二章 第九話
「中央通りから離れてしまうんですけど、ここら辺は静かで過ごしやすいんですよ」
カタリナは流斗に王国での拠点となる住居の案内をしながら、周辺の地理の解説も行う。
誘拐騒動が一段落して、流斗はアウルスら事後処理を続ける騎士団と別れて、カタリナと少数の護衛を引き連れていた。
これから向かう新たな住処に胸を高鳴らせる。
「場所さえ教えてくれれば良かったのに、わざわざ案内してくれてありがとう」
「何言ってるんですか。リュート様を一人にしてしまったら、また騒動に巻き込まれてしまうじゃないですか」
どうやら、今回の一件でカタリナに心配性という属性が付与されてしまったようだ。
自分より小さな女の子に甲斐甲斐しく世話されるというのは世の男性の共通の夢だろうが、王国の文官としての立場がある彼女に余計な仕事を増やしたくないのは流斗の本心だった。
「そんな、私の心配なんて……でも、リュート様は王国に召喚された英雄という事実はあるんですから、無碍な扱いになんてできませんよ」
「辞退しているんだから、その、いつまでも英雄扱いをされるのは心苦しいというかなんというか」
「何度も言いますけど、私にとって、リュート様が英雄であることには違いないんです……白の王国は他の国と比べても栄えている大国です。しかし、あの方。レオ様が現れてから、王国は王道から覇道を歩むようになりました」
「覇道?」
覇道といえば武力による権力政治のことだが、流斗は召喚された後に集まった広間で見かけた将軍の姿を思い出していた。
「ガイウスって言ったっけ。あの人って元からいたんじゃないのか?」
「ガイウス様はレオ様が見出した方なんです……」
カタリナは後ろをついてくる護衛を盗み見て、声を小さく潜めて話を続ける。
「昔は現国王のマルクス様が穏やかに統治されていたのですが、御子息のルキウス様が行方不明になられてからはレオ様とサイラス様が中心となって国を動かし始めました。それからというもの、他国の侵略が問題となり、国王様もそのことでお体を崩されて……。徐々に国が戦いの道を進み始めているのが、私、怖くて」
カタリナは暗い顔をして、流斗に感情を吐露していく。
流斗は彼女を安心させようと何か言おうとしたが、この世界に来たばかりの人間の言葉など当てにならないものはない。
まして、流斗はこの国を救う英雄の座を降りているのだ。
気休めの言葉をかける権利などあるはずがない。
「でも、リュート様は立場が弱くなりつつあった文官の私の待遇の改善を求めてくれました。もしかしたら、私にまだ何かできることがあるかもしれない。司祭様と共に他の道がないかと模索していく勇気をいただきました。だから、リュート様は私にとっての英雄なんです」
しかし、彼女は流斗の不安を払拭するかのような笑顔を見せてくれた。
そのことに流斗は救われた気持ちになるが、微かに震えている彼女の腕が不安の大きさを物語っていた。
健気な彼女を何とかして助けたいと思う流斗だったが、戦いを捨てた彼には有効な方法を思いつくことはできなかった。
「あ、あのさ。戦うことは出来ないけど、何か手伝えることはないかな」
「え?」
カタリナが流斗の顔を驚いた様子で見上げている。
困っている人間をそのまま見殺しにするほど、流斗は人の心を捨てたつもりはなかった。
あくまで、戦いという手段を取らなくていいというのならば、少しくらい手伝うことをしてもいいかもしれないと思ったのだ。
そんなことを考えながらカタリナを見つめていると、どこかで嗅いだことのある懐かしい匂いが流斗の鼻を刺激する。
それは流斗の心が粘着度の高い液体で満たされるような不思議な感覚を思い出させた。
「どうかしましたか?」
流斗の異変をカタリナが心配そうな眼差しで尋ねてきた。
「いや……何でもない……ただ、なんか落ち着く感じがして」
要領を得ない流斗の回答にカタリナの頭に疑問符が浮かぶ。
空は雲によって覆われ、明かりがほとんどない状態だ。
お互いの顔がよく見えはしないが、護衛の騎士が持っている灯りが心もとなく周囲を照らしている。
街の宮殿に続く中央通りには街灯らしきものがあったが、外れの方まで来ると道を照らす明かりは自然のものしかなかった。
流石に大国といえど、現代のように電気やガス灯が普及しているわけではないようだ。
先ほどの匂いが徐々に強くなっていく。
「とにかく、戦うことは無理だけど、それ以外なら手伝えると思うから」
「ありがとうございます。でも、よろしいんですか?」
「できることなら、この世界を色々見て回りたいから、なるべく配慮してくれるとありがたい」
「フフ、わかりました。何かありましたら、その時はよろしくお願いしますね」
匂いが流斗の意識を蝕んでいく。
カタリナの無邪気な笑顔が別のモノに見えてくる。
アレは誰だ。
「な――」
流斗がカタリナに誰かの名前を告げようとしたとき、何かを発見した護衛の騎士の言葉で邪魔をされる。
流斗は不満げな視線を声をあげた騎士に向けるが、当の本人は物陰に隠れている何かに向かって慎重に足を運んでいた。
匂いが、むせ返るような匂いがそこから立ち込めている。
「おい、誰かいるのか?」
夜の闇のせいでおぼろげだが、ソレは倒れている人のようにも見える。
もし、体調を崩した街の人間だったら大変だと、騎士は慌てて駆け寄る。
「どうした、具合が悪いのか。安心しろ、私は王国所属の騎士だ。なにかあったのなら、相談にの――ッ」
漆黒の世界に一筋の光が差し込む。雲の隙間から月明かりが漏れ出て、倒れている男の姿を明確に浮かび上がらせる。
その男は不自然に首を傾けていた。
まるで人形のように力のないソレは、赤黒い肉の見える首から流れる真っ赤な液体で地面を濡らしていた。
「こ、これは……一体……」
死体を見たカタリナが悲鳴を上げる。
動揺が波のように他の護衛の騎士にも伝わっていく。
突然の事態に呆然と立ちすくむ者。
助けを呼びに駆け出す者。
周囲に犯人がいないか警戒し出す者。
彼らの取った行動はいずれも納得、理解できるものだ。
しかし、その中でただ一人。明らかに異常とわかる表情を浮かべている者がいた。
「……ハハ。さっそく、ご対面ときたか」
流斗は死体に向かって諦めたような口調で恨み言を呟く。
しかし、言葉とは裏腹に彼の顔は、探し求めていた玩具を見つけた子供のように晴れやかで、どこか歪んで見えた。
「おい! 奥の方にも誰かいるみたいだぞ!」
非常事態に周囲の警戒を行っていた騎士が、通りから外れた路地裏で何かを見つけ声を上げる。
その声につられた騎士が確認のために行くと驚きの声を出した。
「コイツ、先程の!」
弾かれたように、流斗は路地裏で彼らが見つけたものを見に動いていた。
そこは何かの戦闘があったのか、周囲に様々な傷を与えボロボロになっていた。
地面には何も落ちていなかったが、鋭い刃物で削られたような跡が目につく。
「……お前は」
流斗は路地裏の真ん中で立ち膝のまま事切れている大男と向かい合っていた。
激しい戦いだったのだろう。
身体中で切られていないところはないほど、無数の傷から血が流れていた。
首に深く抉れている傷があるが、彼の表情を見れば、それが致命傷ではないことがわかる。
怒りに顔を歪め、今にもこちらの首筋にでも噛みつきそうだ。
「うっ……こりゃひでえ」
他にも駆けつけた騎士がヨゼフだったものを見て顔をしかめる。
「一体、何があったらこうなるんだ。この男、両腕がないじゃないか!」
騎士の言うとおり、ヨゼフには両方の腕がなかった。
あの豪腕が肩を残して、乱雑に切断されているのである。
そして、腕がないにも関わらず、ヨゼフは誰かを守るために前へと歩もうとしていた。
流斗はハッとして辺りを見回す。どうやら、彼が守ろうとしたお姫様はここにはいないようだった。
最後まで諦めずに戦ったことがうかがえる有り様に、流斗の心がざわめく。
『彼女を頼む』
最後まで彼の声を聞くことはなかったが、流斗はヨゼフの最後の叫びが聞こえた気がした。




