13-1
――まだ早い時間であるにもかかわらず、この日も市立図書館には人の姿がちらほらと見える。
明らかに“涼を求めるだけが目的”であろう人が学習スペースを占拠する片隅で、ソラは数冊の本を手に机に向き合っていた。
「――春宮 宙君かしら?」
「……?」
カーペット素材の床に高いヒールの音は吸い込まれ、香水の甘い香りが流れ込む。
……だが、五感が人よりも鈍いソラがその香りに気付く事は無く、不意に耳をついた女性の声に首を傾げていた。
「そうですが、何かご用ですか? えっと……」
「あ、名乗りもせずに失礼……私、伊月 沙羅と申します。……数日前、ここで男の子と会ったでしょう? 彼の……金嗣様の身の回りの世話をしている者ですわ」
「数日前……?」
慣れた手つきでソラの小さな手に名刺を差し出すと、天井から吹き下りる爽やかな風に髪を預けて沙羅は微笑む。
近くの席に陣取りまどろんでいた男らの視線を一身に集めると、豊満な二つの房を無理やり詰め込んだスーツの胸ポケットから一本の鉛筆を取りだしたのだった。
「……ああ、先日、文ぼう具を落とされたあの方の」
――ごく自然に受け取った鉛筆のキャップには、“春宮 宙”と油性ペンで書かれている。
沙羅の言葉と鉛筆――そこでようやくソラは目の前の女性と先日の少年、金嗣との繋がりを認識したのであった。
「かねつぐさん、とおっしゃるのですね……かれは……」
鉛筆を眺めながら、ソラは先日の出来事を思い返す。
――自分と同じで、そそっかしくてドジな少年。年は佐助達と同じくらいであろう。
あの日初めて出会った少年はその身なりの高貴さこそ違えど、決して目の前の女性ほどの人々を魅了する見た目では無い。クララのように特異な外見でも無ければ、刹那のような美しさを持つ訳でもない。
だが――
「あの、さらさん……ぶしつけではございますが」
「まあ……随分と丁寧ね。どうしたのかしら」
「かれは……かねつぐさんのお父さんは――」
――ソラにとって、“彼”は特別な風貌であったようだ。
―――
「――これで修理は完了です。では、こちらに作業完了のサインを」
「はあい! ありがとうございました!」
高校生の期末試験も終わり夏休みが始まる。
本格的な夏の気配が漂い始めた頃――來葉堂の店内には久方ぶりの涼しく快適な空気が舞い戻って来ていた。業者を送り出したクララを労うかのように、彼の額をエアコンの涼しい風がなでおろす。
「あー死ぬかと思ったのだぞ! これでまたメイクに精が出るわ~!」
このエアコンが故障して以降、クララは溶ける化粧を直す手間が面倒になっていたのだろう。
素顔のままで仕事をしていたクララはいそいそと店の奥へ消えていった。
「いやメイクする必要性……聞いてない……」
和輝がため息を落とす。だが、暴走がちな乙女にはもう届かなかった。
いそいそと支度して舞い戻ったクララは、いつもの通り……いやいつもよりずっと真っ白な顔に鮮やかな深紅で彩ったハート型の口紅、そして麻呂眉のフルセットに戻り……心なしか張り切っているようにも見えた。
「あらやだ! そんなに見つめて、どうしたのだ? クララ、照れちゃうぞ!」
張り切ったままのテンションでクララは投げキッスを乱舞させ、和輝はそれをただ避けるばかりなのであった。
「――あ! そうだわ! ソラ君と……佐助くん達にも“修理終わったから遊びにいらっしゃい”って連絡してあげないと!」
「え? ……いや、待って。ソラはともかく、佐助達には連絡する必要無くない?」
「あら、みんないた方が楽しいじゃない」
――まるで恋する乙女のように頬に手を添えたままのクララがメッセージの文面を思案する一方。
クララがメッセージを送ったにしては早すぎるこのタイミングで、まるでこの時をずっと待っていたかのように來葉堂の扉が開け放たれる。
「ふん、ようやく人が落ち着ける空間になったようだな。全く……あばら家だから仕方ないとはいえ、今後は壊れる前に修理しておけ」
店内を見渡すと一笑し、堂々たる振舞いでいつもの指定席を陣取ったのは佐助だ。
最早“ここに住んでいる”と錯覚するほど何の違和感も無く腕を組んでいる少年の姿を一瞥すると、和輝はため息を落とした。
「……ここ、お前の家じゃないんだけど」
「何をぼやいておる? 当たり前ではないか。頼まれてもこんな家には住まん」
「……」
ちょうどスマートフォンの操作を終えたクララは久方ぶりの来客、佐助の姿に気付くとまるで旧来の友人と再会したかのように嬉しそうに微笑んで鼻歌交じりに厨房へと消えていく。
お茶かおやつか、もしくはその両方を設えに向かったのだろう……厨房から流れる野太い歌声に和輝が背を向けると、またも入口の扉が軽やかに来客を出迎えた。
「――あれ、エアコンが壊れていると聞いていたけど……いつの間にか修理終わっていたんだね、和輝君」
甘い香りと共に店内に舞い込んできたのは、刹那だ。
すぐ横で聞こえてきた佐助の舌打ちを無視したまま、美少年は柔らかく微笑み離れたテーブル席に腰かけた。
「ちょうど良かった。この後バイトがあるから、それまでここで眠らせて……」
「はあ……ってええ、ちょっ……」
和輝の返事も待たずに、テーブルになだれ込むと刹那はそのまま寝息を立て始める。
「だから、ここ、貴方の家でも、無いんですけど……」
決して広くない店内の両端で、各々の形で寛いでいる二人の少年――
――修理されたばかりのエアコンから流れる涼しい風に乗り、和輝のため息は空しくも空気に溶けていった。
「――あら、刹那くんも来てたのだ?」
「来てすぐに寝たけど」
歌い踊るかのように厨房から姿を現した上機嫌なクララは、不機嫌そうな佐助の視線を辿ると鼻歌を止めて和輝の元へ駆け寄る。
骨ばった手に載せられたお盆の上にはプルプルと揺れる涼しげな色が光っていた。
「うふふっ久々にお客さんがいっぱいでクララうれしいのだ!」
「……わらび餅か。相変わらず見た目にそぐわない繊細な菓子を拵えるものだな……まあ、食ってやらんことも無い」
対極で眠り始めた刹那の姿を睨みつけていた佐助だが……。
クララがわらび餅が載ったガラス皿をカウンターに並べ置くと、ため息と文句をこぼしながらつまようじを手に取る。
柔らかな餅に要領よく楊枝を刺すと、先程までの苛立ちもどこかへ置き去りに佐助は黙ってわらび餅を噛みしめた。




