32 天文の乱4
楽しんでいただければ幸いです。
1543年夏 二階堂氏 ~須賀川城~
今年は幸先がいいようだ。
まつ姫と俺の子供がこの春に生まれた。
俺に似ていないので可愛い顔をしていると思う。
しかし、これがあんなひょうげた顔になるとは思えないのだが・・・。
長男 行盛(後の盛義)の誕生である。
名前を決める時に二階堂で代々受け継ぐ『行』は決まっていたが、もう一字に悩んでいた。
そのうち、俺の灰色の脳細胞に『盛』の字が付いていたことが頭に浮かび、どんな理由でこれを付けるのかを考えて思いついた。
お隣の蘆名氏は代々『盛』を名に付けているから、同盟者の蘆名氏に配慮して名付けたことにするのだ。
これを周りに相談すると予想以上にすんなりと受け入れてくれた。
二階堂が蘆名氏と友好的な現在の状況は皆が望んでいることのようだ。
早速、黒川城の盛氏殿へ伝えたところ大変喜び、祝いの品をたくさん送ってくれた。
これからも両者が協力できれば安泰だと手紙にも書いてあった。
史実でも二階堂と蘆名氏は天文の乱頃からしばらくは大変仲が良かったはずだ。
蘆名氏が田村氏との戦いで手に入れた安積郡の3邑を二階堂に譲渡する程だったのだ。
このまま蘆名氏と二階堂が手を組めれば、将来的には伊達氏にも対抗できる存在になる可能性がある。
俺としては奥州において主な勢力があまり争わないで、安定的に成長していって欲しいのだ。
戦をすることは民にとって害でしかなく、国にとっても本来利は少ない。
多少戦が強くても領内が疲弊すれば民が苦しみ内乱が発生するからだ。
しかし、中にはやらなくてはならない戦もある。
今度の伊東氏との戦で、俺の生き残り戦略のうちの二階堂領拡張計画は8割方完了する。
既に蘆名氏の兵も猪苗代に集まり、東部の伊達郡伊東領を攻める準備が整っているとのことだ。
二階堂も伊東氏攻略の前線となる笹川城に兵を集めている。
今度こそ残る安積郡の全てを二階堂の手中とするのだ。
1543年晩夏 二階堂氏 ~郡山城~
稲の収穫の前に伊東氏の最後の拠点である郡山城の攻略が終わった。
周辺の小さな城や館は早々に攻略済みで、郡山城だけが残っていたのだ。
これで伊東氏が領有していた安積郡の土地は全て二階堂の手に入ったことになる。
ちなみに安積郡の西部は猪苗代湖の南東にあるが、ここは会津に近いため以前から蘆名氏が治めている。
そのこともあって二階堂は中央に出たい蘆名氏に圧迫されていたのだが、代わりに北側の侵略ルートを提案して畠山氏へ対抗してもらうつもりだ。
「これでまた照行様の名が上がりますね。家臣としても誇らしい気分です」
行有が言うには何やら最近、俺の名が売れ始めているらしい。
盛氏殿や稙宗様からも称賛の言葉を頂いている。
稙宗様は二本松畠山氏のところへ身を寄せているので近況がすぐに分かったようだ。
身の丈を知っている俺としては、必要以上の評価は勘弁願いたいのだが・・・。
「皆のおかげでこのような結果が出たのだ。俺は二階堂の兵を誇らしく思う。今日は思う存分皆に酒をふるまってやれ」
「はい。聞いたか、照行様から振る舞い酒じゃ!」
「「「ありがとうございます!!」」」
戦では俺が略奪を一切禁止して厳しく兵を統制したため気が休まる暇がなかったはずだ。
俺も陣で主だった将達と酒を飲んでいたが、酔っているのか俺を必要以上に持ち上げようとする。
「それにしても照行様が攻めるとあれ程頑強な城があっという間に落ちるのう」
「始めに安積郡へ攻め入った時もそうじゃった。城門を破られた奴らの驚いた顔が今でも思い浮かぶわ」
「最後には照行様が来たと分かるだけで降伏しておったぞ」
「まさに楽毅のようじゃ」
おいおい、いくら何でも楽毅は言いすぎだろ?
あの人は中国の戦国春秋時代の名将だぞ。
俺もあの人を主人公にした小説は読んだ事があったけど、城の規模も人間の器もけた違いだからな!
ちなみに、俺が来ただけで降伏したところは持ってきた攻城兵器が怖かったらしい。
頭ぐらいの石が降ってくるから、一度あれを食らったことがあると心が折れるよね。
将達との宴も終わり、周りが静かになると床几に座って俺は冷静に考えた。
天文の乱は未だに序盤、ここからが本番だ。
さて、安積郡攻略が終わったことだし次の準備に取り掛かりますか。
読んでいただきありがとうございます。
松平元康(徳川家康)も1543年誕生です。盛義と同い年の設定となりました。
(注)この物語はパラレルワールドでありフィクションです。