二章 第三話
「おや? 起きてると思ったんだけど、気のせいだったかな?」
金髪の少女が手に水を持って入ってきた。
流斗に飲ませるためだろう、見ず知らずの人間に対してどこまでも優しかった。
「いや、起きているよ」
流斗はその好意が無駄にならないよう、きちんと反応する。
流斗の元気な姿を見て安心したようだ。
猫のようなつり目を柔らかくして、安堵の微笑をもらす。
「いやぁ、びっくりしたよ。いきなり、お兄さんがたおれるんだもの」
そう言って、水の入ったコップを流斗に渡す。ガラス越しに伝わる水の冷たさが心地いい。
元の世界ほどではないが、よくできたコップだった。厚みが目立つがしっかりと、その役割を果たしているようだった。
「もう大丈夫なのかい? 良かったら、今日は泊まっていくといい」
「ここは君の家なのか?」
「うんにゃ、ここは街の宿屋だよ。私も街の人間じゃなくてね、ここを利用させてもらっているんだ。あ、だから後で宿の料金貰うからね」
「あ、ああ」
美少女の家でないことに少なからず残念に感じるが、見ず知らずの人間を家にあげるのも、それはそれでありえないな、と流斗は思った。
それならば、街の公共の施設にあずければ良かったのだが、さすがに助けてもらって相手の行動に注文をつけるほど流斗は恥知らずではなかった。
「それはそうと、君が俺を運んでくれたのか?」
「ん? お兄さん、この細腕にお兄さんを担いでいけるほどの力はないって。運んだのは……ちょっと待ってて。今呼んでくる」
そう言って、彼女は部屋の外に顔を出すと誰かの名前を呼んだ。その動きはまるで小動物のように忙しなくて、可愛らしさがあった。
ほどなくして、名前を呼ばれた誰かが部屋へと近づいてきた。
少し時間がかかったことから、別室あたりにいたのかもしれない。少女も街の人間と言っていたことから、旅の仲間か何かかもしれない。
そんなことを考えていると、部屋に大男が入ってきた。
「紹介するよ。こいつの名前はヨゼフだ。お兄さんを運んだのはコイツだよ。それで、私の名前は……フリッカ、そう、フリッカと呼んでくれ」
何やら彼女の名前に秘密めいたものを感じるが、今は彼女の詮索ではなく、ヨゼフと呼ばれた大男に興味が尽きない。
全身をコートで隠し、顔もフードにマフラーと目元あたりしか見ることができない。
かろうじて見える目だけで判断するならば、彼は思いのほか若そうに感じる。
恐らく、流斗とそう年齢が違わないのではないだろうか。
「俺は古賀流斗。古賀が苗字で流斗が名前だ」
カタリナにした失敗を反省して、きちんと名前を細かく説明する。
しかし、相手はそこまで興味がなかったらしく、軽い相槌をするだけだった。これが、英雄として召喚されたことを知る者と知らない者の差か。
「……うん、お兄さんの名前もわかったことだし。これからどうしよっか」
フリッカの問いかけは隣にいるヨゼフに対してのものだった。
しかし、彼女を警護する者のように側に控えているヨゼフは何も言わずに、ただ流斗を睨んでいるだけだ。
それでも彼の意思は把握できるのか、フリッカはうんうんと頷いて形の良い唇をにやりと歪めた。
「それしかないのかな。ま、確認してからでもいいでしょ」
フリッカが流斗の近くに来ると、ヨゼフの瞳がさらに厳しく光る。
何事かと流斗は身を固くするが、彼女はヨゼフの心配などどこ吹く風で流斗をニマニマと眺めている。
「いやぁ、最初は気のせいかと思ったんだけど、ヨゼフに確認してもらったらビンゴでね……お兄さん。お兄さんは人を殺したことがあるでしょ」
「!?」
フリッカに言われた言葉は弾丸のように流斗を貫いた。
そして、貫かれた心からじわりと血ではない何かが流れ出ていくのを感じながら、流斗の体から力が抜けていく。
捨てたはずの過去の過ちを暴かれたことで、言いようのない寒気が彼を襲う。
なぜ、バレたのか。ここは異世界ではなかったのか。もしかして、夜刀が早々に自分のことを巷にバラしたのか。それとも、今までのは壮大な茶番で、異世界召喚は嘘で自分を糾弾するための劇だったのでは。
あらゆるネガティブな発想が浮かんでは消え、流斗を苦しめていく。
青い顔をする流斗は想定外だったのか、フリッカが慌てたように否定する。
「ちょ、大丈夫かい!? 別に国の警備隊につきだそうなんて思っちゃいないよ。ただね、どうしても確認しておきたいことがあって」
流斗はフリッカからもらった水をぐいと飲み干して、ざわめく心を無理やり治めようとする。
彼女の様子から、過去の自分を知っているわけではなかったため、少しずつ理性を取り戻していく。
しかし、何故バレたのかという疑問が解消されていない。
流斗の疑念が顔に出ていたのだろう、フリッカがなんてことないかのように答えた。
「通りを歩いていたら、妙な気配を感じてね。それでお兄さんに声をかけてみたら、予想してた人物像じゃなかったんで間違えたかなって思ったら、ほら、倒れたじゃない? 慌てて助け呼ぼうとしたんだけど、まぁ、そこは、ね。ちょっと私の方も警備隊の厄介にはなりたくなくてね。」
何かを隠しているかのようだ。
この手の胡散臭さを出す人種にロクな人間はいない。
流斗はここに来て、助けてもらったのは、実は不幸の始まりだということに気づき始めていた。
「仕方ないからヨゼフを呼んだら、お兄さんを見るなり、いきなり警戒し始めてね。これはって思って、ここまで運んでもっらたんだ」
フリッカが大変だったんだよ、と目で訴えているが、運んだのはヨゼフであって彼女ではない。
しかも、彼女の話を聞く限りではこれは救護というより拉致に近いのでは。
「助けてくれたのはありがたいんだけど、多分俺は君の望む答えを持ち合わせていないと思う」
異世界に来て、まだ一日と経っていないのだ。どう考えても、尋ね人の情報を持っているわけがない。
もっとも、彼女たちはそのことを知らないのだから仕方ない。
「まぁ、知ってるかどうかの確認だから。知らなかったら……うん、宿代は私が持とう。さっきまでは宿代を払ってもらうつもりだったけど、ホントならお兄さんがたおれたときにきちんと医療施設へ送らなきゃいけなかったんだし」
「でも、助けてもらったことに変わりはないし……」
それに、王国直々にお金をもらっているから余裕はある、とはさすがに言わなかった。
ここでそんなことを言ってしまったら、なら払えと言われかねない。
別にがめついというわけではなく、話の流れというものである。ヘタに言って、わざわざ友好的な雰囲気を壊す訳にもいかない。
「そう言ってもらえると嬉しいねぇ」
フリッカはそう言ってはにかむ。
どうやら、和やかに事が進みそうだ。あとは彼女の質問に『知らない』と答えるだけの簡単な仕事だ。
「で、確認したいことなんだけど……実はとある人殺しを追っているんだ。ソイツは私の街で散々好き放題やってくれてね。いやぁ、思い出すだけでもイライラしてくるんだけどもさ。報復しようにも、やりたいことやったら、あっという間に姿を消してトンズラだよ」
フリッカは笑っているが、よく見ると口の端が震えていて怒りがにじみ出ているようだ。
ヨゼフも反応こそないが、内心腸が煮えくり返っているのだろう。革の手袋で握り拳を作り、音を立てている。
「それで、目撃情報をもとにヤツを追ってこの国の街にやってきたんだけど、残念ながらどこかで偽の情報を掴まされていたみたいで完全に見失っちまった。どうしようかと悩んでいたら、似たような雰囲気のお兄さんを見つけてね、それでこうして今に至るのさ。だからね、お兄さん。どこかで自分と同じような人間を見ていない? 心当たりがあるのなら是非教えてくれ、このとおりだ」
そう言ってフリッカは頭を下げる。綺麗な金髪がさらさらと肩から流れるのに見とれてしまう。
「……悪いけど、実は俺はここの人間じゃない。詳しく説明してもわかるとは思えないけど、とにかく俺はここからずっと遠いところから来たばかりなんだ。君の街がどこにあるかはわからないけど、ここに俺の知り合いなんかいないよ」
「そうなのか……わかった。ごめんな、変なこと聞いて」
「いやいや、こちらこそ面倒かけただけでなく、力になれなくて申し訳ない」
お互いに謝罪をし、このまま何事もなく終わるかと思われた。しかし――。
「くそぅ……あの女、どこに行ったんだ。お兄さんのように謙虚さがあればいいのに、あの女、よりによって堂々と名乗って殺していきやがった」
なんという快楽犯。殺人を遊びか何かと思っているんじゃないだろうか。
流斗はそんな酷いことをする人物の心当たりなど二人しかいないが、一人は今宮殿の中にいる。しかも男だから関係ないだろう。
「ひどいな……俺の知り合いに似たようなヤツがいたことを思い出したよ。その人とはもう何年も会ってないから今、何しているかわからないけど」
「お兄さんのいたとこにもいたのかい? どこにでもいるもんだな、酷い奴ってのは」
「ああ、花厳七生って言うんだけど、とにかく酷い人だったよ。とにかく容赦のない人で……」
「……は?」
フリッカが口をポカンと開けている。
どうしたのだろうか、何か変なことを言ってしまったのか、と流斗は不安になる。
ヨゼフも目を見開いて驚いているようだ。何か嫌な予感がする。
「お兄さん、もう一度、今、言った名前を言ってくれ」
フリッカが確認するように、ややドスの入った声で促す。
「え、ええと……カザリ、ナナミです。はい」
「……」
フリッカが目を閉じて、頭を抱えて難しい表情をしている。
ヨゼフにいたっては完全に流斗に向かって殺気を放っている。
「お兄さん」
「はい」
フリッカが半開きの、それこそ人を殺せそうな目で流斗を見つめる。それは、綺麗な顔と相まって畏れ多く感じさせる。
美少女に見つめられるのはこうもドキドキするものかと、どこか他人事のような気持ちになって現実逃避の準備をする流斗。徐々に高まってくる威圧感に押しつぶされそうだ。
「ビンゴ」
それは死刑宣告のように重く響いた。




