一章 第七話
「どうやら、お前たち二人は知り合いのようだな」
レオが流斗と夜刀の二人を見比べて、何かを考えるかのように顎を手で触る。
サイラスは部屋の中にいる治癒神官のダニエラの様子が気になるようだったが、夜刀を恐れてか、もしくは彼女の痴態にショックを受けてか座り込んでしまっている。
コーダも、普段いがみ合っている仲の男の有様に同情してか、何も言わないでいた。
「コガリュート様大丈夫ですか」
カタリナが夜刀に蹴られて腹を押さえている流斗を心配して声をかける。
「うん、大丈夫だ……ありがとう」
「ハッ、たかが蹴られたくらいで大袈裟なんだよ。今までのことを思い出してみろよ。これ以上の怪我なんて日常茶飯事だろうがよ」
夜刀が流斗に向かって唾を吐くが、カタリナが流斗の前に立って庇う仕草をする。
夜刀の唾がその柔らかそうな頬にかかってしまったが、彼女は構わず夜刀を睨みつける。
「……へぇ、いいね。いい目だ。そういう目をする女はなかなかいないからな。あんた、名前はなんていうんだ」
「……文官のカタリナです」
どんな相手でも律儀に答えるのは彼女のプライドか。決して折れぬ心は高潔なものである。
それに対し、夜刀は彼女を舐め回すように視線を這わせる。それは蛇が這いずり回るかのような不快さがあった。
「久慈宮。ヤメろ」
「なんだ? 俺の女に色目使うなってか? いいじゃねぇか減るもんじゃねぇし。昔を思い出そうぜぇ」
「……」
流斗は何も言わず立ち上がると、レオの方を向いた。
「真の英雄を決めるって話だったけど、ソイツに英雄の立場を譲るよ……もともと、俺には分不相応な話だったし」
「いいのか?」
「きちんと決めるには戦わなければいけないんだろ? ソイツと戦うなんてまっぴらゴメンだし。今のを見ただろ。やっぱり、俺に戦いは向いていないよ」
「ちょっと待てや。なんだか面白そうな話をしているじゃねぇか。なんだ、お前と戦えんのか?」
夜刀が流斗とレオの会話に興味を示す。
彼は根っからの戦闘狂だ。過去にも、むかつくという理由だけで不良集団を血祭りにあげたことがあった。
そんな奴だからこそ、もう一人の英雄が夜刀だと判明した今、きっちり断っておく必要があった。
「残念だが、お前と戦うことはないよ」
流斗は夜刀の気勢を殺ぐ意味も兼ねてはっきりと言葉に現した。
しかし、レオは流斗の意思を尊重はすれど、あくまで中立の立場をとる。
「なるほど、コガリュートの気持ちはわかった。で? もう一人の英雄よ、今我が国には二人の英雄が存在している。慣習のためにも、どちらか一人に決めなければいけないのだが……さて、オレから提案したのは戦闘の勝利者を選ぶというもの。お前はどうしたい? 戦って決めるのを是とするか否か」
「へぇ、面白そうじゃん。もちろん、俺は戦うぜ!」
夜刀が好戦的な笑みを浮かべて、指の関節を軽快に鳴らす。
「ちょっと待て、俺は戦わないと意思表示したんだぞ。どちらかが戦わないことを望めば戦いで決めるのは辞めるんじゃなかったのか」
「確かにそう言ったが、二人は知らぬ仲でもないんだろ? 遠慮は必要ないと思ってね」
まさかの展開に流斗は焦る。
そんな流斗の姿に何か思う所があるのか、カタリナが助け舟を出す。
「一度発言したことを撤回するのは、立場上いかがなものかと思いますが」
「たかが文官の分際で出過ぎたことは言うなよ」
「しかし、コガリュート様の意思を尊重せねば、私たちの国の威信に関わります。他の世界からこられたのに不当な扱いをされたとあっては……」
「……それを、それをお前ごときが言うのか。身の程をわきまえろ」
一蹴されてしまうも、カタリナは諦めずに反論するつもりだった。
レオの隣でカタリナを眺めていた夜刀は彼女の強気な姿勢に茶化すように口笛を鳴らしている。
見世物のように見られていることに怒りを感じるが、これ以上は彼女の立場を悪くするだけだと、夜刀を無視して流斗は彼女の前へ出る。
自分の行く末は自分で決めねばならない。いつまでも彼女に助けてもらうわけにはいかないのだ。
「小さな女の子をいじめて楽しいかよ」
「小さくとも、この国の役職を拝しているんだ。特別扱いこそよくないだろう?」
「コガリュート様、いいんです……」
「良くない。この国は綺麗な街並みだけど、お前はろくでもないやつだな」
「……ほう、オレに歯向かう奴なんて初めてだ。ヤトも面白い奴だと思ったが、なかなかどうして。お前も愉快な奴じゃないか」
流斗がレオに向かっていく姿に周囲が緊張していくのが分かる。皆レオを恐れているようだ。
事実、この国で彼に逆らえる者はいない。国王でさえも心のどこかで恐れている様子が見られる。
「さっきの部屋でもそうだったが、そこの黒いジジイ共々この子に厳しすぎるんじゃないか。俺のこともそうだが、権力を振りかざすのは美徳なんかじゃない」
「サイラスはどうだかわからんが……少なくとも、オレは権力を振りかざした覚えなどないが? 聞けばわかるが、この国においてオレの役職はない、あくまで食客扱いだ」
「それならば、何故?」
「逆に聞くが、自分よりも格段に劣る者を何故丁重に扱わなければいけないんだ?」
流斗はこの時、彼を最初に見たときに感じた違和感の正体に気づいた。
コイツはヒトを人間としての尊厳を認めていない。あるのは自分とその他。レオの瞳には流斗たちが一人一人の人間として映っていないのだ。
そして、流斗の脳裏には同じ瞳を持った人間の姿が亡霊のように浮かび上がった。
「ハハッ、流斗。コイツ、アレだ。アイツと同じこと言ってやがるぜ」
夜刀も同じ感想のようだ。二人の元の世界に存在した怪人、獅冬咲耶。己が道をただひたすらに歩み続けたバケモノはその果てに何を為したか。思い出しただけでも震えが止まらない。
「あんたの言葉を聞いたらますます、ここの英雄になりたくなくなったよ」
「ならば、どうする? ヤトはお前と戦うことを望んでいるが、お前の望みはなんだ? まだ、『わがまま』を聞いていないぞ」
その言葉にハッとする。
流斗は先ほどの会話を必死に思い出す。もしかして、この男はずっと試していたのではないのだろうか。
この人を食ったような笑みを浮かべている男ならば、ありえる話だ。
「そうだな。まず、カタリナの待遇の改善を求めようか」
流斗はニヤリと笑ってレオに要求を告げる。
周囲の人間はいきなり何を言い出すのかと不思議な顔をしているが、レオだけはしたり顔をしていた。
「自分のことよりも、まず他人のことの心配とはな」
呆れたようにレオは肩をすくめた。だが、心なしか楽しそうにしているようだ。
今まで自分の予想を越えてきた人間はいなかったレオにとって流斗の行動は新鮮で興味深いものがあった。
「そして、俺は絶対にこの国の英雄にはならないし、それなりの生活も送りたい。英雄の権利の放棄と引き換えにお金をよこせ。この要求が通らないのなら、他の国にこの国のダメなところを言いふらしてやる」
「「なっ」」
今まで存在感が消えていた老人ズが驚きの声をあげる。
効果があるかわからない脅しだったが、流斗の無茶苦茶な要求はレオを満足させるものだったらしい。
「……あんたは言ったよな。英雄として召喚されたのなら、何か要求するべきだって。『通るうちにわがままを言うのも世渡りには必要』これはあんたの言葉だ。それなら通してもらうぞ、このわがまま」
流斗の言葉にどこか満足そうな表情を浮かべるレオ。
心のどこかでその発言を待っていたのかもしれない。流斗にわかったと言うと、夜刀に向き直る。
「とまぁ、そういうわけだ。残念だったな、戦うのはまた別の機会にしてくれ」
「はぁあ? ふっざけんじゃねぇぞ! てめぇから言い出したことじゃねぇか。どうしてくれんだよ、この猛りをよぉ!」
「そいつに関してはいい解消相手がいる。今は鍛錬場にいるはずだ。後で行ってみるといい」
レオは王国最強の武人であるガイウスの存在を夜刀に紹介する。
それで収まるかはわからないが、相手がいなく暇を持て余しているガイウスにもいい話だと思った。
「どうやら、俺はお役御免でいいのかな」
「ああ、そうなるな。これほど血気盛んならば、戦闘において士気を上げるのにいい象徴になるかもしれないしな」
「……扱い方を誤るなよ」
「うちには似たような奴が既にいるんだ。二人になったところで変わらんよ」
レオの自嘲に流斗は呆れた顔を見せた。
どうやら、レオの中では夜刀をトップに据える算段が既についているらしかった。
そのことに安堵しつつも、もしかしたら彼に余計な手間をかけさせてしまったのか心配をしていると、気を使わせたのかレオが弁明する。
「気にすることはない。お前は正当な権利でもって英雄の座を辞退したのだ。それに、わざわざこの世界に呼ばれて来てくれたのだ。強要はしないさ」
「そう言ってもらえると助かる。あとカタリナの件忘れるなよ」
流斗の念の押しようにうんざりした顔をしてレオがうなずいた。
これで、この宮殿内のカタリナの待遇――主にレオとサイラスが原因だろう――は改善の兆しをみせた。
そのことに満足した流斗は宮殿の外に出る道を尋ねた。
「いいのか? 英雄ではなくとも、この宮殿にいることは許されるが……」
「宮殿に見知らぬ人間がいきなり二人も出てきたら皆不審に思うだろ。しかも、片方は英雄ときている。そうでない奴は余計な詮索をされないためにも、この場を去った方がいい」
「……悪いな。こちらの方で出来る限りのサポートはさせてもらう」
王国のサポートの確約を得たことで、これから待っているであろう異世界の生活に希望の明かりが灯った気がした。
「コガリュート様、ありがとうございます。その、私なんかのために」
「今まで生きてきた中で、俺を初めてまともに人間扱いしてくれたからな。そのお礼っていうか……短い間だったけど感謝している」
「そんな……」
流斗の言葉に感極まったのか、その優しげな瞳に涙の雫が溢れ出す。
女の子を泣かせたことで気まずい思いをする流斗だったが、不思議と嫌ではなかった。
「おいおい、古賀。せっかく会ったってのにどこか行っちまうのかよ」
夜刀が不満を露にして、流斗を睨みつける。
流斗からして見れば二度と会いたくない相手だったこともあり、一秒でも早くこの場を立ち去りたい気持ちでいっぱいである。
「ま、お前とは二度と会いたくないからな。できるだけ離れたところに行くさ」
そう言って、そそくさと夜刀から離れると、他の人間との挨拶もそこそこに流斗はこの場を後にした。
その姿を見たカタリナが慌てて、お見送りしますと名乗り出てくれる。
カタリナを連れ添った流斗はこの数時間の出来事を回想する。『学校』へ行こうとしたら異世界に飛ばされて。そこから始まる怒涛の展開は彼にゆっくりと考えさせる時間を与えてくれなかった。
宮殿の外に出たら、まず何をしようか。
流斗は異世界での生活に胸を躍らせながら、これからの生活に思いを馳せていた。
「……ではこれにて『白の王国』の英雄はヤトに決まった。サイラス、良かったな。お前の呼んだ男が英雄に決まったぞ……払った代償は大きかったみたいだがな」
流斗が視界から消えたのを見計らって、レオが残りの面子に向き直り、一連の出来事をまとめた。
レオの皮肉に開き直ったのか、サイラスが空元気に立ち上がりコーダに勝利宣言をした。
「は、はははははは。ほら見たことか、結局ワシの召喚した男の方が優秀なのじゃ!」
「……し、しかし、コガリュート殿だって英雄としての優しさは見せたぞ!」
「優しさでこの国は救えんよ。ふふふ、さっきも簡単に吹っ飛ばされておったじゃろう。あんな軟弱モノ、どうせ英雄になったとしても早々に死によるわ」
「あぁん?」
サイラスの発言に気に障ることがあったのか夜刀が不機嫌な声をあげる。
「てめぇ、今なんつった? 誰が軟弱モノだって?」
「え、そ、それは……あのコガリュートとかっていう男で――ぐぅ!」
最後まで言い切らぬうちに夜刀がサイラスの首を掴む。
万力のように締まる首に手足をバタつかせて必死に抵抗するサイラスに夜刀は歪な笑みを浮かべ、高らかに宣言をする。
「アイツが、古賀が軟弱? ハッ、笑わせてくれる。アイツはオレの知る中で最凶の殺戮マシーンだ。お前は気づかなかったのか? アイツの身体から発せられる拭っても拭っても消えない死臭がよぉ!」