09 大崎氏の内乱1(地図あり)
楽しんでいただければ幸いです。
1534年 大崎氏 ~名生城~
「なぜだ!新田はなぜ出仕せんのだ」
家臣であるくせに奥州探題であるこの大崎義直を馬鹿にするつもりか!
「頼遠殿からは病にて出仕がかなわないとの使者が来ております」
「馬鹿を申せ!手の者からは新田が戦の準備をしておるとの噂があると聞いたぞ」
「何かの間違いでは」
「殿、ここは穏便にこちらからも事情を伺う使者を出してはいかがかと」
儂がこれほど新田を咎めているのに氏家や古川、高泉に加え家老どもまでがなぜ新田をかばうのだ!
こ奴ら大崎の一門筋とは言え我慢の限界じゃ。
幼き頃に家督を継ぎ、後見してもらってきたが、儂は既に当主として自分の力で大崎を十分治めておるのだ。
「もうよい。兵を整えよ、新田に目にもの見せてくれるわ」
「不味いことになりましたな里見殿」
「本当じゃのう仁本殿、我ら四家老の話すら聞く耳を持たないとは義直殿の横暴もここに極まれりじゃ」
「昨年の葛西との戦でも皆の忠告を無視して義直殿が強引に攻め急いだために多くの家臣を失い、負け戦となったために守護職の伊達殿へ葛西との和議の仲介を頼むこととなり申した」
「その通りだ中目殿。おかげで大崎は伊達の陸奥国守護職の権威を表立って認めざるを得なくなった。今では実質大崎が伊達氏に従っているようにも見える」
「頼遠殿は葛西との戦で奮戦したが家臣を多く失った上、侍所を司る者として負け戦の責があると義直殿から皆の前で罵倒された」
「表立って義直殿に責を負わせられないとは言え余りに酷い仕打ちだった」
「伊達氏からは既に前代の高廉殿娘、梅香姫と婚姻する形で次男の小僧丸殿が義直殿の家督となっておる」
「頼遠殿も義直殿のままでは大崎が伊達氏に飲まれると思ったのであろう。高泉を継いだ三男の直堅殿に大崎の行く末を頼みたいと思ったのであろうが、どうにか穏便に済ませたかったのだがのう」
「このままでは氏家殿らも頼遠殿へ付きましょう。我らで和議を結ぶよう裏から手を回すしかございますまい」
1535年 大崎氏 ~名生城~
とうとう新田の居城泉沢城を落としてやったわ。
あ奴はどこかへ逃れたらしいが、これで他の家臣共も静かになるだろう。
そう言えば離反した氏家直継の頸を兄の清継が岩手沢城で討ち取ったな。あの城は清継へくれてやろう。
これが奥州探題大崎義直の力よ。もう誰にも侮られはせん。
1535年 新田氏 ~古川城~
「匿ってもらってすまんな持煕殿、古川の方々にも世話を掛ける」
「実の兄弟ではありませんか頼遠殿。今は雌伏の時です」
「領内でこれだけの者達が争い互いに禍根が残ったのだ。義直殿が大崎の当主であるならばこのまま終わるはずがない。必ずや時が来るはずだ」
1536年2月 大崎氏 ~名生城~
まずいな、今度は氏家で内乱だ。岩手沢城の氏家清継を同族の氏家安芸守が攻めて自害させたらしい。
これだけ大崎で争いが頻発するとは・・・。このままでは領内を抑えきれないかもしれん。
「殿、大崎の家老として進言させていただきたい事がございます」
「中目殿、進言とは何か」
「伊達殿へ助力をお頼みなさいませ。これ以上領内の者が争えば、また火種の基となります」
「・・・致し方あるまい。伊達殿へ儂が直々に出向き助力を願うこととする。出立の用意をせよ」
読んでいただきありがとうございます。
1536年には武田信玄が元服しています。(訂正しました。ご指摘ありがとうございます)