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夜勤明け、交代として出勤してきた部下に一声掛けて早朝の隊室を後にする。実はまだ交代の時間には随分と早いのだが、気を利かせて早く出勤してくれた部下の優しさに甘える事にした。渋る私を無理矢理書類から引き剥がし背中を押す彼は優しい。まだ数部残っていた書類は彼に託す事にして、私は自室で少し仮眠をとる事にした。本当に良く気が付く良い部下だと思う。後で休憩時間を長くしてあげよう。今日は終業前に任務が入っている所為で終業時間を早める事ができない分、せめて。
まだ人が殆ど居ない軍部の廊下を自室へ向かい歩き出す。零れそうになる欠伸を噛み殺し、ひとつ伸びをした。
天界軍の軍人になって早四年。入軍当初は数え十三歳だった私も、もうすぐ十七歳になる。最初は平隊士だった私も、ミウ・レギオス『神将』となった。
あれから沢山の部下も出来た。その分哀しい別れも沢山あった。数多の戦場を見、その中で戦い生き抜いてきたこの四年間で随分強くなった、と思う。少なくともあの日何も出来ずにただ見ていることしか出来なかった自分よりは成長しただろう。全てを護れるだけの強さにも、幼い頃に父が言っていた“本当の意味での強さ”にも、ほど遠いのだろうけれど。
何度も何度も血に染まる戦場で戦った。数えきれない程の命を奪った。戦いに狂って、剣を振るうのが好きになって。まさかあんなに早く、かの有名な五大守護神の最高幹部五人の中に名を連ねることになるとは思わなかったけれど。なりたいと思っていてもそうそうなれるものでは無い。まさに“神”と呼ばれるに相応しい強さを持った者だけがその名を連ねる事が出来るのだ。無論、ただ強いだけではなく経験や部下からの信頼、冷静で的確な判断なども必要となる。最高幹部に抜擢された時に最年少最短でここまで上り詰めたと聞かされた時には心底驚いた。目が回るような忙しい生活にも慣れ、傍から見たらサボっているようにしか見えないと何度も言われた行為をするのが日課になって。実際、私がただ暇を持て余していると思っている人が大半だと聞いた。勿論これも大切なことだが、別にそうだと思っていてくれても私は一向に構わない。気付いてほしいとは思っていないから。寧ろ気付かないままの方が好都合だと思う。人の上に立つのだからやらなければいけないと思っているが、解っていてくれる人が居るなら私はそれでいい。
直属の部下でもそうでなくとも、慕ってくれる人が沢山居る。私を認めてくれる人が居る。同じ神将として、最高幹部として、可愛がってくれる『先輩』も居る。実はあまり先輩とは思っていないけれどそれはまあいい。大切なのは信頼関係なのだから。そして我らが君主、主様こと創造主様にも気に入って頂いて、天界軍の軍人としてはあまりにも多くの自由と我儘を笑って受け入れてもらえる。私は随分と恵まれているのだ。数多の罪も痛みも、忘れる事は出来ないけれど。
見慣れた自室の扉の前で足を止めた。指紋認証とブローチを翳す事で鍵を開き、中へ入る。身に着けていた数えきれない程の武器を外し、上着を脱いだ。それに合わせて何処からともなく現れた燕尾服の男にその上着を渡す。少し長めの金髪に黄色の目、まだ二十代半ば程に見える見た目は整っていて燕尾服を纏う長身痩躯の彼はまるで蝋人形の様だ。彼はレン。あの“事件”の後に私と契りを交わした契約式最上級悪魔だ。私の忠実な下僕、執事として姿は見えずとも常に傍に控えている。要は私の世話係だ。
首元に指を滑り込ませネクタイを緩めれば、ベッドの上の膨らみが目に入った。そろそろ起こした方が良いだろうか。時計の針はもうすぐ七時になる事を示していた。
外したネクタイをレンに投げ付け、ベッドに駆け寄る。そしてその勢いそのままにベッドへと跳び込んだ。
「うおっ?!」
丁度腹部の辺りを狙ってダイブすれば、その膨らみは何とも情けない声を上げる。波打つように動いた膨らみが捲った布団が顔に掛かって前が見えなくなった。
「何があった……って、お前か」
呆れたような溜息混じりの声がして、目の前の布が取られる。光と共に視界に入ったのは紅茶色の髪と目に、まだ少し幼さを残した顔立ちの青年。私より二つ年上の彼は神界軍第一団《深紅》副団長であり、私の大切な仲間でもあるガイ。神界軍第一団長と天界軍五大守護神特攻部隊長を兼任する私を仕事面だけでなく精神面でも支えてくれている、なくてはならない存在だ。
全ての世界の均衡を保つ為、反乱を防ぐための天界軍で取り扱う情報は全ての世界に関わる重要な物ばかりになる。当然、位が上がれば耳にする情報も当然外部に漏らす事の出来ない、世界の存続に関わるようなものも少なくない。この軍では情報漏洩は御法度だ。身内にすらその情報を洩らす事は出来ない。『情報を一切洩らしてはならない』、『戦場で咲き戦場で散る』、これが天界軍の掟だ。誰かに話す事は出来ない分、抱える物は多くなる。例え泣きたくとも情報を洩らす事は出来ないから何を聞かれても答えられないのだ。
誰よりも強くなりたいと、あの日から必死に鍛練を重ねこの軍に入る事を決めた私は他人に弱さを見せてはならないと思っていた。上に立つ人間が崩れれば下につく人達までも崩れてしまう。そうして人前で泣くことは無くなって、私は独り泣くことが多くなった。泣いても変わらないと、泣くくらいならその時間を強くなる為に使うと、そうやって今まで生きてきた私は隠すための演技も上手くなった。誰にも気付かれないように、とやってきた結果だ。でも、彼はいつも私の演技を見破ってしまう。天界軍の掟も私のことも良く知っている彼はいつも私を甘やかすのだ。そんな彼が居てくれるからこそ、私は私で居られるのだから。
困った様な、でも優しい笑みを浮かべて、彼は乱れた私の髪を撫でた。
「はよ。随分早く上がれたんだな、お疲れ」
「うん、交代早く来てくれたから。おはよう」
上半身を起こした彼に甘えるように抱き着く。首筋に顔を埋めれば、ゆっくりと背中を叩かれた。このまま寝かせてくれるのだろう。子供をあやすように優しく抱かれて眠気が襲った。今はこの温もりに甘えてしまおう。
「何時に起こせばいい?」
「んー……九時くらい」
「了解。おやすみ、ミウ」
そのままベッドに横になれば腰下あたりまである白金の髪が広がった。布団を掛けられ目に掛かる前髪が優しく退けられる。傍に居てほしくて、ベッドに浅く腰掛けた彼の上着の裾を緩く握った。目線を合わせるように覗き込んだ彼の瞳に自分の姿が映る。蒼い右目に紅い左目の少女は不安気な顔で見つめていた。額に優しく口付け撫でられて、逆の手が私の手と繋がれる。その手の温もりに酷く安心して、私は意識を手放した。
下書きから随分加筆しました。最後の所を入れたかったんです。