17 稲作
楽しんでいただければ幸いです。
内政ターンスタート。
1537年秋 二階堂氏 ~須賀川城~
「それではどの様な改革を領内で行うつもりじゃ照行」
「はい、まずは食料を増産したいと思います。これについては行有に命じ、保土原の土地において試して貰っています。行有、報告せよ」
今まで地蔵状態だった行有だが、このために連れてきている。
もちろん、これから行う俺の改革についても理解してもらうためだ。
俺を少しジト目で見ながら行有が報告をし始めた。
「失礼いたします。照行様からは稲作についていくつかの改良を行いたいとの依頼があり、我が集落の一部で試しを行っております」
「具体的には?」
「いくつかございますが、まず一つ目が種もみの選別です。塩水に種もみを入れて下に沈むものだけを使います。照行様によれば実入りのよい種もみならば苗としての生育もよいはずだとのことです」
簡単な技術だが、これは明治時代に開発された方法らしい。
福島ゆかりの5人組の番組でも師匠が教えていた方法だ。
これで米の収穫量が1割上がるのだから、やらないわけにはいかない。
ただし、この時代の塩は貴重品なので塩水は捨てたりしないで煮物用とかに使ったらしいよ。
「二つ目は、苗を作る種もみを等間隔でまき、この上に竹で組んだ網目をつくり、最後に藁を被せます。これで苗を温かく保ち、早く田植えをすることが出来ます」
良い稲は良い苗からだ。発育の良い苗は根つきもいいから丈夫に育つはずだ。
現代では被覆鉄線とビニールでドームを作っているが、油紙で覆っていた時代もあったと聞いている。
苗代は母や祖母の実家が農家だったので、田植えの手伝いで実物を見たことがある。
田んぼの形状で田植え機が入らないところを手で植えていたら、足がハマって動けなくなり笑われたのもいい思い出だ。
「三つ目は、種もみと同じように苗を等間隔で植えることです。縄を使って溝を作り、交差した所に苗を植えました。苗どうしが近すぎると稲の発育の邪魔になると伺っています」
これも例の番組でやっていた方法だからいいものに間違いないはずだ。
始めたばかりなので型枠を転がして目印をつける道具は開発中である。
「ここまでが田植えまでに照行様から支持を受けた改善点です」
「こんな方法で米が多く取れるとはのう。言われて見れば納得もいくが、聞いたことの無いものばかりじゃから行有も驚いたじゃろう」
「はい、不思議なやり方ばかりですから驚きました。農民に試させる際にも、米が取れなくても保証をしてくれと言われましたから」
すまんかった行有、現場ではいろいろ苦労したんだな。
「結果はどうじゃった」
「印地隊を作った頃より初めて3年目ですが、他の田に比べ改善策をした田からは2割から3割も米が多く取れるようになりました」
「なんと!苦労のかいがあったようじゃな」
父と行有は笑顔で頷き合っている。もちろん俺はドヤ顔だ。
なお、こうなると分かっていても結果が出るまでドキドキしていたのはここだけの話だ。
「さらに照行様は刈り取った稲からも籾を取る方法についても改良なさいました。竹や木で作った尖った棒を並べ、その間に稲を通すことで籾を落とす道具を作らせたのです」
これは農業チートでお馴染みの『千歯こき』だ。
江戸時代に一般的になった道具だが、戦国時代には広まっていない。
この時代は稲から人が大きな箸の様なものでしごき取っているらしく手間がかかる。
これが後家さんの仕事だったらしく、史実でも千歯こきはが世に出た頃は『後家たおし』とも呼ばれたらしい。
農民の作業軽減となっていいのかと思ったら、こんな裏事情があったのだ。
ただし、俺は後家さんの労働力にも目星を付けているので対策はあったりする。
弱小大名の二階堂に無駄な労働力はないのだ。
こうして俺は父照行に改革の成果を認められ、行有と共に次なる策を進めることになった。
読んでいただきありがとうございます。
ブックマークが1000件になりました!感謝感激!
ストックに余裕ができたので連続投稿継続中です。