その親父、異世界にて竜に燃やされる
ただっ広く広がる新緑の大草原。
爽やかな風が吹き流れ、蒼く透き通った空に真っ白なひつじ雲がゆっくりと遠くへ流れていく。状況が状況ならコンビニで弁当でも買って、缶コーヒーでも飲みながらのんびりまったりしたい様な素敵なロケーションだ……状況が状況なら、の話なのだが。
この状況、異世界と言う異常を気にしなければの話だ。
突然だが、俺は頭を抱えている。
何に対して? この状況に対して。だ。
まず、先ずだ。認めるのも癪だし認めたくもないがこの世界が完全に異世界だとしよう。 だとしてこの場所は何処なのかというのは確認したいがそもそも聞いたところでまずこの世界のことを俺は知らない、そして知ったところでソレをどう活かせばいいのかが見いだせない。
そしておそらく、こちらの事情も理解してはもらえないだろう。先程から不思議そうにこちらを見上げるこの少女だっていきなり現れた妙な格好をしてる男に「俺異世界から来たんだけど帰り方知ってる?」なんて聞いたところで完全に頭のおかしい奴と思われるのが関の山だろう、普通に考えて。
「あ、あの……ひとつ質問いいでしょうか?」
と、先程から俺の周りをウロウロしていた少女がおずおず、といった感じで声をかけてきた。
「ん? ああ、ワリイ。ほったらかしだったなそういや。 どうした?」
「あ、はい。 えっと……貴方様は何処からいらっしゃったんですか?」
ああ、あー、うん。お約束というかなんというか……。
「…………いきなりキラークエスチョンかよおい」
「へ? え、えっと……聞いちゃダメでした?」
いや、そういう質問が来るのは予測してた。そりゃあ気になるだろうよ普通は!!だがしかし、どう答えたもんかまでは考えてなかったので答えるのにやや戸惑う。そしてふと浮かぶ疑問……。
「……と、言うより。俺はどうやって此処にきたんだ?」
「あ、あれ? 覚えてらっしゃらないんですか?」
「覚えてないも何も、気づいたら此処にいて…お前さんが横に突っ立ってて…ッて感じでだな……なんか知ってるのか?」
「はい、えっとですね……」
俺はねこ耳少女から話を聞く。 彼女が話す所によれば、少し離れた所にある村
から村へとお使いを頼まれそのお使いの帰り道だったそうな。そしてもうすぐで村に着くという辺りで突然風が強くなり、大きな魔法陣が現れたと思ったら其処から大きな手が出てきてぞんざいに俺を放り投げた……らしい。 で、その後起き上がって暫し
ぼーっとした後叫び始めた……と。
「いや……いやおい、せめてもうちょっとかっこいい登場の仕方とか出来なかったのかよ俺は」
「そ、それは私に言われましても……」
あまりにも投げやりというか格好の付かない登場の仕方に落ち込む俺と困ったように笑う少女。くそ、通りで身体のあちこちが痛いわけだ。
「だから、てっきり異世界からこられたのかな……って思ったのですけど……」
と、少女は爆弾発言をしてくれやがった。
「ああいや正にそのとおりなんだが………ん?、今何つった? え、異世界って言ったか!?」
「えう!? は、はいあの言いました…って、ごめんなさいごめんなさい! そ、そんなに睨まないで下さい!?」
思わず少女に詰め寄る。いやだってまさか聞いたらアウトだろって思ってた質問がまさか当の本人から聞けるとは思いもしないわけであって、だ。
「ん、あ、ああ。すまんちっとヒートアップし過ぎた……で、だ。再度聞くが異世界ってのは……この世界では珍しくないのか?」
涙目になリ後ずさる少女を見て些かのやっちまった感を抱きながらも、なるべく優しく聞こえるように質問し直す。目付きが悪いのは自覚してはいるがどうやら子供相手だとこれがなおのこときつく見えるらしい。
「あ、えっと……はい。珍しいことは珍しいのですけど…居ないわけではないです、異世界からくる人」
少女の話を聞くと、数年に1人くらいは異世界からきたと思われる人が現れるらしい。この少女も小さい頃に一度見たことがあるとの事だった。
「ってことはだ……その来た奴らってのは、皆元の世界に帰っていくのか?」
「んん……それはちょっとわからない、です。私がお会いした方は、すぐに何処かに行ってしまわれたらしいので……」
「そうか……となると、戻る手がかりは無いってことだな……」
前に飛ばされてきた……と言う表記が正しいのかは分からないが、そいつを追いかければとも思ったが、数年前では流石に足取りはわからんだろうし……それ以前に俺はこの世界に知り合いもつてこの世界の法律も、ましてや資金もどのような環境なのかすらも知らない。所謂絶体絶命ってやつらしい。
「しかし、だ……」
俺は辺りを見回しながら考える、どうやらそうそう悪いことばかりでもないらしい。先ず第一に言葉が通じる。これのメリットはとても大きい。まだ文字は確認していないが言葉が通じるということは最低限のコミュニケーションがとれるということだ。
そして次に、飛ばされた場所が平和な場所だったという事だ。こういう系の話のセオリーとしては初っ端からヤバいモンスターなんぞに襲われたり……なんて事が常なのだが今のところそんな様子も見られない。つまり、情報を得る時間がある、ということだ。
そして最後、誰かしらこの世界の住人と出会えたという事。言葉が通じるこの環境下で、少なくとも敵対意識のないと思われる人物に会えたのは幸運以外の何物でも無いと思う。つまり、まだなんとかするチャンスが有るということだ。
「まぁ認めたくはねーけど来ちまったもんは仕方ねえ。前向きに行かねーとやってられんしな……」
そう独りごち、とりあえず当面は情報を集めつつーというプランをぼんやりと頭の中で組み立てる。 ……と、そこでこちらを見つめる少女の名前をまだ知らない事に気付く。
「そういや今更であれなんだが、お前さんの名前はなんて言うんだ?」
「あ、私ですか? 私の名前はアリシア。 アリシア・ノーチェス と、申します」
「アリシアか、俺の名前は酒川 耕太だ。 まぁ気軽に耕太とでも呼んでくれればありがたい」
「コウタ……はい、わかりました! よろしくです」
そう言いペコリと頭を下げるアリシアと鷹揚に手を振る俺。 この時のこの出会いが、まさかあんな事になるとは、まだ夢にも思わなかった。
「そういやアリシア、此処らへんに大きい街みたいなのはあったりするのか?」
どこまでも広がる草原を踏み進めながら、俺はふとアリシアに質問をする。
現在俺達はアリシアの住む村に向かって歩いている最中。此処であったのも何かの縁ということで招待してもらうことになったのだ。元の地球じゃついぞ見なくなった親切心にちょっとだけ泣きそうになったのは秘密だ。
「ん~、そうですね。騎乗竜で半日くらい草原を走れば少し大きめの村がありますね」
「らいでぃ……? 何か馬みたいなもんなのか?」
「馬というよりは……蜥蜴、ですね。この辺りの地域だと馬よりも騎乗竜のほうが一般的なんです」
「はー、乗れるサイズの蜥蜴なぁ。完全にファンタジーだなおい」
「コウタのいた世界にはいないのですか?」
「ああ、馬も珍しいくらいだしな。車だったり電車だったり飛行機だったり……」
「デンシャ? ヒコウキ?」
「あー、何つったらいいかね、馬鹿でかい鉄の塊がすごいスピードで走ったり飛んだりと思ってくれりゃあいいや」
「鉄の塊が飛ぶんですか!? なんか凄いですね……」
俺の説明に何やらとても感心したように驚きの声を上げるアリシア。俺から言わせてもらえれば乗れて走れる蜥蜴が一般的ってことが驚きなのだが……。
そんな風に色々とお互いの世界のことを話しているうちに、遠くの方に何やら集落のようなものが見えてきた。
「あ、見えました! あそこが私達の住む場所です」
「ほー、ってもこの距離だとあんまりわかんねーな。どんな感じの村なんだ?」
「そうですね……ほんとに何もないのがお恥ずかしいのですけど、皆優しいしとても良いところですよ」
「なるほどな、そんなら話も案外スムーズに進むかもしれんな……」
とりあえずはうまいこと進んでいるので、案外元の世界に戻るのもそう遠い話ではないのかもしれない。その時はそんなことすら考えていた。おそらくこの絶望的な状況にあった救いのせいで感覚が麻痺してたのだろう、きっとそうだ。だとすりゃあこのまだ何もわからない世界で、元の世界に帰れるなんて考えやしなかった……そう、あの存在を見るまでの俺は、完全にどうかしてたんだ。
黒い影が落ちてきた。それは太陽の光を遮って、大きな大きな影を俺らの上に落とした。遅れて聞こえたのは、何やら途方もなく大きな生き物の、おそらく羽ばたいたのであろう風を切る音。そうして空からゆっくりと降りてきたソレから、俺達は目を離せなかった……離すことなど出来なかった。
「……おいおい、なんでこんなのがいるんだ……?」
それはまさに竜だった。尻尾まで含めて15mはあるであろう巨大な体躯と全身を
覆う深緑の鱗、蒼空の如き瞳に宿るのはあらゆる種族の王たるものの誇り。
そいつは暫く草原の彼方を見ているようだったがゆっくりと頭をこちらに向け、小首を傾げる。どうやらまだ俺達が何かを認識はしていないらしい。
「…………やべえ、逃げるぞ」
幸いにして冷静さが残っていた。いや、むしろ実感がわかなかったのだろう。まだ思考出来るうちに行動しようとアリシアに声をかける……が、何故か彼女は動かない。目を見開き顔面は蒼白、手足は小刻みに震え、目の前の龍を凝視していた。
「アリシア……おい、アリシア!!」
「あ、あああ………いやぁ……」
強く身体を揺するが、反応がない。そういえば昔なんかのゲームで見たことがある気がするのだが、ドラゴンの瞳や咆哮には人の心を挫く力があるらしい……これがまさしくそれなのだろうか。
そんな事を考えつつも、自分が動けている奇跡に感謝しながらアリシアの手を引き逃げようとする。だがそれより数瞬早く竜が気付いたようでその瞳に炎が灯り、その大きな体躯を揺らしながらゆっくりとこちらに近づいてくる…………ああ、なるほど。これはゲームオーバーってやつなんだな、だとしたらとんでもないクソゲーだ。
間近に迫る馬鹿でかい竜を前に、半ば諦めながら煙草の火を灯す。ああそういや
新しい銘柄出るんだったなぁ……とか考える余裕が有るくらいには俺の頭は冴えていた。なるほど、人間実際死の淵に立つとこうなるものか。
このまま蹴散らされるか、喰われるか、それとも炎で焼かれるか、それとも俺一人だけ逃げたら良かったのか……いやでもどちらにしろ逃げたところでどうにもならんし、どちらにしろ人っ子一人守れないでってのは少々カッコつかないなぁ。
とか、だらだら思いながらその時を待つ。
………一向に食われる気配がないんだが?
眼前に広がるのは興味深そうにこちらを眺める馬鹿でかい羽の生えたトカゲ。アリシアの方もようやく元に戻ったらしく俺の後ろに隠れて怯えたように竜を見ている。 一方竜の方は何かを品定めするようにしげしげとこちらを観察しているが……。
「……お主は面白いな…」
「あー……え? ああ、え? 喋れんの?」
頭の上から降ってくる雄々しい声。それが目の前のデカブツが喋ってると認識するのに数秒かかった……いやだってまさか喋るとは思わねーだろ。
「お主は何処からきた? この世界のものではあるまい」
「あ、そういうのも分かんのか……つっても地球の日本つってもわかんねーよな」
「うむ、知らぬ」
「ですよねー」
人生初。俺、竜と会話してます。
いやまぁもうなんかね、実感沸かないってのもあるけど適応力ってすげーな。
「しかし……お主、弱そうだな」
と、ふと唐突にそんな事を言われた。
「いや、まぁそりゃあな? 何のスーパー能力もない武器とかも使えないペーペーのサラリーマンが強かったらそれはそれで問題だろうよ」
「そのさらりいまん、とやらがなにかは知らぬが……ふむ、面白いが、ちと惜しいな」
何が惜しいのかは分からないが、何やら思案モードに入る竜。いやしっかし間近で見ると、怖い。いやすっげー怖い。サイズが日本で見ることもないようなスケールってのもあるけど、鱗とか、爪とか、牙とか、なんか諸々がやばい。これと面と向かって喋ってるとかわりかし俺って心臓に毛が生えてるのか?
そんなことを思っていると竜が思案モードから戻っていた。
「……よし、お主に選択肢をやろう」
「おう…………おう?」
「だから選択肢をやろうというのだ。二択だ、いいな?」
「いや待ってなんの選択肢だ、ってかそれ拒否した場合は?」
「ふむ……考えてもみなかったが……喰うか?」
はいきました選択肢のないやつ!! はいかYESかしか選べないやつ!!よくゲームにありがちなやつだが、うん。断ったら食われるんだよなこれ。選ぶしかないのは分かってるが何を選べというのか。
「おーけー、選択肢を聞こう」
「ふむ、それは何よりだ。それで、だ。お主は水と火、どちらがいい?」
「あ? んー……それなら火、かなぁ」
「ふむ、ではもう一つ、風と土、どちらが好みだ?」
「それなら風だな」
「ふむ………分かった、やはり面白い。よし、ならば此処に来い。娘は少し其処で待つが良い」
よくわからない質問が終わり、何が面白いのかは皆目検討がつかないが満足気な
声を上げ前足で自分の目の前を示す竜。一体何が始まるというのか……。
とりあえず示された位置に向かう。離れた位置からはアリシアが不安げにこちらを見ているが…。
「コウタ……」
「あー、うん。多分大丈夫だ。何とかなりそうな気がする……今更になって喰うとか言
わないよな?」
「喰われたいのか?」
「それだけはご勘弁」
「ならば良い。では始めるぞ……少々痛いかもしれんが我慢しろ」
「へ?」
そう言うが否や、竜は大きく口を開ける。何かを吸い込むような音、何かが爆ぜる音、そして奴の喉奥にオレンジが灯り―
俺の視界は炎に包まれた。