94 奥州仕置
楽しんで頂ければ幸いです。
1590年7月上旬 二階堂氏 ~宇都宮城~
奥州勢が参加した小田原征伐は花火大会が影響したのか6月の中旬には降伏交渉が纏まり、史実より少し早くこの包囲戦が終わった。
これは既に敗戦を覚悟していた北条方が盛大に打ち上げられた花火を見て、豊臣方から一方的に攻撃される事を恐れたためだと聞いている。
この結果には秀吉殿も喜んでくれたようで、奥州勢を代表して伊達輝宗殿を皆の前で称賛していただいたのだ。
もちろん俺も花火大会を監修したとの事でお褒めの言葉をいただいた。
特に豊臣から褒賞は貰えなかっらが、頑張った家臣達には盛義の名で少しだが祝い金を配らせてもらった。
戦で領地を得た訳では無いので、収支は大きくマイナスだけどいい結果には報いないと家臣(部下)は付いてこないからね。
ちなみに戦に敗れた北条だが、氏政殿や氏照殿などが切腹を命じられたうえ領地を没収され、関東の盟主であった北条氏は亡びた。
残った氏規殿はとりあえず高野山へ幽閉されるそうだ。
そこで空いた関東の領地だが、史実のとおり徳川の領地となると様だ。
徳川は小田原城を包囲していた頃から近隣の慰撫を秀吉殿より任されており、事前にその意向を聞いていた可能性は高いだろう。
ただし、こちらとして重要なのは小田原征伐後の奥州仕置だ。
伊達輝宗殿の案内で豊臣方が奥州へ兵を進めるのだが、秀吉殿は7月中旬に宇都宮城へ到着し、ここで主な奥州の仕置を行う事となった。
今回の仕置では予想通り史実で減封された伊達も含めて所領を安堵された大名が殆どであった。
小田原征伐へ参加しなかった葛西、大崎ら大名の改易は想定内であったが、想定外だったのは白河結城氏の移封だった。
なぜ小田原征伐へ奥州勢の一員として参加した結城氏が移封されたのか。
その理由として考えられるのは奥州勢が小田原征伐で秀吉殿へ思った以上に脅威を与えた為ではないかと推測される。
小田原征伐が終われば奥州も大きな戦火に巻き込まれるのではと考え、多くの大名が伊達・蘆名の下で結束した結果、一時的ではあるが奥羽連合の様なものが出来た。
さらに、小田原で見せた花火は大火力による城攻め、野戦砲撃を想像させて奥州勢と正面から戦う事は得策ではないとの結論を導かせたはずだ。
しかし、これを秀吉殿が放置して置かなかった。奥州への玄関口となる白河の関を押さえたかったのだろう。
秀吉殿はこの白河へ自分の信頼できる武将として蒲生氏郷殿を配置した。
史実で会津(40万石)の地を治め発展の礎を築いた蒲生殿とすれば白河(10万石)程度の領地を治めることは能力的には物足りないかもしれない。
それでもその後、徳川の治世においても白河の地を榊原・松平・本多など有力大名がこの地を治めた事を考えると、秀吉殿が白河を重要視していた事が想像出来る。
正直に言えば奥州勢としては南からの防衛のため白河を確保したかったのでかなり痛い仕置だったと言える。
この移封の影響で結城氏は田村郡へ移動する事となったが、問題となったのは移封先の田村氏であった。
田村氏は蘆名に従属して小田原へ参戦したのだが、当主の田村顕季殿が病に臥せったため秀吉殿への進物を携えて名代となる重臣が参加していた。
このため本来であれば改易となるはずの田村氏あったが、伊達や蘆名の勢力を削りたい石田三成らの難癖によって改易が決まってしまったのだ。
まさかの出来事に俺や田村氏・結城氏が従属する蘆名からも秀吉殿へ改易・移封を撤回させるための執り成しを行ったのだが、残念ながら成功しなかった。
思った以上に石田ら秀吉殿の側近をビビらせてしまったのかもしれない。
このため小田原征伐へ従軍した田村勢はかなり意気消沈した状態となっており気の毒に思う。
そして、この仕置は直接二階堂の従軍兵力にも影響するから厄介だ。
二階堂勢には自前の兵とは別に重臣格の田村月斎(顕頼)配下の兵が参陣しており、この兵が居なくなるのは大きな痛手となるのだ。
月斎の存在は盛義の成長にも大きな助けとなっているので、このままにはして置けない。
ぜひ二階堂へ仕官して貰わなければ!
月斎の優秀さは佐竹との戦などでも近隣大名に認められているため、放置して置けば蘆名や結城らから仕官の話が舞い込むだろう。
俺も先は長くないので盛義を補佐できる者を少しでも残して置きたいのだ。
月斎を二階堂へ仕官させればその下に田村氏の優秀な兵も仕官すると考えられる。
城主をしていた守山城に近い篠川城か郡山城の城代に配置すれば田村氏から移って来た兵にも負担が少なくて済むだろう。
本当は城主にしてやりたいが、既に身内の重臣を城主にしているから代える訳にもいかないのだ。
瑕疵も無いのに城主を代えたら内部から大きな反感をかうのは必定だろうからな。その代わりに禄は城主並みにするつもりだ。
能力の高いものを正しく評価しない事も組織としては良くないからね。
実は今回の仕置において奥州に関連した移封が下越で行われた。上杉景虎殿の伊豆移封だ。
これは奥州を牽制する為に豊臣に臣従する上杉景勝殿の力を増大させるのが目的だろう。
こちらとしては上杉の力を集中させないためにこれまで景虎殿を生かして置いたのだが、秀吉様の命には逆らえない。
景虎殿は徳川配下の様な位置づけになる様だが、改易にならなかっただけましだろう。
ただし、景虎殿に与していた揚北衆の多くは因縁のある景勝殿へ従う事を良しとせず、伊達や蘆名へ仕官する様だ。
こうして宇都宮城での奥州仕置が行われ、秀吉殿は巡察行軍のため配下の兵を引き連れて白河の関を越える事になった。
そして大切な事がもう一つ。秀吉殿が須賀川城を訪問したいと希望しているのだ。
そこそこ栄えている須賀川だし、城も少しづつ改修してまともにはなっているけど天下人を迎えらる程の城では無いと思うんだよね。
そこは精一杯歓迎して喜んで貰うしかないな!頑張れ当主盛義!二階堂の未来はお前に掛かってるぞ!
読んで頂きありがとうございます。
(注)この物語はパラレルワールドでありフィクションです。
史実や現実と大きく異なる設定がありますのでご了承ください。