに束ね、ごく普通の目立たない洋服に身を包んでいる。
……つまり、ちゃんと人間の格好をしているのだが、どことなく滲み出る女っぽい柔らかな仕草や口調が手伝うのか……。近所の婦人たちの間では“妖怪”と言うより、“ちょっと変わってる茶飲み友達”と言った関係となっていた。
「ちょっとちょっと! 灯之崎さんは何か聞いてない? 灯之崎さんとこも高校生のお子さんいらっしゃるでしょ~?」
「わ、私の子供じゃなしに弟なんですけどね? ……どうかしたんですか?」
馴染みの婦人たちの輪に混ざると、クララは頭二つほど飛びぬけてしまう。
婦人たちに促され、輪の中心に置かれた休憩用のベンチに腰掛けたクララは婦人たちの輝く視線にたじろぎながらも笑顔を手向けた。
「近くの高校の子が、例の“跡地”で何者かに襲われたんですって! きっと怨念よ!」
「お子さん、何か聞いてるんじゃない?」
「あの、だから弟……」
婦人のパワフルさを前にするとクララも無力である。次から次に投げかけられては自己解決していく婦人たちの言葉はもはや一方的に殴ってくるような“暴力”といえよう。ただ圧倒的なパワーを前にクララは口を閉ざし身を守っていると――やがて婦人の一人が手を打ちその両肩を叩いたのだった。
「そうだ! ちょっとお子さんに聞いてみて! “実際のとこどうなの?”って!」
「弟……」
「有力な情報が手に入ったら、お団子サービスしてあげるから!」
「あっじゃあアタシお花サービスするわ!」
「あたしケーキ!」
「えっえっ……!!?」
報酬の前払いもあったようで、クララが來葉堂に帰りつく頃には両手には色とりどりの花束が抱かれていた。ふさがった両手の代わりに強健な肩で扉を押しあけると、取り付けられたベルは澄んだ音を奏でた。
「クララちゃんお帰り……って、何その送別会帰りみたいな花束」
クララ不在の間、滅多に客が訪れない店の留守番を任されていた來葉堂の名前ばかりのオーナー、春宮八雲は仰々しいクララの姿を前に赤い瞳を見開き、人形のように美しく整った顔に苦笑いを浮かべる。
「おばちゃん達にもらっちゃったのよ~」
「……あんた、おばさんにはモテるんだねえ?」
「モテるって言うか……」
八雲への説明よりも先に塞がりきった両手を自由にしたい一心で、クララは相槌もそこそこに花束をカウンターテーブルに降ろす。綺麗にラッピングされている訳ではない花束はまとまらずにカウンターいっぱいに咲き誇ってしまい、元来体が強い方では無い八雲は目を細め咳込んだ。
ちょうどその時、入口の扉はゆっくりと外の綺麗な空気を呼びこむ。取り付けられたベルと、種類が違う小さな鈴の音。
二人にとっては聞き馴染みのある音であり、クララは満面の笑みでしゃがみ込んだのだった。
「マリンちゃん! ソラ君もお帰り! だぞ!」
「はい! ただ今かえりました!」
前よりも少しだけ流暢になったソラが丁寧に頭を下げるその足元を、相変わらず太いままのデブ猫・マリンはすり抜け駆け抜けていく。
「お帰り、ソラ」
「やくも様、ただ今かえりました」
着流しが包む足元にマリンが頬をすりつけて挨拶をすると、八雲は両手で抱え上げ膝の上に招待した。
「――あそうだ! ねえソラ君、ちょっと聞いて良い? 最近学校で“火災跡地の疫病神”って噂、流行ってたりする?」
ソラが背負っていたランドセルをカウンターの端に置くと、重たげに傾き、辛うじてその姿勢を保つ。
ふと、先程商店街で請け負った任務? の事を思い出すとクララは控えめに手を叩き、小さなソラと目線を合わせしゃがみ込んだ。
「やくびょうがみ、ですか……? ああ、そう言えばクラスでみんなが話していた気がします。でも、それがどうかしたのですか?」
「あら、やっぱりそうなのね! 商店街でも噂になってたのよ~」
正直なところ、半信半疑……というか暇を持て余した婦人の間だけの与太話の類であろうと軽く考えていたクララは想像よりも広まっている噂に声を跳ね上げる。
「……え?」
その野太い声にかき消され……傍らで耳を傾けていた八雲が微かに動揺を垣間見せていた事には誰も気付いていなかったのだった――
「高校生の子がね、“疫病神”とやらに襲われたって噂なのよ~。ソラ君は何か聞いてない?」
「うーん……ごめんなさい、ボク、その話にちゃんと加わっていなかったので……くわしくは分からないんです」
「あら~……そうなの……」
ソラが申し訳なさそうに頭を下げると、クララは慌てて上げさせる。
「本来は誠実で良い対応よ、人の噂話なんて話のタネくらいにしかならないもの」とウインクを飛ばすと、ソラは笑みを手向けクララの“愛”を丁重にかわした。
――ソラは置き去りになっていたランドセルと両腕で抱えると、二階にある居室へ戻す為に階段を上がっていく。
思案に耽る八雲の姿には気がつかないままに、クララもまた花を生ける花瓶でも見繕おうかと厨房に向かいかけていたその時、騒々しい話声が扉を叩き開けたのだった。




