二章 第十四話
「は?」
予想だにしない攻撃をもらったさいに出た言葉はなんとも情けないものだった。
流斗の腹を貫いた不可視の鎖はそのまま霧散して消えた。
貫いたままなら鎖が血の噴出を防いでいただろうに、消えたことで流斗の中からドロリと多量の血が流れ出る。
「お兄さん!」
フリッカが血相を変えて流斗に近づく。
流斗は今何が起こったのか、薄れゆく意識で必死に考える。
一撃をもらっても、次の攻撃を防ぐために状況を分析する必要があった。
「馬鹿な……」
そして、ある結論にたどり着いた。
流斗はグスタフの声が聞こえなくなったことに違和感を覚え、その姿を探し自身の視界の中に捉えていた。
それにも関わらず、鎖はグスタフのいる場所の反対から飛んできた。
「まさか、どこからでも鎖を出せるようになりましたってわけじゃないよな」
ハンスもグスタフも最初は不可視の武器を出せるようになっただけ。
そこには自分だけが見えるという特異を除けば、魔法が飛び出たり追加効果を発生させるような付加価値はついていなかった。
しかし、今の攻撃は自分が意図したところに不可視の武器を呼び出せるようになったとしか説明がつかない。
それは、使いようによっては不可視の鋼鉄の弾丸を射出できるようになったことを意味する。
「おいおい、血を飲んで失うものがあるのはわかったけどよ。得られるものの上限はどこまであんだよ!」
「そんなのわかんないよ! 私の血を飲ませたのはヨゼフとあの二人だけだし……ヨゼフはなんか大きくなって力が強くなったみたいだけど。他にどんな能力が得られるかなんて……」
流斗は腹部からとめどなく流れる血に舌打ちをする。
「情けない。こんな不意打ちに反応できないなんて。俺は一体なにしているんだ」
流斗は徐々に身体の力が抜けていくのを感じていた。
膝をつき、上半身に力が入らないため前のめりに倒れそうになる。
それをフリッカが支え、地面に倒れずに済んだ。
「ハ、ハハ……ざまぁないですね」
息も絶え絶えなハンスが流斗を嘲笑うかのように口の端を歪める。
流斗に入れられたダメージが抜けてきたのだろう。命を奪うことを恐れた流斗が手加減をしたことがここにきて裏目になる。
「僕をここまで馬鹿にしたバツです。せいぜい、苦しむがいい……グスタフさん。トドメは僕が刺しますけどいいですか」
ハンスは相棒に流斗にトドメを刺す許可をもらうべく後ろを向いた。
「グスタフさん、どうして返事をしないんです」
返事のない男にハンスは苛立つ。
血を飲む前ならば多少待つことも、相棒の様子がおかしいことにも気づいたハズである。
しかし、重ねて言うが、フリッカの血を飲んだことでハンスから正常な状況判断能力は損なわれていた。
「ハンスさん、いい加減にぶっ――」
唐突に、首があらぬ方向へ折れ曲がる。
人間の首はあそこまで伸びるものなのだろうか。
首の中央辺りに何かが突き抜けたせいで、その勢いで頭の頂上が飛んできた何かの方向に向いた。
「――ッ」
言葉にならない濁った空気がどこからか漏れ出ている。
ハンスはぐるりと視点が回るのを感じながら、自分の身に起きたことを考える。
だが、いくら考えようとしたところで、失くした思考力では何も思いつかなかった。
「仲間割れ?」
「いや、あの様子では……」
グスタフは完全に自分の世界に入ってしまっているようだ。
彼の目の前では過去の風景が展開されていた。
あの日、助けられなかった彼女を助けるため、グスタフは目の前の敵を倒し続ける。
「わっ」
流斗はフリッカを自分の方に近づける。
タイミングが良かったのか、フリッカの髪の上を何かが通り抜けていった。
「お兄さん、大丈夫?」
「大丈夫に見えんなら、病院いった方がいいぜ。必要としてんのは俺の方だけど」
流斗は軽口を叩きつつも、目の前の狂戦士をどうするか考える。
積極的に攻撃を仕掛けてこないのは、こちらをまだ完全に敵と認識していないからか。
「出来ることなら逃げるんだが……クソッ、体に力が入らない。フリッカ、先に逃げるんだ」
「それはダメ」
フリッカから力強い声が発せられる。
それは誰の意思にも曲げられない、絶対の響きを孕んでいた。
「私のせいで傷を負わせてしまったのに、お兄さんを置いて逃げることなんて出来ないよ。それに、ヨゼフのこともある」
最後の言葉は激しい憎悪を含んでいた。
彼女は復讐をするつもりなのか。
「月並みな言葉になっちゃうけど……アイツは、そんなの望んでいないと……思うぜ」
「……お兄さんに言われなくてもわかってる。でも、これは、そんな風に割り切れる問題じゃない」
フリッカの頭にはヨゼフと過ごした日々が思い起こされていた。
それは恋人のような甘いものではなく、どこか主従関係を思わせた。
図らずも、それは流斗が言った『お姫様』と護衛の騎士のような関係だった。
「出来ることなら、私はアイツにも同じ目を遭わせたい。でも、今はお兄さんをなんとかしないといけないってわかってる」
「それは良かった……」
流斗は痛む体を我慢してフリッカに苦し紛れの笑みを浮かべた。
「ア、ア、アアアアアアアアア!!」
獣の咆哮が路地裏に木霊する。
グスタフが突如、叫び声を上げたのである。
「ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ」
再びうわ言のように同じ言葉を繰り返す。
それと同時に辺りの建物の壁が不規則に削れ始めた。
舞い上がる埃で微かに鎖の軌道が見える。
「ハッ、無茶苦茶だな、おい」
流斗に見えたのは数多の蛇が蠢いているかのように絡みついている鎖の束だった。
そして、グスタフの視線が明確にこちらに向けられてしまった。
「あぁ、目をつけられたな。さて、どうする? 俺を置いていけば助かると思うが」
「言ったでしょ。お兄さんを置いていけないって」
「とは言え、腹に穴が空いた状態でアイツを倒すのはムリだぞ」
「……一つだけ、方法はなくもない、けど」
フリッカが歯切れの悪い口調で答える。
その様子に流斗は察しがついた。
「まさか、俺にも飲めってわけじゃないだろうな」
「そのまさかだけど」
フリッカは悪魔めいた発想に興奮しているのか、流斗を上目遣いで見つめる。
あわよくば、グスタフを倒してもらえると期待しているのだろう。
しかし、飲めば何かを失う。飲まなくてもグスタフにやられる可能性はある。
逃げ場のない選択に流斗が選んだのは――。




