08 流行
楽しんでいただければ幸いです。
1535年 二階堂氏 ~須賀川城~
伊達氏から来る俺のお嫁さんだが、とりあえず婚約という状態らしい。
どうしてかと言うと、まだ7歳か8歳ぐらいらしいのだ。正式な輿入れは4、5年後とのこと。
光源氏計画を進めても良かったのだが、俺には縁がなかった様だ。
なお、伊達領まで挨拶に行った者によれば姫は少しふっくらとした美少女だったらしい。
この時代は食料事情が良くないので、痩せていると貧しい家の出だと思われるんですよね。
思い返せば教科書で見た平安時代の美人の絵はみんなぽっちゃりさんだったという記憶がある。
やせ型が美人と認識されはじめるのは、食糧事情が安定した江戸期ぐらいからだろうか。
そう言えば行有に聞いたのだが、二階堂領内で印地が流行っているらしい。
印地隊の皆が戦の後でお土産を持って集落に帰ったことで、印地隊に入ればいい生活ができると思われたのかもしれないな。
通常ならば食い扶持にも困る農家の二男、三男が領民では滅多に食べられない米などを持って帰ったのだから家族の目も変わるだろう。
これに拍車をかけたのが印地隊の追加募集の噂だ。
これは本当に追加するつもりなのでただの噂話ではないのだが、この追加募集に応募しようとする領民が大勢いて、それが理由で領内の民が揃って印地の鍛錬を始めたというわけだ。
先日の戦でも印地隊の負傷者が少なかったことから、徒士に比べて安全に戦で活躍できると思われたようだ。
戦で使う弓(和弓)は、構造が複雑なので専門の職人以外に作ることは難しいが、それに比べ印地で使うスリングは簡単な構造であるため農民でも作ることが可能だ。
飛ばすだけなら女子供でも出来るため遊戯の一つとしても盛んになっている様だ。
印地が流行れば小型の動物を狩ることも出来る様になり、領民が動物性たんぱく質を摂取できる機会が増えて少しは食料改善に繋がる可能性がある。
「よし、父上に相談して領内で印地比べをするぞ。行有、知恵を貸してくれ」
「分かりました。すぐに原案を整えましょう」
こうしたことは仕事の出来る人間に任せることが必要だ。
俺は上司として出来上がったものに少しだけ口を出して、調整に動けばいい。
そして行有の功績をそのまま父晴行へ伝えることだ。これで行有のモチベーションが向上する。
結果として、父の了解を得て印地比べが行われ、各集落から選抜された腕自慢の印地上手が集まり、応援合戦もあって大盛況のイベントとなった。
上位者には豪華な賞品が与えられ、次期募集の印地隊への推薦状が手渡された。
この際にイベントの成功に気を良くした俺が、定期的に印地比べを開催することを発表したため、領内ではさらに印地が盛んになったという。
後日談だが、幼い頃から印地で鳥打をする機会が多くなったためか、二階堂領の民は空間把握能力や動作予測能力の高い者が多くなり、これも強兵が育成される一因になったらしい。
この時代は肉食が忌避されていたが、燻製などに加工して滋養の薬の一種として領内で食べることとしたから体力向上にも役立った。
牛肉の味噌漬けも滋養の薬として一部で流通していたらしいから、これもありだよね。
読んでいただきありがとうございます。
※補足:ここで言う「印地」は石を投げ合う行為ではなく、石を投擲する技術とお考えください。(ご指摘ありがとうございました)