18 救荒作物
楽しんでいただければ幸いです。
1537年秋 二階堂氏 ~須賀川城~
「照行様、晴行様へのお話でやっと不思議な事をやらされている理由が分かりました」
「すまん行有、父上へ言う前にこのことを告白することは出来なかったのだ」
「晴行様を出されると仕方ありません」
「それでだ行有、次にやって欲しいことなんだが・・・」
「はぁ、次は何をすればよろしいのですか」
「まずは、米を精米する労力を減らしたいと思っている。そのために水車が欲しい」
「領内にも水揚げ用の水車はありますが」
「今は足踏みで行っている精米を水車の力でやるのだ。そうすれば労働力を別のことに使えるから農民の生活が豊かになるはずだ」
「確かに精米は大変な作業です。ただし、これには利権が生まれるので二階堂氏として水車を作ることとしましょう」
「そうだな、水利権で争いになっては困る。後で図面を渡すので大工と相談してくれ」
「分かりました」
「次にやって欲しいことだが、田や畑に向かないところで蕎麦や麦を作って欲しい。不作の時のために粟や稗も作っていると思うが、この二つを多めに作って欲しいのだ」
「正直に申して粟や稗、麦などは農民にとってほぼ主食に近いですからそれ程無理ではないでしょう」
そうなのだ、京などの都市部や西国と違い、寒冷のため奥羽では米が取れにくい。
このため明治・大正の時代まで通常は米に雑穀や根菜を混ぜて食べなければならなかった。
混ぜ物の無い白米を食べられるのは正月など特別な時だけだったのだ。
さらに戦国時代では、その米すらも精米技術が発達していなかった事から今の様な白米ではなく、少し茶色がかった状態で食べていたらしい。
「蕎麦は保存が効くから今後は多く作りたいし、別の食べ方を広めたいと思っている」
「普段食べる蕎麦がきとは違うものですか?」
「ああ、『蕎麦きり』と言う食べ方だ。俺も自分ではやったことがないからどこまで再現できるか分らんが、行有頼むぞ」
職人が蕎麦を打つのを見たり、友人宅で手打ち蕎麦を振舞われたことがあったので大まかな作り方は覚えている。
ただし、細かい分量が分からないため実際に試行錯誤するしかない。丸投げだな。
「本当に上手くいくのですか?」
「何度かやればできるはずだ。上手くいけば蕎麦をこれまでよりも美味しく食べられる。須賀川の名物になるかもしれんぞ」
「作付けはこれから行いますが、蕎麦があれば冬の間でも試すことができますよね?用意しますから照行様にもご協力いただきますよ」
「・・・分かった。その時は連絡してくれ」
こうして救荒作物として蕎麦や麦の増産が一部で始まることになった。
これも米の増産に目途が立って余裕が出たからだと考えている。
しかし、蕎麦切りの試作に協力することになるとは。失敗した蕎麦は食べたくないんだが。
その時は捏ね直して蕎麦田楽とかに出来ないかな?俺、そっちの方が好きだったりするんだよね。
読んでいただきありがとうございます。