二章 第七話
「まったく、とんだヤブヘビだったよ。まさか、王国にとって重要な人物だとは思わなかったな」
カタリナたちの襲撃から逃げてきたフリッカは街の南端の路地裏にヨゼフと共に身を隠している。
未だに街には彼女たちを捜索している騎士団の追っ手がいるようだ。
下手に動いて再び鬼ごっこを開始させるわけにもいかず、フリッカはその場で事態が沈静化するのを待つしかなかった。
しかし、ただ時間を無為に過ごすわけにもいかないフリッカはこれからの動き方を模索し始める。
王国に自身の素性がバレてしまっている可能性がある今、このまま街に留まるのは危険だ。
だが、王国の騎士に狙われるかもしれないが、流斗という手がかりを逃すわけには行かない。
自身の街を滅ぼした女を追って関係者を見つけたと思ったが、まだまだ彼女に辿り着くには険しい道が続くようだ。
「これからどうしよう。せっかく見つけた手がかりなんだ、このまま街を離れるのはもったいないよなぁ。少し……いや、結構危険な橋を渡ることになるけど、あのお兄さんを捕まえる機会をうかがうためにもう少しこの街に潜伏しようか」
「……」
ヨゼフは言葉を発せずとも、その視線はフリッカの意見に同意しているように見える。
全身黒のコートをまとっているヨゼフは夜の帳と同化し、幽霊のように存在がおぼろげだ。
それでも、フードの奥から覗く瞳は力強さを感じさせる。
「そうだな、ここまで来たんだ。私のために死んでいった人たちのためにも頑張ろうか」
「……」
「ありがとうは言わないよ。ヨゼフがそうなったのは私のせいじゃないし……言ったよな、これ以上私に関わるとろくな目に遭わないよって。力を得る代償に声を失ったのは自分で決めたことなんだから、最後まで私に付き合ってもらうよ」
「……」
「……はぁ。喋れなくても、拒絶の態度はとることが出来るだろうに、よくもまぁ、ここまでついてきたもんだ」
「……」
何かを言いたそうなヨゼフだったが、残念ながらそれはフリッカの血を飲んだ呪いで叶うことはなかった。
その様子を、フリッカはどこか悲しげに見つめる。
喋れなくとも、ヨゼフの言おうとしていることは何となくわかる。それほどフリッカとヨゼフの間にある絆は強かった。
いや、これは絆というよりかは呪いの方が適切だろう。
切っても切ることのできない一方的な想い。それは、絆と言えるほど綺麗なモノではないのだから。
「……お前と会って、もう七年も経つんだな。時が経つのは早いって言うけど、この身体の秘密が漏れてからの七年でもあるし、ホントに色々なことがあったな」
「……」
「いいから、黙って聞いてろよって……喋れないヤツに黙れはないよなぁ」
何が面白いのか、フリッカは投げやりな笑みを浮かべた。
その姿はどこか儚くて、ガラスのようにふとした瞬間に粉々に砕けてしまいそうであった。
「私らの一族の血は飲むことで己の力を強くすることが出来る。そんな下らないことが明らかになってから、私の代までどれだけのヤツが犠牲になったんだろうな」
フリッカの瞳が不思議な魔力を帯び始める。
それは見るものを魅了する魔性の輝きを秘めていた。
「ヨゼフが住んでた街に隠れるように住んでいた私にとって、自分以外の存在は敵でしかなかった。バレれば母様のようにどこかに連れ去られて、血が出なくなるまで搾り取られて捨てられる。そんなことにならないよう、目立たず、息を潜めて、己を殺して、そんな生きてるとも死んでるともわからない生活を続けて……どうにかなりそうだった」
フリッカは心に刻まれた傷をそっと撫でるように、忌まわしい記憶を思い起こしていく。
路地裏の影が一層濃くなっていき、彼女の輝く金色の髪から光がなくなり始める。
暗く。昏く。闇く。
どこまでも沈みゆく闇に彼女が飲み込まれそうで、ヨゼフは思わず手を伸ばしたくなる。
しかし、彼女の蕩けそうな瞳によって身体は思うように動かなかった。
「そんな時、ヨゼフが私の扉を開いてくれた。外の世界へと連れ出してくれた……ま、その代償がコレなんだけどね」
「……」
「別に責めてるわけじゃないんだ。ヨゼフが覚悟を決めてくれたおかげで、私は帝国の傭兵共の慰みものにならなくて済んだんだから」
フリッカの脳裏に血と炎の緋色が踊り出す。
七年前のあの日、街に現れた傭兵たちによる狼藉で街が混乱しているなか、フリッカはヨゼフにその身を助けられていた。
昔から目麗しい彼女だ。正気を失った男たちが彼女の姿に狂うのは当然のことだった。
ヨゼフは彼女を守るため奮闘するが、落ちぶれたとはいえ鍛えぬかれた傭兵に対抗するには、当時の彼には無謀であった。
そして、彼女はヨゼフに問いかけた。
『私を見捨てろ。それができないなら、私を外に出した責任を最後まで果たせ』
ヨゼフは答える代わりに、彼女の前に立ち続けた。
彼女を守り続けることを誓ったのだ。
その意志にフリッカは彼に自身の血を与えることを決め、彼は声を失う代わりに超人的な力を得ることになった。
しかし、偶然にも、その場面を目撃している者がいた。
彼女の存在は人から人へ、ついには帝国の有力者が知るところとなり、その力を手に入れるために賞金を懸けられることなってしまった。
「結果として、賞金首になってしまったけど、悪くない日々だったよ」
フリッカの言葉通り、つい最近までは悪くない暮らしぶりだった。
賞金首となってからは傭兵や賞金稼ぎから逃げるために各地を転々としていたが、ここ数年は安定した生活を送ることができていた。
素性を隠していながらも、受け入れてくれた街の人たち。
彼らとの日々は、ヨゼフに会う前の臆病だった彼女からは想像ができないほどの充実ぶりであった。
――彼女が顕れるまでは。
「ホントに、あの女が来なければ、そこそこ幸せに暮らせていけたんだけどなぁ」
「……」
「私たちを受け入れ、守ってくれた人たちのためにも、私はあの女を殺したい。そのためにも、あのお兄さんがどうしても必要なんだ。だから、もう一度言う。この国の騎士団に目をつけられるかもしれないけど、私は――」
「……!」
フリッカが再びヨゼフに決意を告げようとしたとき、彼女の背後から白刃が迫っているのが見えた。




