12-3
――麗しい来客が上品に扉を閉めると、來葉堂の店内にはベルの音と甘い残り香が取り残される。
だが、ゆっくり考える時間など八雲には与えられず、その余韻は野太い声にぶち壊されたのだった。
「ねえええ!! 八雲さん再婚しちゃうのだ?! クララに何の断りも無く!?」
「うわ出た妖怪……って言うか君の立ち位置何なわけ?」
和輝の制止を振り切り、春に芽吹く草花……を何十倍速にでもしたような勢いでクララはカウンターから身を乗り出す。その巨体からは想像も出来ないほど軽々とカウンターテーブルを飛び越えると、目の前の恐怖映像に顔を引きつらせていた八雲の細い両肩を掴んだ。
骨ももろいであろう八雲の事、“このままでは兄が人を殺める”と判断した和輝が追いかけて恵体を引き剥がす。やや大袈裟な動きでよろめいたクララは着物の袖を噛み恨めしそうに見つめていた。
「悔しいのだ! 男ってば、いつもそう! ちょっと良い女が現れると古い女は捨てられちゃうのだ! 鼻の下伸ばしてデレデレしちゃって! あーんもうやだ!!」
「いや、だからさ? まずクララちゃん男だし? んで、別に“そう言う関係”じゃないよね?」
「だまらっしゃい!!」
クララはピシャリと八雲の言葉を跳ね返すと、そのたくましい腕からデコピンを放つ。
それは長い前髪に守られた白いおでこにクリーンヒットし、打たれ慣れていない八雲を黙らせた。
「それに和輝くん! お兄ちゃん見損なったわよ! 可愛いガールフレンドたちに囲まれていながら、あんなポっと出の美人にデレデレしちゃうなんて! 今すぐ皆に謝って来なさい! はよ!」
「はあ!? なんでそうなるんだよ……いや、って言うか! まず見てたなら助けろよ!」
いつから見られていたのか、など問いただす勇気は今の和輝には存在していなかった。
頬に触れた伊月の、女性特有のしっとりとした柔らかな指先の感触を思い出した和輝はごまかすようにクララの厚い胸板にクロスチョップを決めたのだった。
「あらやだ! 良い雰囲気なのかな~って止めるに止められなかったわよ! お兄ちゃん、ついに妹が出来るのかなって! 跡取り問題も解決しちゃうのかなって!!」
「話が飛躍しすぎ! ……そうじゃなくてさ」
「そうじゃないの? 遊びなのだ? これだから男は」
「違うってば」
溶けかけた白い顔を近付け怪訝な眼差しを手向けるクララを押しのけると、和輝は頭に駆け巡る言葉をかき集め始める。
――うまい言葉が見つからない、だが、何かが引っかかっていたのだ。
それは八雲が抱いた疑いの感情とはまた違うもののようで、先の言葉を待つ二人とは目を合わせないままの和輝は小さな声で呟いた。
「そうだ。あの人……誰かに似てる」
「……和輝、百花と会った事あったっけ? 俺もそう思ったけど、多分社長が似た雰囲気の人を採用してるんじゃないの?」
既視感は八雲も確かに抱いた感情であった。
だが、そちらにはとっくに答えが出ている。そう“社長の趣味”だと。
それ故に深く考えていなかった八雲は、まさか和輝の口から同じような言葉が出てくるとは思いもよらずに首を傾げた。
「いえ、百花さんは知りません。そうじゃなくって……つい最近も会った、誰かに似てる気がしたんです」
和輝は首を横に振ると、答えを求めるようにクララを見上げる。
盗み見た程度のクララには明確な答えなど見つかるはずも無く、三人はそれ以上の言葉を紡げないままとなってしまったのだった。
―――
――一方その頃。すでに県内のほとんどの小学校が夏休みに入っているためか、ソラと同じくらいの子供たちが図書館の中で暇をつぶしている。
そのフリースペースの一角――來葉堂で起こっている騒動など知る由も無いソラは宿題のドリルを解いている最中であった。
公共の施設であるがゆえ、決して涼しいとは言えないがエアコンが故障した來葉堂よりはマシなようで、ソラの宿題も夏休み前半にも関わらず半分以上終わっているようだ。
「そろそろ日もかたむきますね、帰ってクララさんのお手伝いをしないと……」
勉強は人並み以上にこなせるソラであるが、“心”が別物として存在している少年にとって“体”を意のままに操るという行為――人間にとってごく当たり前な行為が何よりも苦手だ。
ソラは無意識に動かしてしまっていた肘の先でテーブルの上の筆箱を倒してしまい、文房具達は勢いよく地面に散らばってしまったのだった。
静かな空間の中ではプラスチック同士がぶつかり合う些細な音さえも大きな雑音となる。
周りを気にしつつソラが慌ててペンを拾っていると、不意に誰かの足が見えた。
一本のペンが脱走を図ったかのように転がっていく。
だが、視界の端に見えた高級そうな靴のつま先によってペンの行く手は阻まれたのだった。
「君、大丈夫……?」
控えめに落とされた声の主はまだ若い男の声、少年であろうか。
その足元で止まったペンを拾おうとソラが駆け寄ると、少年もまた拾おうとしてか膝を曲げた前屈のような姿勢を取った。
「ありがとうございます、すみません……お手数おかけ――」
少年の足元でしゃがんだままであったソラが丁寧なお礼と共に顔を見上げる。
――だが、降り注いできたのは少年の笑顔でも無ければ言葉でも無い。
ソラの小さな頭の上には何故か文房具の雨が降り注いだ。




