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「そうですね、正直……私も許せないままです。事実、貴方の“わがまま”のせいで私の家族と、“私自身”も殺されたのだから」
桔子は短くなった髪の毛先をつまむとため息を落とす。
先の言葉を紡ごうと頭の中で思案しているのだろうか、迷ったように伏せた瞳を……かつて守っていた薄いレンズの眼鏡はもうありはしない。
「私が“梗耶”として生きてきた過去は、全てを押し殺して過ごしてきた時間はもう、消すことは出来ない。“過去”を忘れて、罪を許す……過去への執着なんて、頭では不毛な感情だと分かっていても心が許そうとしないんです」
「……だろうね」
「だけど。……春宮さん、貴方が罪を償おうとしていた事も、それがまた別の救いになっていた事も事実、なんですよね」
桔子が振り向くと、視線を手向けていた和輝は妙な後ろめたさに駆られて掴んだままであった夢姫の髪を解放する。
ようやく、真の意味で自由を手に入れた夢姫であったが……まだ何か言葉を探し考えあぐねている様子の親友、桔子の視線の先を辿り口を噤んだ。
「……過去は変えられない。罪も……私たち被害者の記憶が消えない限り本当の意味での贖罪は終わらないでしょう。それほどまでにあなたのやったことは……人の命を奪う、人生を狂わせるという罪は、文字通り生涯をかけて償うべきでしょう」
「分かっている」
搾り出されるような八雲の声。
それまでの、涼しげな……どこか他人事のような心の見えない声色とは違う、"本当の心”が垣間見えた気がして、和輝は言葉を飲み込んだ。
「だけど……私は、今の春宮さんも多少は知っています。やり方が卑怯であっても、罪を償おうとしていたことも、ほぼ人任せながらも責任から逃げずに幼い命を守ろうとしている事も。やり方が駄目だっただけで、決して私たち被害者の事を忘れたわけではなかった、ということを。……過去は消せない、だけどたった一度の過ちでその人のすべてを、未来までも決め付けてしまうのは違う、とも思い至りました」
優しげに見えて、その実は辛辣な酷評といえる桔子の言葉は耳に痛いものなのだろう。
八雲は引きつったように整った顔の半分だけ笑顔を作ると、返す言葉もなく唇をきつく縛った。
「……私は春宮さんがこの先、本当の意味での贖罪を……過去を受け入れて、貴方にしか出来ない償いを見せてくれるなら、すぐには許せなくっても、いつか受け入れられるようになる……そんな気がしてきたんです」
「きいちゃん……」
どこか淡々とした冷めた印象を与えた"梗耶”とも、泣き虫で臆病であった幼い日の桔子とも違う――それまで夢姫が見ていたどんな表情とも違う、まっすぐ迷いのない瞳をした少女はひとしきり言葉をつむぎ終えると小さく息をついた。
ここにいたるまで、当人以外知る由もない感情たちとの葛藤を繰り広げたどり着いた結論なのだろう。親友を抱きしめてあげたい衝動に駆られた夢姫は手を広げると飛び出し――そして傍らで同じく見守っていた和輝に髪の毛を引かれ引き止められた。
和輝の行動の意味が分からない、と夢姫が振り向きざまに文句を言おうと口を開ける。だが、視線を絡めた和輝は人差し指を立てると自身の口元で「静かに」とジェスチャーしてみせ、視線を桔子の近く――口を噤んだままであった美咲へと手向けたのだった。
「……俺は、風見さんのようにその男の“今”なんて知りません。知りたい、とも思えません」
「ええ。知って得する人間性では無いので、それはそのままでいいですよ」
「…………じゃあ俺にどうしろと言うんですか?」
「もし、今後も彼が同じ過ちを繰り返すようであれば……春宮八雲が、彼を慕う人間や守るべき家族すらも蔑ろに振舞うようになってしまった時、今度こそ復讐を果たす……それじゃダメですか?」
まるで馬の手綱のように両サイドに垂らした髪の束を掴まれて拘束されていた夢姫は、親友の想いが自分の言いたかった言葉と同じ方向を指していたことに気付くと、抵抗し続けていた両手を下ろした。
桔子もまた、その視界の端で賑々しく動いていた少女の気配を察すると夢姫と視線を重ねて一笑に伏す。
優しい目をしていた、と夢姫はどこか達観した親友の姿に息を飲んだのだった。
「そうそう。……これ以上ダメにならないよう、俺が今後は見張っておくから……吾妻はやっぱこいつダメだって思った時に俺に相談してくれたら、一緒に殴りに行くよ」
夢姫が暴れなくなったからなのか、もう引きとめる必要も無いと判断したのか。
手綱のように引いていた夢姫の髪の毛から手を離すと、和輝もまた美咲の元へ歩み寄る。
どこか親しみを滲ませた声で悪戯に笑う和輝を傍目に、八雲は耳が痛い様子で頭を掻いていた。
「…………はあ。もう良いですよ。……どうせこのまま暴れても、春宮さんを殺そうと頑張ってもそっちの露出激しい先輩に押し倒されちゃうだけですからね」
呆れたように力のないため息を落とすと、美咲は夢姫を一瞥し、そして和輝を見つめる。
抵抗する気力が尽きたのか、はたまた凍りついた心のどこかに、誰かの言葉が入り込めたのかは和輝達には知る由も無い。
「あんた、どこ行くのよ」
「……優菜が白い巨頭にお世話になっているんでしょう? 迎えに行くんですよ。彼女の保護責任者と連絡取れるのは俺だけですから」
引きとめようとした夢姫に力無い笑みを返すと、美咲はナイフを預ける。
降伏の意を示すかのように両手を掲げたまま先に行く美咲の後姿は彼が選んだ“答え”なのだろう――
――顔を見合わせると、桔子、そして夢姫もその背中を追いかけて邸宅を後にしたのだった。




