25 侵攻1(地図あり)
楽しんでいただければ幸いです。
1540年初夏 二階堂氏 ~須賀川城~
「父上、準備は整いました。結城領に近い城へも人を集めています」
「そうか、結城氏は昨年の那須氏内乱で高資殿を助けた。その影響が残る中で、此度は二階堂が攻めてくるのかと不安に思っていような」
「はい、二階堂領に近い砦や館にも人を集めているようです」
「こちらの出兵の準備の準備が出来次第出陣する」
「「はっ」」
今回は二階堂が単独で仕掛ける戦なので準備は周到にしている。
それに侵攻に時間を掛ければ、伊達氏が仲介して戦を終わらせるはずだ。
史実でもそうだったが、伊達氏は周辺の勢力がこれ以上大きくなることを望んでいない。
だから、出来るだけ早く城を落とし、敵領の深くまで侵攻した上で戦後交渉をする必要があるのだ。
そのため、出陣を出来るだけ悟らせないために出発は払暁(夜明け頃)とした。
「それでは出陣する。よいか、始めの目標は田村領の守山城と伊東領の笹川城じゃ!」
「「「おおぅ!」」」
これまで用意した結城氏への戦の準備はブラフ。
結城領近くの城へ集めたのも近隣の農民であり訓練もしていない。
本命は最初から北に位置する安積郡伊東領だ。
二階堂が結城氏を攻める噂は周辺にも伝わっており、田村氏は蘆名氏との同盟もあったからか戦の準備を怠っており、小領主の集合体である伊東氏らも同様であった。
蘆名氏は表向きでは長沼城へ人を集めて二階堂を牽制する動きをすることになっていたが、盛舜殿との裏同盟により長沼城の主将が病になって出陣出来ないことになっている。
さらに、安達郡伊東氏と蘆名氏の一族である猪苗代氏が諍いを起こす手はずとなっているのだ。
猪苗代氏は松本城を勇猛果敢に攻めた武将だが、独立した気風があるため蘆名氏からは家臣としての評価が低い。
なので、松本城での戦の後で俺から猪苗代氏へ武勇を称える手紙を出したり、贈り物をしてこっそり誼を深めていた。
そして、今回は盛頼殿に「伊東領の熱海には鉱山がありますが金が出るらしいですよ。猪苗代氏の物になれば領内をもっと発展させられるでしょうな」と囁いた。
盛頼殿は史実で蘆名氏に謀反を起こす人物だが、現状で蘆名氏が乱れるのは二階堂として困るので自重して欲しい。
だから、猪苗代氏が蘆名氏一族で武力とともに経済でも影響力を強めて、一族の中で将来の家督にまで口が出せる存在になるべきだと誘導している。
普通ならば疑われてもおかしくない話だが、盛頼殿は脳筋タイプ(家臣も)で単純と言うか、以外に素直なので話に乗ってくれているのだ。
これによって田村氏と伊東氏の目を別なところに向けさせ、弛緩したところを一気に二階堂が攻め込む準備が整った。
※伊東領の熱海(安達郡)は、鎌倉時代に伊豆の熱海から移った伊東氏が熱海と同じように温泉の湧く土地であったことから熱海と名付けたといいます。また、近隣には上伊豆島、下伊豆島といった地名も残っています。
1540年初夏 田村氏 ~守山城~
「顕頼様、一大事です。城を二階堂氏の兵が囲んでいます」
「そんな、間違いないのですか?」
「少し明るくなってまいりましたので旗差し物が確認できます。二階堂氏の兵に間違いございません」
「急いで防備を固めなさい。今城にいる兵ではまともに戦えません。籠城して三春より援軍を待ちます」
「「はっ」」」
何と言うことだ、今の時期に二階堂氏がここを攻めて来るとは・・・。
兵を南へ集めて結城氏を攻めると聞いていたのに、こちらを攻めるなどとは予想外でした。
ここ守山城は前当主である父 義顕が三春城へ移るまで田村の居城としていた城です。
兄の隆顕が家督を相続すると、私はこの守山城を守ることになりました。
このことで私は田村の中でも重要な城を任されたと思い、父や兄へ畏敬の念を抱いたのです。
守山城が二階堂氏に将来攻められること自体は想定していました。
戦の予兆があれば、周辺から少なくとも100や200は城へ追加で集められる状態でした。
しかし、二階堂氏の攻めがあまりにも早かったため城内には100程度の兵しかいません。
伝令がこのことを三春へ伝えれば、早ければ夕刻には援軍の第一陣が現れるでしょう。
それまでが勝負ですね。
※史実の資料において田村氏の名将顕頼(月斎)は義顕の弟とされていますが、そうなると1589年の須賀川城攻めに参戦した記録があるため、100歳以上で戦っていたことになり矛盾が生じます。よって、ここでは顕頼を隆顕の弟という設定にしています。
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