82 本能寺
楽しんで頂ければ幸いです。
1582年6月 二階堂氏 ~須賀川城~
「やはり防げなかったか・・・」
京に派遣している影の者から本能寺で信長殿が討たれたとの知らせが入った。
もちろん謀反人は明智光秀殿だ。
二階堂は織田と友好関係を強くしており、このまま織田が天下統一を果たしても問題ない状態だった。
そこで懸案と考えていたのは俺だけが知っている『本能寺の変』だ。
実際に俺が信長殿へこの事を伝える事はそれほど難しくは無かった。
しかし、微妙に歴史が変わってきている状況において、織田の重臣である光秀殿が信長殿へ謀反を起こすなどとは軽々しく言えなかったのだ。
もしもこの謀反が起こらなければ、二階堂は織田の内部で不和を起こそうとした事になってしまう。
織田政権が目前になっている状況でそんな事を疑われて敵対されるのは大変まずい。
だから俺は影を京周辺へ派遣して織田や明智、羽柴などを慎重に調べさせた。
この事ですら一つ間違えば二階堂の立場を危うくする事になるのだ。
そうやって慎重に明智などの動きを調べたが、結果的にはまともな情報が得られず芳しいものではなかった。
史実で信長殿ですら掴めなかった明智の謀反の証拠を見出すことが出来なかったのだ。
これは織田や明智が使っている忍や情報秘匿能力が高いせいだった。
俺としても影が捕まった時の事も考え『明智が謀反する情報を集めよ』との指示は出せず、『織田勢の毛利出兵に関する情報を集めよ』との指示程度しか出来なかったと言う事情もあった。
しかし、これとは別に有事があった場合の備えとして兵糧を秘かに集める様に指示を出していた。
何も無い場合でも織田勢の中国・四国への遠征を支援する事が出来ると考えていたからだ。
そしてこれは、その後の羽柴支援に一役買うことになる。
◇
半月後、羽柴と明智の軍は羽柴勢が優勢の状態で山崎において激突し、羽柴の勝利で終わったとの連絡が入った。
本能寺の変の後、官僚一族として評価がある二階堂へは明智・羽柴の両陣営から見方となる様に依頼があった。
甲斐から髄風殿を招致する際に連絡を取っていた事などもあり、どちらかと言えば明智との繋がりが強かった二階堂であったが、ここで良い判断だったのは京の二階堂が羽柴に付くことを決断した事だった。
もちろん謀反人である明智に付くことを由としなかったのだが、中国大返しを決めた羽柴の実力を評価したのだ。
この判断により俺が集めさせていた兵糧を羽柴へ格安で提供したため、羽柴勢は軍の展開が容易となったらしい。
明智よりと思われかねない状況だったことを考えれば二階堂の立場は危ないところだった。
だてに政の世界で長く生きている一族ではないと言うことだろう。
ここは『清洲会議』前の立場が確定しない状況で羽柴を推す事を明確にするべきかもしれない。
織田勢はかなりの混乱に陥っている事だろう。
信長殿が病気などで急死しても信忠殿が家督を既に継いでいたため問題は無かった。
しかし、思いもしない重臣による謀反で両名が死ぬ事は予測できなかっただろう。
これからは明智を討った羽柴と単独で最大級の勢力を持つ柴田とが後継者の任命について大きな発言力を持つ。
二階堂が羽柴に付くことは柴田よりの蘆名や伊達には悪いが、全体的なバランスも取れると言うものだ。
危機管理上でもリスクは分散する必要がある。
両者には俺からもその辺りは言い含めておくつもりだ。
少し体に堪えるが二階堂の誠意を見せる為に俺が京まで足を運んで秀吉殿に会う必要があるだろう。
俺も特に健康へ不安は無いが60歳を越えたので先が見えて来たと思っている。
盛義とて史実では昨年あたりに亡くなっていたが、生活改善のおかげかアラフォーでも俺と同様に健康そのものだ。
とは言っても、どこまで俺が二階堂を導けるのかは分からない。
何か盛義らに書き残してやろうかと考えているがどうだろうか・・・。
読んで頂きありがとうございます。
(注)この物語はパラレルワールドでありフィクションです。
史実や現実と大きく異なる設定がありますのでご了承ください。
なお、頂いた感想については誠に勝手ながら時間差で読ませて頂いておりますのでご了承ください。