10-6
「――おおおおん! おかえりなさいなのだぞ、クララ心配して……あら、二人だけなのだ?」
――その頃。
眠り続ける優菜を抱きかかえた刹那とその護衛のつもりであった寛二朗は來葉堂の扉を押し開けていた。
だが、護衛とは名ばかりと言えるだろう……。
先陣を切って扉を押し開けた寛二朗であったが、彼の視界に飛びこんだのは涙で白かった顔をまだらに溶かしたピンク色の巨人。
目前に迫る恐怖映像に心臓を跳ね上げたらしく、本能のままに刹那を盾に押し出したのだった。
「あ、え、ええと、まだ美咲君との決着がついていないんですが、こっちのお嬢さんはもう落ち着いたので……」
直視できないクララの顔を必死に見つめ返しながら刹那が笑顔を取りつくろう横で、共に店に残っていた詠巳は状況を把握した様子で代わりに相槌を返す。
「――状況は理解したわ。目が覚めるか、あるいはもう一人の子の事が落ち着くまでここに寝かせておけばいいのよね。後は私が見るわ。……ひとまず、そこのソファに寝かせましょうか」
恋人の声で心が安らいだのか、ようやく來葉堂の扉の外に逃げていた寛二朗が戻るのを尻目に、刹那は詠巳に促されたソファの上に少女を休ませる。
ようやく自由になった両肩をまわし、何気なく店内を見渡した刹那は――ふと、カウンター席に腰かけたままこちらの様子を伺っていた異国の青年に気が付くとその目を見開いた。
「……そちらのお嬢さん、大丈夫ですか? 私、出来る事があれば手伝いますよ」
――一瞬だけ刹那と視線を重ね合わせた青年、ルーカスは蒼い瞳を細めると、立ち上がり優菜の元へ歩み寄る。
特定の誰かに向けた風でも無い、どこかおぼつかない片言の言葉で青年が見つめると、ようやく落ち着きを取り戻したらしくクララは恥ずかしそうに頬を隆々とした両手で覆い隠していた。
「あ、あらやだわ、クララったらお客様がいたの忘れて取りみだしちゃったのだ……ごめんなさいねえ、お気持ちは嬉しいけど、お客様はゆっくりしててなのだぞ!」
ちょっとした恐怖映像のような顔面のままのクララに動じる事はなく、ルーカスは“そうですか?”と和らげに微笑むと横たわる少女を見つめ、やがてカウンター席に戻っていく。
「……ちっ」
テレビの中から飛び出してきたかのように美しく、絵になる青年の後姿を一瞥すると、刹那は眉間にしわを寄せたのだった。
―――
「――和輝~……これって、もしかして、あたし人質ってやつ?」
同じ頃。夢姫は自由を奪われたままの片手をふらふらと揺らすと、もう片方の腕で降伏の意を込め持ち上げる。
「もしかしなくともそうだろうな」
緊張感を持たないままの夢姫と視線を重ねた和輝はなけなしの緊張感すらどこかに落してしまったかのように脱力しきってしまい、ようやく絞り出した言葉と共にため息を落とす。
……だが、何故呆れられているのかが分からない夢姫にとってはそのリアクションは不本意なものであったようで、頬を膨らませていた。
「“飛んで火に入る夏の虫”とはまさにこのこと! ……って、こんなテンプレ通りの悪役台詞言えるとは思いませんでしたよ、流石に。水瀬先輩には感謝ですねえ」
「ほわ、褒められた?」
「馬鹿にされたんだよ」
いつもの調子であっけらかんと返され、言葉を詰まらせた夢姫が声の代わりに頬に空気を詰め込み訴えかけようとしたその時。
――風船を割るかのように、ナイフの先端が夢姫の頬をちくちくと刺激した。
「……水瀬先輩はどうにかしたところで、あの疫病神の心には響かないでしょうが、これも何かの縁でしょう、可愛い顔に十字傷でも刻んで差し上げましょうかね?」
常日頃から無鉄砲で緊迫した状況下にあっても子供のように心を躍らせている夢姫と言えど、頬に伝わる冷たい感覚を前には、流石に対岸の火事とはいかないらしくその表情を強張らせる。
訴えかけるような視線を正面で預かった和輝もまた眉間にしわを寄せると構えていた刀を下ろし、一文字に縛っていた口をゆっくりと開けた。
「……可愛いかは判断しかねるとしても、十字傷なんか入ったら貰い手がいよいよいなくなるからやめてやれ」
“一言どころか全体的に余計なことしか言ってなくない?”
――普段であればそう文句でも言い返しているところであろうが、あいにくこの時ばかりは夢姫に発言する権利は与えられていない。
口を少しでも動かそうものならば、宛がわれたナイフの切っ先が自分の血で染まるだろう。……元来より想像力がたくましい夢姫だからこそ安易に辿りついた想像の果てに胆を冷やす。ゆっくりと頬の空気を抜く以外に出来る事は何もなかった。
「灯之崎先輩って意外と口が悪いんですね。まあ、俺だって女の子に傷をつけるのは嫌ですよ正直。……さて、後はどうしたらいいか、分かりますよね?」
「……」
刀身に宿り続けていた光を粒子に返すと、辺りに薄暗さが際立つ。
外から差し込む木漏れ日が汚れた窓をすり抜け足元を微かに照らす中、和輝は柄だけの刀を床に置くと、その姿を見つめていた美咲に視線を手向けた。




