二章 第十二話
「随分と血なまぐさい日々を過ごしていたんですねぇ」
ハンスが起き上がりながら目の前の流斗を睨みつける。
グスタフを見れば刺された腕を押さえてフリッカをハンスの側に寄せていた。
「まぁ、俺のいた世界は殺人鬼がウヨウヨといたからなぁ。そのための『学校』が作られるくらいだし。正直、俺がここでどこまでやれるのかは不安だったんだが、どうやら杞憂だったようだ」
流斗のハンスを、いや、この世界に住む人間を舐めた発言にハンスとグスタフは怒りを覚えた。
「どこの人間かはわからないですけど、随分上から目線ですね」
「一応、英雄だし? あそこまで英雄と言われ続けたら、自覚持たなきゃダメかなって。それに久々の実戦で気分が高揚しているみたいだ」
流斗はグスタフの戦意を殺ぐために刺したナイフをクルクルと器用に扱う。
ハンスが流斗に後ろから襲いかかってきたあの時、流斗は躱しながら、左手に持っていたナイフを右手に持ち替え、去り際に一撃をグスタフの腕にお見舞いしていた。
その早業にハンスは流斗が只者ではないことを改めて認識した。
「それで? 改めて聞くけど、お兄さんはこの『お姫様』を助けに来たんだよね」
先ほど流斗が調子に乗って発言した『お姫様』という言葉を強調してささやかなお返しをする。
ハンスはこの状況を切り抜けるための方法を考えていた。
相手は恐らく自分らより上。しかも、こちらは先の戦いで消耗している。
武器も壊れている状態で戦いを続けるのは、上策どころか下策もいいところだ。
「グスタフさん、行けます?」
「……ムリダ。アイツ、ハヤイ。ソレニ、ケハイ、ヘン」
「気配が変、ねぇ。フリッカにも言われたけど何なんだ? もしかして、俺から変な匂いでも出てんのか?」
流斗は腕を鼻に近づけて匂いを嗅ぐが、自分では気づかない。
七生と似たような気配とも言っていた。
つまり、一緒に暮らしていて何かしら身体に染み付いたのだろうか。
「だとしたら、嫌だなぁ。なんか変な病気みたいじゃないか」
流斗は暗澹たる気分になるが、今更嘆いていても仕方ない。
とりあえずは、フリッカを救出すること。それが済んだら、彼女の願いを聞いて七生を見つけ出すのもいい。
流斗は気合を入れ直し、目の前の子供と長身痩躯の男に狙いを定める。
「……グスタフさん。クライアントの要望は彼女を生きたまま捕らえることでしたよね」
「……ソウダ」
ハンスの呟きの真意がつかめず、グスタフは首を傾げた。
どういうつもりで任務の確認をしたのか。そんなことはわかりきっているだろうに。
「それならば、多少傷がついていても大丈夫ってことですよね。どうせ彼女の生き血が欲しいだけでしょうから、吸い口として少し傷がついていても許容範囲ですよね」
「――!」
グスタフはここにきてようやく、相棒の考えを理解した。
武器もない。体は満身創痍。それならば、目の前の彼女を使って、回復すればいい。
「ん?」
流斗はフリッカの血の効能については聞いていた。
しかし、それは彼女が賞金首となった経緯を彩る道具でしかなかった。
流斗は彼女が持って生まれた血のせいで追われる身の上になった不遇さを同情しており、その原因となった血の価値になど興味を示していなかったのである。
だから、遅れた。
敵がパワーアップをしようと画策していることに考えが及ばず、まさか、目的の彼女を傷つけるとは思いもしなかったのである。
ハンスはフリッカの綺麗な腕に刃を入れるとその刃先に付いた血を舐めとった。
グスタフも後に続いて、彼女の宝石のような真っ赤な雫を口に運ぶ。
「何を……ッ!」
流石に腕を切られて寝ているほどフリッカは鈍くはなかった。
自分の腕を切られた違和感に目を開くと、あの二人が自身の欠片を体内に入れたところだった。
「ああ……なんてことをッ」
フリッカの絶望に染まった声が路地裏に響き渡る。
女の悲鳴は周囲によく通り、表で巡回していた騎士たちが声を聞きつけて駆けつけてくる。
「何だ! 何があった!」
三人組の騎士が現場を見て混乱する。
女性と子供に二人の男。何も知らない人間が見たら、暴漢に襲われているようにしか見えないだろう。
「貴様ら、何をしているか!」
「待て、あの男は……いや、あの方はカタリナ様がご執心の」
「何故ここに、一体何があったのですか」
無用心にも、ハンスの横を通る騎士たち。
流斗のことに気づいたため、警戒すべきは長身の男、グスタフだけと判断したのだろう。
「待った! その子供も仲間だぞ!」
「え?」
流斗の警告も虚しく、次の瞬間には騎士の首が飛ぶことになっていた。
騎士の首から鮮血が噴き出す。
それは辺りに血の雨を降らし、近くにいたフリッカに真っ赤な化粧を施した。
「アルス! き、貴様、何をした!」
生き残った二人の騎士がハンスに剣を向けるが、次の瞬間には腕ごと細切れにされていた。
「なっ――」
不可視の刃が騎士を次々と解体していく。
断末魔の叫びを上げる暇すら与えず、フリッカの悲鳴に助けにきた騎士三名はハンスによって活躍の機会すら与えられずに命を落とした。
「ハッ、ハハハハハハ! 何だこれは、こんなの、修行するのが馬鹿らしくなる!」
ハンスは身体の内からわき起こる力に夢見心地になる。
フリッカの血を飲んだ瞬間にわかる変化、彼の目には自分の意思で自在に動く刃が見えていた。
勿論、それはハンス以外には見えていない。
不可視の蛇腹剣を手に入れたも同然の力はフリッカの血を飲んで得たハンスの能力だ。
「グスタフさん、あなたは何を手に入れましたか?」
「コレハ、デキル、シバレル、アイツ、アノコ、ミンナ、タスケル」
「まぁ、テンション高いし、何かに目覚めたんでしょうね。いやぁ、あの大男のこともありましたし、身体能力の強化くらいだと思っていたんですが。まさか、異能の力を目覚めさせてくれるとは、これは予想以上ですよ」
「……おいおい、マジかよ。こっちは、そんな力は異世界召喚を経ても手に入れてないんだぞ」
流斗は目の前で起きた常識を疑う光景に口を開けてしまう。
目の前で目に見えない刃で切断されていく騎士たち。
あんなの、どう対応すればいいのか見当もつかなかった。
「でも、やるしかなさそうだな。おーい、フリッカ。元気かぁ」
流斗は目を覚ましたフリッカに声をかけた。
展開に追い付けないのか、先ほどの悲鳴から反応がない。
ただ、身体を震わせているだけである。
「あ、あ……」
ヨゼフを失ったショックがまだ心を引きずっているのだろう。
自身の血を吸われたことで、無関係の騎士を死なせた責任も感じているのかもしれなかった。
「取り敢えず、お姫様の正気を取り戻すためにも、こいつらを片付けるとしますか」
「ハハッ、出来るんですか、お兄さん。僕たちが血を得る前にケリをつければ良かったのに、舐めてかかるからこうなるんです」
立場が逆転したことに優越感に身を委ねているハンスが流斗を挑発する。
これほどの力。権力者が欲するのも納得できる。
しかし、ならば何故、過去に彼女の一族から搾り取った血で強化された兵が世界を牛耳らないのか。
ハンスの力に溺れた頭は考えることを放棄してしまっていた。
それが己の身を滅ぼすことになるとは、今の彼には想像しろというのが無理な話だった。




