77 景勝対景虎
楽しんで頂ければ幸いです。
1578年春 二階堂氏 ~須賀川城~
俺は上杉謙信の死後、家督相続を景勝と景虎が争った内乱の名称が『御館の乱』だったと記憶している。
この乱ではお互いの家督相続の正当性を主張し、家臣も両派に大きく割れてた。
北条からの養子である影虎がその後援を受けて優勢かと思われたものの、隙を突いた景勝が影虎を討ち取って
いるのだ。
そこで俺には、多くの後押しがあったのになぜ影虎は簡単に討たれてしまったのかが疑問だった。
調べてみると、影虎が討ち取られたその理由は『御館』にあったにあったと考えている。
影虎は当初、正当性を主張するため景勝が春日山城を抑えた後も城内三の丸に立てこもっていた。
その後、三の丸を攻撃された影虎は城を出ると城下にある御館へ移って抵抗する。
御館は上杉館とも言われた前関東管領の居城であり、謙信もここを政庁としていたことから継承している事を
主張したいために選んだのだろうか。
しかし、御館は春日山城から近い位置にあり、周辺国人は景勝方であったことから、この状況で影虎がこの場所に居を構えていた事は危機管理上で問題があると言わざるを得ない。
何か景勝との間に協定でもあったのかと思った程だが、結果として史実では影虎が景勝に討ち取られ上杉の家督は景勝のものとなった。
このままではどれほど周辺が影虎を援助しても同じ運命を辿る様な気がするので、ここは一手提案するべきだろう。
「盛興殿、影虎殿は今どちらに居られる?」
「知らせによれば春日山城内から城下の上杉館へ移られたと聞いております」
「上杉館とは・・・。景勝殿が居る春日山城に近すぎる。近隣の国人領主から支援を受ける事は可能ですかな?」
「いえ、周辺の国人領主は景勝殿に味方している者が多いかと・・・」
「それでは影虎殿はかなり危うい状況にあるのではないか?」
ここまで指摘すれば輝宗殿も影虎殿の状況を理解できたようだ。
「そうなのだ輝宗殿、この状況は影虎殿にとってかなり良くない。上杉館から御見方の領主の元へ身を寄せるべきだろう」
「ふむ、そうなれば誰を頼るかだが・・・。盛興殿、北条高広殿はどうであろう?」
「輝宗殿、北条殿の処までであれば動けるだろう。ただし、長い間滞在するには不安がある。は武名の高い方だが主をよく替えるのだよ。一時は謙信殿に反乱を起こそうとして咎められておるし、関東の北条殿にも付いた事があるのだ」
主をよく変える北条殿は盛興殿に受けが良くない様だ。それを聞いた盛義が意見を出す。
「可能であればですが盛興殿、揚北衆の安田殿を頼られてはいかがでしょうか?安田城ならば蘆名からの支援も得やすいかと存じますが」
「確かにそうではあるが、少々春日山城から遠くなりますな。移動による危険も考慮せねばなりますまい」
北条殿の領地は柏崎市の辺りだが、安田殿は阿賀野市だからかなり距離があるな。
俺がフォローを入れるか。
「それならば一度 上杉景信殿の処を経由してはどうか。栖吉城までであれば揚北衆や蘆名の兵を迎えにやれるのではないかと思いまぞ」
景信殿の領地は長岡市の辺りだったからいい経由地になる。
景信殿は謙信殿の有力支持基盤であった古志長尾一門の筆頭格だが、景勝殿ではなく景虎殿に付いている。
景勝殿が上田長尾一門であったために対立があった上、春日山城周辺の上杉一門を優遇していたための反発もあったのだろうな。
「それが良いでしょう。直ぐに蘆名より揚北衆へ使いを出して事の次第を伝えましょうぞ」
「織田は柴田殿が北陸を北上してきておるし、北条や武田も上杉領へ侵攻するであろう。景勝殿は四方を塞がれた様なものじゃ」
「油断は禁物ですが事が成れば景虎殿に有利な状況が生まれましょう。そうなれば後はじっくり越後の対応を進める事も可能でしょう」
「それでは後の事は当主の方々に任せて年寄りは楽をさせてもらおうかのぅ」
俺は簡単に景勝殿が倒れるとは思っていない。
他の領地から攻められれば予想外に上杉領内が纏まる事も有り得る。
それでも乱が長引けば上杉の力は格段に落ちるだろう。
まずは景虎殿を確保する事が先決だ。皆頑張ってくれよ!
読んで頂きありがとうございます。
(注)この物語はパラレルワールドでありフィクションです。
史実や現実と異なる設定ですのでご注意ください。