66 本圀寺の変2
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1569年正月 二階堂氏 ~京・本圀寺~
「二階堂殿、よく参ってくれた。よしなにたっ、頼んだぞ」
「お任せください義昭様、この身に代えましても奸賊共からお守りいたします」
義昭様は顔がひきつってテンパっている様だ。
兄義輝様が同じ三好に襲われて亡くなった事を思い出しているのだろう。
まあ、俺もこの身に代えてもとは言ったが、本当にやばくなったら将軍を囮にして逃げるけどな。
三好勢の包囲網だが、進軍も一斉ではなく斎藤らが浪人を指揮している事もあって時間が掛かっている。
おかげで織田勢の集結が思ったよりも順調だったため本圀寺の防衛は思いの外堅いものとなった。
そして俺達が本圀寺へ入ってから半日程した頃、三好勢の攻勢が始まったのだ。
「休みなく矢を掛けよ!二階堂兵の強弓を見せてやるのじゃ!」
「「「おおお!!」」
簡易式の櫓から二階堂の兵が攻め手へ矢を放っている。
今回の兵達は士分の者が殆どで、現役で印地隊の者はいない。
京でまともな戦をするとは思っていなかったし、あっても建物が多いので印地打ちには不利だと思ったのだ。
ここに連れてきた兵は二階堂の家臣でも槍や刀、弓も使える士分の精強な者共だ。
中には印地隊で頭角を現して士分の家に養子で入った者もいるが、それは一部だけだ。
士分の様に多彩な武芸を習得するためには、幼い頃から鍛えなくてはならないから農民出身者ではハードルが高い。
それでもこの場にいる者がいるのだから、余程才能があったのだろう。羨ましい事だ。
俺は噂でかなり誇張されて武勇が伝わっているために、よく強いと誤解される。
初陣で敵の将を討った時でさえ、家臣らがボコボコにした満身創痍の将を打ち倒しただけだ。
なのにどうしてか俺が初陣で敵の兵をばったばったと切り倒したとか、五日で四つの城を討ち滅ぼした豪傑だと言う事になっている。
本人を見れば細面の文官タイプの人間だから間違った噂だと分かりそうなものだが、この時代に剣の達人は幕府内にもいたので、その様な人物と思われているのかもしれない。
そんな事を考えているうちにも時は過ぎていき、多くの兵が負傷し、命を落としていく。
逃げ出したいほどの後悔はあるが、命のやり取りを命じた者としてこの場から離れる事は許されないだろう。
くそっ、今すぐに三好の中心人物達を殺してやりたい。
ここで失った俺の兵達の命をお前たちの命で贖ってやる!
その後、約一日程の激戦を乗り越えて俺達は、織田や浅井らの兵共に摂津衆の援軍が来るまで無事に義昭様を守り切り三好勢を撃退した。
これは摂津衆が帰途の最中であり、完全に国元へ戻り切っておらなかったために救援が早かったのが大きい。
さらにその二日後には信長殿が僅か十騎程で道中豪雪の中を戻って来た。
これだけの人物が少ない護衛で移動するのは家臣から見れば危ういだろう。
でも金ヶ崎の戦いでも僅かな供と京まで戻ったらしいから、この習性は改善されないのだろうな。
こして俺は義昭様や信長殿から感謝の言葉を貰うと、早々に本圀寺を辞して東山へ兵と共に戻った。
そこには義昭様を守ったと言う満足感と達成感を感じた心と、多くの家臣を失ったと言う喪失感と後悔が俺の心を揺れ動かしていた。
やはりり俺は戦向きの性格では無いようだ。心への負担が大きい。
俺は今後、中央の戦に係わる事は避けようと心に大きく刻み込んだ。
楽しんで頂ければ幸いです。
(注)この物語はパラレルワールドでありフィクションです。史実じゃなくて設定です。