二章 第十三話
「ほらほら! もっと早く動かないと斬られちゃいますよ!」
ハンスが流斗に迫っていく。
その動きに合わせて路地裏の壁が不可視の刃に乱雑に削られていく。
流斗は直感を頼りにハンスの攻撃を避けるが、体には既にいくつもの傷がついていた。
「見えない武器とか、ぶっちゃけ卑怯じゃねぇ?!」
流斗は不満を口にするが、事態は好転しない。
「オマエ、スクウ」
低く重い声が流斗の背後から聞こえた。
同時に身体に負荷がかかり、思うように動けなくなる。
「またこれか!」
ハンスとグスタフ、二人に共通して現れた能力は他者には見えないというもの。
ハンスは刃、グスタフは鎖。
元々の得物がそのまま能力として顕現したと考えられるが、不可視の属性が付与されたのは彼らの心に依るところが大きい。
「コレデ、コレデ、アノコ、スクエル」
グスタフは救うことの出来なかった少女の姿を脳裏に焼き付けながら、不可視の鎖を流斗に幾重にも絡みつかせる。
それは揺りかごのように、何重にも重なりあって流斗の動きを封じた。
「グスタフさん、そのまま動き封じといてくださいねぇ! お兄さんが厄介なのは素早いことなんですから。どうです、思うように動けない気持ちは?」
気分が高揚して饒舌になるハンスに流斗はしかめっ面を見せた。
ハンスの言うとおり、速さを封じられた流斗は戦い辛さを感じていた。
しかし、言うほど辛くはなかった。
「全く、新しい玩具を買ってもらった子供のようにはしゃぎやがって……いや、アイツは子供か。まぁ戦い難いけど、どうにもならないってほどじゃあないな!」
「フッ、負け惜しみを!」
ハンスは蛇腹状に連なる刃を流斗目掛けて突き刺す。
不可視のソレは回避不能――の、ハズだった。
「確かに見えないってのは脅威だが、ソレを扱うのがプロならばって話だ」
流斗は動きにくい身体を最小限に捩ってハンスの一撃を紙一重で躱す。
避けられるとは思っていなかったのだろう。
ハンスは驚きで目を丸くする。
「くっ、グスタフさん! しっかり動き封じておいてくださいよ!」
「タスケル、タスケル、タスケル」
「ああ、もう! さっきから何を言っているんです! 今は任務に集中してください!」
ハンスがキレ気味に叫ぶ。
流斗はその隙を見逃さなかった。
「力に浮かれているお前らは素人丸出しの動きなんだよ!」
不可視とはいえ実体はある。
ハンスの刃は言うに及ばず、グスタフの鎖など魔法のようなバインドではなく見えないだけで鎖そのものと言っていい質感を持っていた。
流斗は体に巻きつく鎖を握り、力の限りハンスに向けて振った。
「ぐっ――」
音こそしないが、流斗の手にぶつかった衝撃が伝わる。
「どういう原理か知らないけど、見えない武器を出すだけなのか? それならば、いくらでも対応しようがある」
「……馬鹿な! 見えないものにここまで合わせてくるとは」
「言ったろ? お前ら動きがバレバレすぎ。いくら凄い能力を手に入れられたとしても、使う人間がアホだと弱いままなんだよ。さっきも言ったけど、よく今まで生きてこられたと思うぜ」
ハンスは流斗の言葉について考えようとするが、何故か頭が働かない。
自分は賞金稼ぎとしてプロの自覚を持ってことにあたっていた。
その経験は年齢の低さを感じさせないものだったハズだ。
しかし、先程からまともに思考がまとまらない。考えようとしても、身体がソレを拒否してしまう。
「タスケル、タスケル、タスケル、タスケル」
グスタフにいたっては心ここにあらずという状態だ。
何かの幻想を追って体を動かしている様子で、目の前のことが見えていない。
これでは流斗の言うとおり、弱体化もいいとこである。
「そんなハズがない! 僕は凄い力を手に入れて強くなったんだ!」
ハンスが不可視の刃を体中に展開し、流斗に再び接近する。
「いや、もうソレ見飽きたし」
流斗はハンスの攻撃によって崩された壁の欠片の石を手に取ると、全力でハンスに向かって投げた。
「無駄です!」
ハンスは刃を巧みに動かして目の前に飛んできた飛翔物を粉々に粉砕する。
だが、途中で何かに引っかかったかのように絡まり、蛇腹の操作が困難になる。
「――どうして」
「不可視ってのは強いけど、こういうコンビを組んでいる場合。邪魔なだけだよな」
流斗は何かを持っているかのように右手を掲げる。
ハンスにはソレが何かは見えなかったが、働かない頭でも理解できてしまった。
「まさか、グスタフさんの!」
流斗はグスタフの不可視の鎖も石と同時に投げていたのである。
お互いに不可視の武器は見えない。故に、回避のしようもなかった。
「まっ、考えればすぐに気づくだろうに。そこの男といい、直情的過ぎるんだよ!」
流斗が距離を詰めることにハンスは慌てる。
能力で出した刃ならば、自分の意思で消すことも可能だった。
グスタフの鎖をほどくために、一度蛇腹剣を消して再度顕現させればいい。
しかし、フリッカの血の副作用による思考力の欠如は、そんな簡単なことでさえ思い付くことを許さなかった。
「くっ、なんで動かないんだよ!」
「もう一度地面に臥してろ」
流斗はパニックになっているハンスの腹に一撃をお見舞いした。
そして、くの字に折れ曲がった体で頭を突き出した状態のハンスに追撃を食らわせる。
「――ッ!!」
致命的なダメージにハンスは息も絶えそうになる。
地面に汗が滴り落ちる。口からは体の危険を知らせる真っ赤なものも垂れた。
視界が明滅する。心なしか霞んできているようだ。
「子供にしては頑張ったんじゃねぇの? でも、弱いな。その不思議な力を有効的に使ったとしても七生はおろか、夜刀にも勝てないだろうな」
流斗は異世界に来ている二人を引き合いに出した。
どちらも戦いに関しては熾烈で苛烈で容赦がない。
「だから戦いたくなかったってわけでもないが。想定以上に弱くて良かったよ。実力差がなかったら殺していたところだ。それだけは……それだけはどうしても避けたかった」
流斗の言葉が通りに響く。
予想外の攻撃もあったため、流斗の体のあちこちに傷がついていた。
それでも、満身創痍というわけでもなく、まだまだ余力を感じさせた。
「勝った……の?」
戦況を見ていたフリッカが声を漏らす。
そこには安堵の気持ちが含まれていた。
見れば、先ほどの騎士の鮮血で汚れてはいるものの、二人の賞金稼ぎにつけられた傷以外の傷はないようだ。
「いや、まだ一人残ってるけど……なんか正気を失っているようだし大丈夫なんじゃないか」
「……お兄さん、だよね?」
「……? そうだけど、どうした?」
「いや、なんか雰囲気がさっきと違うし。もしかして、お兄さんも私の血を飲んだ?」
「飲んでないよ。てか、飲むとああなんの?」
流斗はハンスたちを見た。
血を飲んだことで初撃のときと比べ、彼らの気が乱れ弱くなった印象を受けた。
「私の血を飲むと、力を得る代わりに何か失うんだ。たぶん、あの二人はそれぞれ考える力とかを失ったんだと思う」
「決まってないのかよ。ああ、確かあの……」
「……ヨゼフは声を失った。失うものは決められないし、場合によってはそのまま命を失うこともある」
「ロシアンルーレットもいいとこだな。よくもまぁ、そんな不確かなものにすがれるな。英雄召喚といい、この世界の住人ってギャンブル好きだったりすんの?」
「お兄さんが何を言っているのかわからないけど、とにかく助かったよ。お兄さんがいなかったら……考えるだけでも恐ろしい。それに、ヨゼフのこともある。だから、さ。お兄さん……まだ、生きてるよ」
フリッカは膝をついて苦しんでいるハンスと壁に向かって何事かを呟いているグスタフに憎悪の視線を送る。
ヨゼフの最後を思いだしているのだろう。
彼女の瞳は復讐の炎を灯しながらも、とても美しく、悲しげに見える。
「悪いけど殺しはしない主義になったんだ」
「あの女の知り合いなのに?」
フリッカが流斗を見ずに言葉を発する。
あの女。七生のことだろう。
流斗はやれやれと首を振ってフリッカに手を差し出す。
「俺はあのヒトとは違う」
「……そう」
フリッカは差し出された手を一瞥すると、流斗の言葉に失望したかのように顔をふせた。
今まで一緒にいた相棒を失い気落ちしている様子に、流斗は何も言えずにいた。
血で汚れた金色の糸がハラリと彼女の小さな肩から滑り落ちる。
「アイツの頑張りがあったからこうして助かったんだし。復讐を考えるより、次に何をするか考えた方がいいぜ」
「……」
重苦しい空気が場を支配する。
静まりかえった路地裏に流斗は居心地が悪くなった。
彼女を励ますつもりが、余計なことを言ってしまったことに気付き、流斗の背中に嫌な汗が流れる。
「いや、静かすぎないか?」
流斗はもう一つのことに気づいた。
長身の男の声が聞こえないのだ。
戦いの場において、敵の変化に即座に対応できなければ致命的な事態に陥ってしまう。
そして、流斗が警戒をし始めたのと同時に、彼の腹部を不可視の鎖の槍が貫いた。




