三章 第零話
「ここは……どこだ」
気が付けば、流斗は漆黒の闇の世界を漂っていた。
「もしかして、あの時の場所か」
流斗には思い当たる場所だった。
それは、異世界に行くときに通った光のない暗き空間。
何もなく、何も感じさせない純粋な黒。
しかし、ここは不思議と怖さを感じさせない何かがあった。
「俺は……死んだのか……」
独白も闇に吸い込まれ、空虚さが際立つ。
誰もいない空間。
いや、ここには流斗以外に何かがいる。
「召喚されたばかりだっていうのに、いくらなんでも死ぬのが早すぎないか?」
軽薄な、人を見下したような声が流斗の耳に届く。
闇のせいで姿は見えない。しかし、確かにそこに何かがいるのだ。
「面白そうだから色々と手を加えたが……真逆、これほどあっさりと、虫けらのように死ぬとは予想外だったぞ。お前にかけた様々な諸経費を返して欲しいところだ」
傲岸不遜な声は聞く者の神経を逆撫でにする。
まるで自分こそが絶対の存在であるかのような物言いに流斗は、眉根を寄せて抗議する。
「俺はお前のために生きているわけじゃないんだ。俺の命、どう使おうが勝手だろ……また会ったな白の王国の何だったかな?」
「レオだ。ああ、何。別にお前に名前を覚えてもらえることなど期待していなかったし、これからも俺のことを忘れてもらって構わない」
そう言って姿を現したのは、白の王国宮殿内で会ったレオと名乗った青年だった。
ゆったりとしたローブを着込み、最初に会った時よりも煌びやかな印象は薄れたが、どこか神秘さを感じさせる。
「驚かないんだな」
「驚いているさ、これでも。それで? 俺はあのまま死んだのか?」
流斗は意識を失う前のことを思い出していた。
フリッカの血を摂取したことで自我をほとんど失っていたグスタフを倒したこと、その後に血の流し過ぎで倒れてしまったこと。
思い返せば、なんとも情けなく呆気ない終わりに流斗は恥ずかしくなるが、死んでしまえばそんなことは些細なことだと思えた。
「ああ、死んだ。あの狂人に貫かれた腹から滔々《とうとう》と流れた血の多いこと。それはもう、必然とも言うべき当然の死だった」
わざと振舞っているのか。
まるで劇の演者のように尊大に、かつ雄弁に語る様は自分が絶対の力を持つ者と勘違いをしている道化のようだ。
ここでの彼の雰囲気は宮殿で出会った時とは違い、何か悪逆めいたことを計画している悪魔の如き禍々しさを放っている。
「そうか……それなら、仕方ないか。まぁ、思ったような苦しみもなくて、逆にこれで良かったのかもしれないな」
流斗の言葉にレオは不機嫌そうに顔を歪める。
「おいおい、そんなあっさりと己の死を認めてもらっては困るな」
「別にお前が困る必要がないだろ」
「あるさ! 多いにあるとも。何度も同じことを繰り返し言わせるな。俺はお前に賭けて私財を擲ってまで無理に召喚にねじ込んだのだから。こんな物語も序盤で死なれては、面白くないではないか」
「無理に……?」
レオの言葉に訝しげな表情を浮かべる流斗。
この男は何を言っている。
まさか、夜刀も呼び出した二つの召喚の儀式のことを言っているのか。
いや、違う。
流斗は改めて、自分が呼ばれたときのことを思い出していた。
「そういえば、俺は他の召喚された奴とは違う呼ばれ方をしたような感じだったな」
それは流斗がこの世界に召喚され、おっぱいちゃんことパレスに治癒の魔法をかけてもらった時の会話。
『召喚酔いがない』
あの時は深く考えなかったが、やはり、自分は些かイレギュラーな存在なのかと流斗は考えついた。
「自覚があるのなら、それ相応の振る舞いをしてくれ。こちらの手を煩わせないでいただきたい……まぁ、これから気をつけるというのならば、こちらもそれなりの手助けはしてやろう」
「手助け?」
「もう一度、あの世界で足掻かせてやると言っているのだ」
レオの申し出に流斗は目を丸くする。
死んだというのに、もう一度人生を歩ませることができるとは、この男は神か悪魔か。
「お前は一体……いや、もしお前がそれを可能だとしても、俺は蘇りたいとは思わない」
しかし、流斗はレオの提案を否定する。
「俺はきちんとした人として、人生を全うするつもりだ。蘇りなんてゾンビみたいなものは勘弁だ」
「そうか、お前の意思はそこまで固いのだな……それならば、あの世界は終わりだな」
重く、ある事実をレオは宣告する。
その突然の内容に流斗は動揺してしまう。
「どういうことだ」
「どうもこうも、わかっているだろう? あの世界にはお前の育ての親がいる。あの女が面白そうなものがたくさんある世界で黙っているわけがないだろう」
「何故それを……」
「あの女は今、帝国にいるぞ。どうやらお前と同様に向こうの英雄の一人として呼ばれたようだな。今までは大人しく過ごしていたようだが、そろそろ本格的に動き出すかもしれん。そうなれば、お前の元いた世界と同じ末路を辿るだろうな」
流斗はレオの言葉に表情を暗くする。
かつて日本と呼ばれていた国。しかし、それはある人物の圧倒的な暴力の前に沈んでしまった。
ただ暴れたわけではない。
それは何の悪意もない無邪気な破壊だった。
彼女と彼女に付き従う獣の軍勢は自由気ままに、楽しげに、己の欲望を解放した。
結果、日本という国はその有様をまるっきり変えることとなる。
弱いものは淘汰されるディストピア。
そんな生存競争の激しい世界で流斗は――。
「だが、ここではそんなことにはならないだろ。この世界には強い奴がもっといるはずだ」
「本当にそう思うか? お前が戦った二人組、アレは裏では名の知れた賞金稼ぎだ。実際に戦ってみてどうだ。あの女を止められると思うか?」
「……」
思えない。
流斗は全身が震えるのを感じた。
もし、正しく召喚が成功しているのだとしたら、七生は何かしらの能力を得ている可能性が高い。
ただでさえ強いのに、これ以上の力の上積みは彼女をどれほどの高みへと導くのだろうか。
「そこで、お前の存在だ」
流斗はレオの顔を見た。
アレはまさにヒトの顔を被った悪魔だ。
「お前をあのバケモノにぶつける。そのために、お前を特別仕様にしたのだ」
聞き捨てならない言葉に流斗は声を荒げる。
「まぁ、怒るな。別に悪い話ではないだろう? 強くなることに何の問題がある」
「俺は――俺は、もうあんな思いをするのはゴメンなんだ。だから、フリッカの申し出も断った。これ以上、俺を戦いの世界に居させないでくれ」
「……はぁ。なんだこの腑抜けは。戦いたくないから逃げるつもりか? 元はと言えば、お前があの女にトドメをさせなかったからだろうに」
「ッ!? 何故それを!」
それは誰にも知られたくない事実。
流斗と七生との間にあった、ある出来事。
「お前には責任がある。あの女を野放しにした責任が。それを果たすためには、もう一度あの世界に降り立ち、務めをこなせ」
「……お前が何故あのことを知っているのかが気になるが、それだとしても俺は」
「戦いは楽しくないと。世界を救う気はないと」
「楽しむ方がどうかしている」
「……こうまでしても戦いを拒絶をするのならば、最後にこれだけはお前に伝えておこう」
レオはさらに流斗との距離を縮める。
男にしては長い髪を揺らしながら、魅力的な目元に人を軽んじる笑みを浮かべ、悪魔はついに流斗と触れ合う位置までたどり着く。
「――」
そして、警戒する流斗の耳元で何事かを囁いた。
「……そんな馬鹿なッ」
流斗の瞳が驚愕と絶望に染まる。
それは余りにも信じがたいことで、流斗の体に衝撃が走った。
できることならば知りたくはなかった事実を知ってしまった流斗は、ある決断を迫られる。
それは、何度も捨てようとした暴力の行使。
「このことを知ってもなお、お前は逃げ続けるのか?」
「……お前は、悪魔だ」
「そうかな。いや、そうだろうなぁ、お前にとっては。だが、俺の計画が完遂されれば、俺は、俺こそが真の英雄となる」
レオの計画に乗るのは癪だが、それでも為さねばならぬことがある。
それだけの力が、流斗にはあった。
「……お前の言うことが本当なら、俺は」
自分の信念を曲げてでもこなさなければならないことがあるとは思わなかった。
流斗はそう思いながら、悪魔の提案に乗ることを決めた。




