婚約破棄王子
ーカラカラカラー
王家の紋章をつけた馬車が夜道を走る。ランプが下げられた車内では着飾ったリディアとフローリアが向かい合いながら………書類を読み耽っていた。ペラッペラと書類を捲る音が車内に響く中、リディアは書類から顔も上げずに口を開く。
「フローリア、聞いてくれ」
「あら、何?」
こちらも隣国の大使との会話を弾ませるための資料から目を離そうともしないフローリアはリディアの言葉に相槌を打つ。それに書類を読みながらも悲しげな表情を作ったリディアはやれやれと首を振る。
「どうやら私は令嬢達に婚約破棄王子と呼ばれているらしいんだよ」
全くもって傷ついた様子も見せず、リディアは肩を竦める。その言葉にフローリアもあらと資料から目を外しもせずに口を開く。
「本当に毎回聞くたびに思うけど……大変ね。婚約破棄したのはあなたのお父様であってあなたじゃないのに………」
「本当にいい迷惑だよ。これで結婚出来なければ父上を恨もうと思っている」
フローリアの同情を含んだ言葉にありがとうと返しながらもリディア・ユン・ハウルは自身への周囲の評価にため息を吐く。
ー婚約破棄王子ー
身の潔白のために言わせて頂ければそれはただの濡れ衣である。リディア自身には婚約者がいた事実もなければ婚約破棄をしたという事実もない。それなのに周りは自分を遠巻きにみてはー婚約破棄王子ーと呼ぶ。勝手に婚約破棄をし、父親であった国王の権威を傷つけたのは自分でなく、父である王だというのに………。
「……本当にこの世は理不尽だ………」
そうポツリと呟き、再び書類を読み始める。ー婚約破棄王子ーという不名誉な称号がなければそれなりにモテる筈だとリディアは自身を評価している。王家の証である“黒髪”に“紅い瞳”。身長は170センチ。父譲りの甘いマスクと優しく見える目元は母譲りで、自身の出生は周りに何を言われても王家の血筋だと誇りを持っている。不名誉な称号を幼い頃に知って、脳筋と呼ばれないように文武ともに励んできた。
ーそれなのに………ー
婚約破棄王子という理不尽な肩書きが自身の婚約を難しくしているのだ。大事なことだから二回言おう。自身は婚約者が居たという事実も婚約破棄をしたという事実もないのに………。自身の置かれた立場が悲しい。だが、言い換えればそれだけのインパクトを父の婚約破棄はもたらしたとも言える。チラッと自身の前に座るフローリアを眺めてリディアは冷静に考察する。現在の彼女は普段の落ちついた装いとは裏腹にこれでもかというぐらいに着飾っている。隣国の名産品のひとつである光沢のある絹織物を身に纏い、その名産品を殺さないがそれでも絹織物に負けない品のある装飾品を身に付けたフローリアはどこに出してもおかしくいご令嬢だ。そんなフローリアとそっくりな公爵夫人に対して、父はそもそも婚約破棄などという理不尽な選択をしたのかと思っている。
「………………………………………」
リディア自身、生まれてから“王家のために………”という言葉を繰返しかけられながら成長してきた。リディアが生まれたのは母と父が成婚してから3年目。その時には祖父であったリンクディ・ユン・ハウルは王の地位を父に譲り渡していた。下がる国力は著しく、王家と国の威信にかけた公爵令嬢との婚約破棄に寄る余波が国を襲っていた時期。
ー国は飢えていたー
国として交わした約束を破棄し、母を妃に迎えた父はひたすらに国を守るために奔走していた。だが契約を軽んじた父に対する他国の評価は厳しく、話し合う場すら設けてもらえないという事態だった。我が国の特産品は山から採れる鉱石とそれを加工した装飾品。山に囲まれた自国内の食料自給率は低く、装飾品を売って他国から買っていた食料の流通が途絶えれば民は飢える。僅かな食料は高騰し、民は飢えた。他国からの侵略かそれに追い討ちをかけ、多くの民が命を落とした。そのため我が国における王家への信用度は著しく低い。今は大分持ち直してはいるが、それでもやはりまだ道を外れれば荒廃した村が多数存在する。そんな民と国の状態を見て育った自分は心に決めた。自国内の民のためにこの命を捧げようと………。父が奪った命は数知れず、その罪の証である自分に出来ることは少なくとも全力を尽くそうと………。
ーだが………ー
「このまま婚約者が決まらず、王の義務のひとつ後継者が出来ないのは困るなぁ………」
優秀な後継者を残す事も王族の義務のひとつだ。そう嘆くと目の前に座っていたフローリアがクスリと笑う。
「そうね………結婚も王族であるあなたの仕事だもの」
「もちろん分かっているよ。フローリア」
フローリアの言葉に穏やかに頷きながらもリディアは自身の誓いを思い出す。
ー自国を豊かにするー
それこそが婚約破棄した王太子の息子のたったひとつの願いなのだから………。