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「――ちっ、あの子供……また鉛筆落としたのね。音が拾えなくなったわ」
とある有名進学塾――送迎車専用の駐車場の一角には沙羅の車が停められていた。
車内にはむせ返るほどに甘美な香りが立ち込め、女の吐いた白い煙は腕に、足に、髪へと絡まっていく。
「海ね……みんなで、と言う事は灯之崎 和輝もきっと行くはず。……そう言うことであれば」
「沙羅さん、ごめんなさい! お待たせしました! ……あっ電話中でしたか?」
煙草からふき出し続ける白い煙を吸い込みつつ思案にふけっていた沙羅のすぐ後ろで、慌てたような少年の声とドアが開く音が響き渡る。
時刻は十九時を過ぎた頃――高校生くらいの子供達は皆一様に疲れを全身ににじませながらそれぞれの帰路につき始めていた。
「いいえ、別の仕事をしておりましたから大丈夫ですわ」
バックミラー越しに映る黒ぶち眼鏡の少年――金嗣に微笑みを返すと、沙羅は煙草を携帯灰皿の中に押し込んだのだった。
「――あ、そうだわ。金嗣様。急ですけど、明日、一緒にお出かけ致しませんか? ……もしご予定が無ければ、ですが」
「え……? ぼ、僕は大丈夫ですけど」
「良かった。実は、先週社長に準備するように頼まれていた資料の事をすっかり忘れておりまして……。金嗣様もご存じでしょう? あの幽霊が出ると言う噂の旧社屋に行かないといけないんですよ。休み明けすぐに渡さないといけないので、明日行くしか無くって」
シートベルトを締め、慣れた手つきでギアを切り替えると二人を乗せた車は沙羅のハンドルの通りに緩やかに進み始める。
比較的エンジン音が小さい高級車だからか、普段よりも更に小さくなってしまった金嗣の声は雑音にまぎれる事も無く沙羅の耳に届けられていた。
「で、でも……僕なんて一緒にいても役に立たないですよ? それより弟さん呼んだ方がいいのでは……」
先日の騒動を思い出していた金嗣が言いかけたその時、ふいにブレーキを掛ける耳障りな音と共に車が急停止した。
目の前に猫でも飛び出して来たのか、と金嗣はフロントガラスの向こうに目を凝らす。
だが、対向車もいない薄暗い道の先には静寂が広がっているばかりであった。
「……ごめんなさい、金嗣様。……実は、あの子は弟じゃないの」
「え……?」
「弟は、私が成人した頃に死んだわ」
「そ、そう、なんですか……? え、あの、じゃああの人は――」
――二人を乗せた車はまたゆっくりと進んで行く。
それ以上深追いする事、それは沙羅の――見たくない“闇”までも引きずり出してしまいそうな気がして、金嗣はゆっくりと流れる景色をただ見つめていたのだった。




