60 織田と鉄砲
楽しんで頂ければ幸いです。
短いです。
1568年夏 二階堂氏 ~須賀川城~
この春に足利義秋様は越前の一乗谷で元服式を行い『義昭』と改名され上洛して将軍宣下を受けたい姿勢を見せた。
しかし、朝倉が積極的に上洛へ動かなかった事から、義昭様は明智光秀殿の仲介で信長殿と連絡を取って、つい先日に織田へ身を寄せたとの知らせが入った。
信長殿は昨年、念願の美濃攻略を達成しており、上洛への足掛かりは出来ている。
今頃は浅井との同盟を既に結び、武田とも友好関係を保っているため上洛するための軍備を揃えている事だろう。
二階堂としては、さすがに兵は送れないので一族の伝手で義昭様へ生活費の援助を行うとともに、信長殿へも陸奥の産品を送る事にした。
送ったのは伊達の絹織物や二階堂の布団、石鹸などだが、信長殿が鷹狩りが好きだった事を思い出したため、鷹も二羽送る事にした。
使者は重臣の保土原有行に依頼し、ここに行盛の近習で有行の嫡男である重行などを付けた。
今後は織田との関係向上が政治的に重要となるため、次代の人材にも外交経験を少しでも積ませておきたかったのだ。
出来る事ならば上洛戦の際には、勝手働きの兵に須田や遠藤の家臣を潜り込ませて織田の軍の様子を知りたい。
上洛に際には、六角や三好を蹴散らして京へ向かうはずなので、どれ程の強さなのかを知りたいのだ。
そして、その強さの理由を二階堂へフィードバックして、我が兵をより精強にしたいと考えている。
そうなれば鉄砲を装備として数多く揃える必要があるだろう。
二階堂も研究用として堺から鉄砲を数丁購入しており、領内での生産を目標に山奥の村で研究させている。
量産化までは時間が掛かるだろうが、今後の軍には必ず必要となるため重要な事だ。
出来れば堺や国友から職人を招きたいが、完全に抱え込んでいるため難しいのが現状だ。
ただし、何事のも裏の道はあるので時間をかけて鉄砲職人の招致を模索している。
なお、鉄砲に使用する火薬だが、原料の一つである硝石を他国同様に国外からの輸入に頼るのは金銭的にも負担が大きい。
このため硝石を生産する事にしたが、古土法だけは覚えていたので二階堂領内で少しずつ備蓄しているところだ。
硝石を大量生産出来る方法も海外にはあるらしいので、堺に来る南蛮船と交流して情報を入手したい。
火薬を大量に使用出来れば他にもいろいろな兵器に使えそうだ。
それに須賀川は釈迦堂川で行う花火大会が有名なので、平和利用として花火にも使いたい。
釈迦堂川の河川敷で見る尺玉をもう一度この目で見たいのだ。
家臣達には、「そんな事に貴重な火薬を使うなんて!」と怒られそうだが、見たいものは見たい。
そのためにも硝石の大量生産は必須だな!
読んで頂きありがとうございます。
土曜日も仕事ですが、明日も投稿出来ればいいなぁ。