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夢見る少女の錯覚未遂  作者: 油淋鶏
第二章:『藪の中』を読んで
7/10

 外は眩しかった。

 春の日差しは薄暗い踊り場に慣れた瞳には痛いほどで、まともに目を開く事すら出来ない。それも数瞬、瞳孔の調節が済み、遮蔽物のないパノラマが一面に広がる。校舎自体が高台に建っている事に加え、周りに高い建物がないため、かなり遠くまでが一望できる。景色自体は教室の窓からのものと大差はないはずだが、視界が広いし、何より開放感が違う。思わず笑顔になった僕の頬を緑色の涼風がくすぐっていく。

 さっきまで僕たちを閉じ込めていた壁に寄り掛かり、並んで腰を下ろす。

「屋上で一緒にお弁当とか、漫画に出てくるカップルみたいだよね」

「僕の分のお弁当はありませんけどね」

 そんな馬鹿みたいな会話もさておき、僕は先輩に朝から気になっていたことを話した。

 話す間、先輩は鍵の束を手の上で弄ぶ。大小様々な鍵が黒猫のキーホルダーでひとまとめに連なっている。その中には、つい先ほど鉄扉を開けた鍵も含まれている。先輩はリングに指を掛けて、クルクルと回したり掴んだりを繰り返す。その度に鍵がぶつかり合って、チャキチャキと乾いた音を立てる。流れるような器用な円運動。その動きはどこかバタフライナイフに似ていた。

 話し終えると、先輩は最後にもう一度くるりと鍵束を回し、パシッと力強く掴んだ。

「ふぅん、つまり冬杜君は昨日の放課後以降の記憶が飛んでるんだね?」

「やけにあっさり信じましたね」

「お姉さんは素直だからね」

 普通ならば、一笑に付すか、精神科か脳外科に案内する話だ。それをこうも素直に受け入れてくれるとは、僕は何と良い先輩に巡り会えたのだろうか!

「と言うわけで先輩、原因に心当たりはありませんか?」

「……まあ、有るような無いような」

 露骨に視線を逸らす女がいた。

「て言うか、先輩が原因ですよね絶対。状況から考えて、それ以外考えられませんし」

 ずずいと詰め寄る。

「必ずともそうとは言い切れないことも無きにしもあらずな気がしない可能性も……」

「先輩ですよね」

「うん」

「ですよねー」

 引き伸ばした割にあっさり認めやがったよ。現場百遍の二遍目にして、早くも被疑者確保である。

「いや、正確には私もと言うべきで、責任は冬杜君と半々かな」

「なんと!」

 まさか自分が被害者であると同時に加害者だったとは。事件は常に、複数の視点から眺めるべきである。

 驚く僕に対し、先輩は更に追い打ちを掛ける。

「うーん冷静に考えると半々じゃなくて四対六、いや二対八くらい?」

「どっちが二ですか?」

「ハッキリ言っちゃえば九割九分十厘、冬杜君が悪いね」

「えっと、十厘だから繰り上がって繰り上がって……十割じゃないですか!」

「全面的に冬杜君が悪い! そして私は悪くない! 悪くないんだ刑事さん!」

「詳しい話は署で聞こうか……じゃなくて今ここで言って下さい! 昨日はいったい何があったんですか。どちらに非があるかは聴いた上で判断しますから」

「教えてもいいけど……怒らない?」

「聴いてから判断します」

「チッ」

 馬鹿話は一時中断、先輩はポケットから見覚えのある箱を取り出す。

「ちゃららん♪ 昨日冬杜君に通行証と言って渡した一見タバコだけど本当は法律的にも健康的にも、もう少しヤバい何か~♪」

 タバコの箱を掲げて、ドラえもん風にのたまう先輩。

「……って、『何か』って何ですか! そこが重要でしょう!」

「冬杜君を文字通り前後不覚にした素敵な葉っぱ?」

「『葉っぱ?』じゃねえよ!」

「カエルだよ?」

「カエルでもねえよ! なんで疑問系なんだって訊いたんですよ!」

「カエルじゃないよ……」

「アヒルでもねえ! ついでに六月六日でもなきゃ、雨ザーザーから程遠い快晴です!」

 先回りして突っ込む。

「えー、ドラえもん風に始めたんだから、六月六日はUFOにしておこうよ」

「JASRACに逆らいたくはありませんから」

「大丈夫だよ、誰も聴いてないから」

「壁に耳ありって言葉がありますし」

「屋上のどこに壁があるの? フェンスならあるけど」

「壁に耳ありフェンスにフェアリーって言葉がありますし」

「フェンスに妖精さんか。蜘蛛の巣に掛かった蝶を連想するね」

「蜘蛛と言えば踊り場の所にいましたけど、あんな所に獲物いるんですかね」

「ああ、あの子なら私が毎夜毎夜、新鮮な餌をあげてるから大丈夫」

「怖っ!」

「ふふっ、大きい餌も見つかったから、これでしばらくは狩りをしなくて済むね」

 僕を舐め回すよう、蜘蛛の巣めいた粘着性の視線が絡み付く。

 いや違う。これは蛇だ。

 暗闇で獲物を狙う蛇の瞳だ。

「やめて下さい。あなたが言うとシャレになりません」

 夜な夜な怪しげな魔方陣とか書いてる姿が容易に想像できるし。魔女の衣装とか似合いすぎだし。

「ふふ……冬杜君ってさぁ」

 さあ次は何だ。

 適当にあしらおうと考えていると、予想外の太刀筋が飛んでくる。

「冬杜君って……本当に薄っぺらいよね」

「…………」

 不覚にも固まってしまった。

 先輩は笑いながら例の『何か』が入った箱をずいっと突き出す。

「私さ、これがヤバい物だって言ったよね。関係ない会話ばかり続けて、何でスルーしてるの? 何で無かったことにしてるの? よく見てみなよ。パッケージはタバコのを流用してるけど……ほら、中身はこんな手作り丸出し。アウトって分かるよね? 『ダメ絶対』なおクスリだよね。カタカナで書く方のクスリだよね? 何で関係ないフリしてるの? そうやって耳を塞いで目を逸らして口を閉ざして、壁に耳あり障子に目あり?」

「……最後のは違うでしょう。それに屋上に壁はありませんよ」

「心に壁は作ってるみたいだけどね」

「穴だらけですけどね。壁と言うよりフェンスです」

「何かで塞いだ方がいいんじゃない? 例えばそう――包帯とか」

「…………」

「ほらまた固まった。本当に薄っぺらいね君は」

「随分と知った風な口を聴いてくれますね」

「よく知ってるもの。冬杜君って私が大嫌いな人間にそっくり」

「……きっと他者の視線を遮るくらい前髪が長い人間ですね」

「よく知ってるね。やっぱり似たもの同士よね」

「同族嫌悪しか覚えませんけどね」

「同感。でも残念だけど、君は私から離れられないよ」

「冗談。残念とも思いませんが、僕はあなたから離れます」

「だから無理だって。だって約束しちゃったから」

「……そんな約束、記憶にないですよ」

「大丈夫、私は覚えてるよ」

「…………」

 ペースに乗せられてはいけない。一旦距離を取る。間合いを計る。呼吸を整え相手の出方を伺う。

 すぐに追撃が来なかったのは余裕の現れだろうか。先輩は再び牽制から入る。

「冬杜君さ、さっき快晴だって言ったよね」

「そんなこと……ああ言いましたっけ」

 唐突に話が飛んだ。いや戻ったと言うべきか。

 六月六日に雨ざあざあ。意味のない会話の最中に、意味なく発した言葉。

 黙って上を指さす先輩。

「よく見て。ぽこぽこと積雲が浮いてるよね。雲量は一か二ってところかな。雲量は分かるよね? 全天に占める雲の割合のことだけど。だから現在の天気は快晴じゃなくて晴れだね」

 見れば確かに雲が浮かんでいるが、空は澄み切っていて、ぽかぽかと心地よく、快晴と表現しても構わないだろう。

「何か不満がありそうな顔してるけど、快晴っていうのは雲量が一以下ね。他にも降水が無いとか、霧や砂塵みたいな視程を遮る現象が……」

「あーストップストップ。そこまで必要ないです」

 話がどんどん関係ない方向に飛ぼうとしている。遮ろうとした僕を、先輩は更に遮る。

「ダメだよ。気象部の部員として、そのくらいは分かってもらわないと」

 ……何か変なことを言わなかったか、この人?

 唐突にぐにゃりと太刀筋が変わった。竹刀と打ち合っていたつもりがゴム刀だった。蛇のようにグニャグニャだった。

「……誰が?」

「冬杜君が」

「何ですって?」

「気象部の部員」

「誰が何ですって?」

「大樹は気象部に所属しています」

「わざわざ中学英語の直訳みたいにしなくても」

「Taiki belongs to the meteorological club.」

「わざわざ英訳しなくても!」

「だって繰り返しはギャグの基本だって……」

「言い訳もいりません! て言うか何ですか! 入ってませんよ、気象部なんて!」

「あーあ嫌だ嫌だ。男の子はすぐそうやって入ってないだの入れてないだの、入れたけど合意の上だの、外に出したからセーフだの言って責任逃れする!」

「何の話ですか!」

「はいこれ」

 女子の服は不思議がいっぱいだ。次から次へと物が出てくる。

 今度の登場物体は折りたたまれた紙だった。

 引ったくるように受け取って軽く目を通し、暗澹たる気持ちになった。

「言ったでしょう、約束したって。ああ、この場合は契約って言った方がいいかな?」

 書類の日付は昨日。部活名には気象部。生徒番号と氏名は僕の物。筆跡も僕の物。

 そして一番上に大きくプリントされた文字は『入部届』だった。

「何ですかこれ……どういうつもりですか」

「別に。純粋に部員が足りなくて困ってたのよ。そしたら丁度いい所におクスリで気持ちよくなってる下級生がいたから入部してもらっちゃった」

「こんな物、今ここで破いてしまえばお終いですよ」

「いいけど、そしたら私は職員室に行って、昨日のことを話すよ?」

「……昨日の何を話すんですか?」

「冬杜君が覚えてない、あんな事やこんな事や、すっごい事や、ものすっごい事」

「…………」

「凄かったなぁ。まさか冬杜君があんなことするなんて」

「…………」

「ところで、その書類を破くんだっけ?」

「…………下さい」

「なに? よく聞こえないよ?」

「……入部させて下さい」

「素直でよろしい」

「……鬼め」

「鬼じゃないよ……って、そう言えば私の名前も覚えてないのかな?」

 まるで藪の中にでも迷い込んだような暗澹たる僕とは対照的に、先輩は夏の日差しのような笑顔だった。眩しすぎて、目が眩みそうだ。

「じゃあ改めて自己紹介。私は気象部副部長の尾花夏南。夏に南って書いてカナミだよ。下の名前で呼んでもらえると、お姉さん的に嬉しいね」

「……随分と暑そうな名前ですね」

 きょとんとし、それからクスクスと笑う先輩、改めカナミさん。

「冬杜君、そのセリフ昨日も聞いたよ」

 目眩がした。

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