10-13
――ひとまず、來葉堂で顔を突き合わせていても進展は見込めないであろうと言う結論に至った一同はそれぞれの帰路についた。
母が心配しているであろう夢姫は桔子と共に家路を急ぎ、詠巳は恋人の寛二朗と連れ立ち來葉堂を後にする。
美咲は施設に帰り、今後の事は和輝を中心にやり取りをする流れとなったのだった。
――皆と分かれた後。
刹那は一軒のマンションのエントランスにいた。
そこは、夢姫達が暮らしているようなマンションよりも部屋数の多く、立地も駅前一等地、新築と申し分のない条件――いわゆる高級マンションと称される場所だ。
犬猫も飼育できる富裕者層が自身のステータスとして住まうようなマンションのエントランスは行き交う人もほとんどいない。
人一人が座るには十分すぎる大きさのソファに腰掛けていた刹那の目の前を通り過ぎていく毛並の良い小型犬は不思議そうに鼻を鳴らして去っていった。
――三基設置されたエレベータの一つが二桁からその数字を減らしていく。
やがてそのカウントは“一”を示し、ゆっくりと扉が開かれた。
「……おや、誰かと思えば。……“御子息”に御用でしたか?」
「んなわけ無いだろう。あんたを待ってたんだよ……ルーク」
刹那は吐き捨てるように言葉を投げつけたが、空調の優しい風に金色の髪をそよがせた蒼い目の青年――ルーカスは意に介す事も無く慣れた様子で取りだした煙草に火をつける。
「はあ……何でしょう。随分と貴方は二面性がありますねえ。普段は随分とニコニコしているようではありませんか。私だけそんな怖い顔で睨まれるの、理由が分かりません」
細身の煙草は甘い香りを伴う種類のようで、エントランスにはむせかえるような煙が立ち込める。
刹那が咳払いと共に無言で睨みつけると、青年は蒼い瞳を細めて肩をすくませた。
「……この国のルールは難しい。吸っても良いといいながらハイリョしろ、と言う」
――エントランスを抜けてマンションの外に出ると、外は既に暗いようである。
気を取り直し、火がついたままの煙草の煙を吸い込むと、ルーカスは深く息を吐いた。
「で? ……私の“一家団結”の余韻をぶち壊してまで、何の用ですか? 遂に見つけてくれましたか? 私のローザを」
「それを言うなら“一家団欒”だし、そもそもあの人たちなんて家族とも思ってないだろう。……ローザは見つかってないよ。残念ながらね」
まくし立てるように言葉を紡ぐ刹那を煙たげな顔で一瞥すると、ルーカスは片手で煙草の灰を地に落とし、もう一服傾ける。
「……ねえ、もうローザは諦めない? 彼女はあんたの事なんて一ミリも覚えていないだろう。名前だって違う」
刹那が言いかけた時だ。
不意に後頭部に衝撃が走り、追いかけるようにして目まいと激痛が刹那を襲った。
脈絡も無い衝撃に対応が叶わず、なすすべも無く地面に崩れかけた刹那の体はすんでのところで激突を免れる。一つに束ねた髪を、ルーカスが掴みあげたのだ。
……だが、助ける為では無かったようで、掴みあげると今度は膝を突き上げて刹那の溝落ちの辺りを蹴りあげたのだった。
「それは、サラの言葉か? ……違いますね? ついに人間の言葉を覚えましたか、excellent」
「……っ」
「人形たるお前が初めて“言葉”を喋った記念に、お返事返しましょう? 良く聞きなさい。……諦めるのは、私の事を“心の奥底で待ち続けている彼女”に失礼だ。一ミリも覚えていない? そんなはずは無い。ローザの記憶に私は生き続けているはずだ。そして名前は体を表さない、以上」
いつの間にか、ルーカスの手にしていた“煙草”は甘い煙の代わりに“黒い靄”を吐きだしていた。
掴んだままの髪の毛で無理やりに刹那を立たせると、煙草を手にしたままの片手をその整った顔に近づける。
「……おっと。折角お前のfatherが守ってくれた顔に傷を残しては、失礼でしたね?」
せせら笑うとルーカスは煙草をくわえなおし、その煙を深く吸い込むと細身の煙草を手に取ると地面に捨て踏み消した。
そして、口腔内に含んだ甘い煙を味わうと、刹那の顔に吹き付けたのだった。
「お前が何を考えようとも構わない。ですが、私への意見は受け入れませんよ。私はローザを取り返す必要がある。そのためには多少の犠牲があっても仕方ない」
「……犠牲、か」
「安心して下さい? お前にはまだ価値があります。……痛いですか? それは罰です。私にとても大事な情報を隠していた、その“罰”だ」
「罰……?」
「……“來葉堂”と言ったか? あの店をお前は知っていましたね? 來葉堂には、お前の“人界”だけでは無い、他の道具の気配があった。癪に障る程眩しい光のような気配がね」
腹部へのダメージに加えて慣れない煙のせいで咳き込んでしまった刹那はそれ以上何も言えなくなってしまっていた。
そんな少年の姿を気にも留めないまま、ルーカスは夜空を見上げ――
「少し、探る必要がありますね」
――宵闇へと姿を消したのだった。




