55 調略
楽しんで頂ければ幸いです。
1564年 二階堂氏 ~須賀川城~
俺のところへ蘆名盛氏殿からの書簡が届いた。
上杉の国人領主への調略を進めているとの内容だった。
上杉は輝虎殿が越後を統一して支配が確立した様に見えるが、実際は力で抑え込んでいるだけで不安定なものだ。
長尾の一族内でも家督相続の際に対立して戦になっているし、越後でも北部の国人領主はかなり独立色が強い。
中でもその勇猛さで知られるのが本庄繁長殿だろう。
繁長殿は父の13回忌で対立しながらも後見人であった叔父の小川長資殿を捕えて自害に追い込んでいる。
武田や北条との合戦でも活躍しているらしく、信玄殿の評価も高いと聞いているのだ。
しかし、それに比べて上杉における現在の地位はそれ程高くはなく、恩賞も十分ではない。
これは輝虎殿の地盤が越後南部である事からこちらに配慮している結果なのだが、北部の国人領主達には納得がいかないであろう。
そして同じ様な立場の有力国人領主が新発田氏だ。
今回は今年中に蘆名が武田と示し合わせて越後へ攻め入る手はずとなっているが、これは本格的な進行の予行演習らしい。
現状では一部の地区を一時的に占領しても維持できない事が目に見えているからだ。
もちろんこの動きが武田の北信濃侵攻への陽動となるのだから意味はあるのだが、もう一つ意味を持たせている。
この戦で本庄や新発田の兵は輝虎殿の要請により蘆名を撃退する事となるはずだが、恐らく恩賞は殆ど無い。
攻められて領地を挽回しているだけなので恩賞として与えられる土地が無いからだ。
また、戦を繰り返している上杉には十分な金銭を与える事も難しいと予想できる。
その上で盛氏殿は、蘆名が支援する事を前提に十分な評価をしていない上杉からの独立を促すつもりの様だ。
上杉の戦における越後北部からの兵の割合は2割から3割と考えているため、両氏が独立すれば輝虎殿にはかなりの痛手となる。
これに北条や武田が連動すれば、いくら輝虎殿でも簡単に信濃や関東への出兵する事は困難となるはずだ。
そうなれば結果的に上杉と結んでいる佐竹の動きも鈍る事になる。
すぐに結果が出る話ではないが、成功する可能性が高い策である事から盛氏殿も慎重に進めているとの事だ。
二階堂は上杉領侵攻に兵を出さない代わりに蘆名へは食糧などを十分に送る事で協力している。
さらに盛氏殿は最悪の場合、会津に攻め込まれても十分な防御が出来る様に向羽黒山で築城をしているとの事だ。
地形も東の阿賀川や崖を利用して強固な城を築く事が出来る場所だけに理想的な場所だろう。
こうして俺としては精力的に動いているのだが思い出した事がある。
輝行は史実で今年亡くなっているんじゃなかったっけ?
同じ年に死んだ三好長慶殿が亡くなったと言う報告が畿内から上がってきているから間違い無いはずだ。
よくある歴史の修正力とか言うものが働けば俺も死ぬかもしれないが、その可能性は低いと思う。
既に地方の武将クラスならばこれまでの戦で生死が史実と異なる者達がいるはずであり、この影響が見えないからだ。
もちろん俺に見えないだけで修正力が働いている可能性がゼロでは無い事もある。
でもきっと大丈夫だ。だって俺は歴史の流れと関係ないモブ武将だからな!
読んで頂きありがとうございます。
向羽黒山城は氏盛が史実で1568年に築城していますから対上杉への備えが早まっています。
新発田氏への独立支援も次世代で発生するイベントですから上杉が弱体化しそうですね。
(注)この物語はパラレルワールドでありフィクションです。史実じゃなくて設定です。