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夢見る少女の錯覚未遂  作者: 油淋鶏
第二章:『藪の中』を読んで
6/10

 昼休み。昨日誘いを断った償いに、今日はこちらから昼飯に誘おうと思ったのだが、千秋の姿が見当たらない。

 代わりに珍しいこともあるもので、委員長様がお声を掛けて下さった。

「秋茜さんなら保健室に行きました。先程の体育の授業で気分が悪くなったそうです。恐らく貧血でしょう」

 なるほど。相変わらず虚弱体質な奴だ。

「ベジタリアンだからな、あいつ」

「あの方のは主義ではなく、ただの子供じみた偏食です」

「ごもっとも」

 しかし千秋が居ないとなると、どうしたものか。他のクラスメイトと食べるのもありだが、山積みになっている問題を解決していくのが先だろう。現場百編の二編目。再び図書館へ!

 よし、と方針を決めたところで、委員長がまだ僕の前にいることに気が付いた。

 端的に言って気まずい。え、あれ? 何かやらかしてしまっただろうか。

「……えっと、委員長、まだ何か僕に用が……?」

 おっかなびっくり委員長様にお尋ねする。

「…………」

「…………」

 眼鏡越しの鋭い視線が僕をその場に縫い止める。息苦しい沈黙が続く。

 気まずい。気まずい。気まずい。

 僕の薄っぺらい自信とか尊厳とかがボロボロと崩れ出し、最期の一片が剥がれ落ちようとした瞬間を見計らったかのようなタイミングで、ようやく委員長様が口を開いた。

「私はありませんが、あちらの方が貴方に用があるそうです」

 そう言って優雅な動作で教室の入り口に手を差し向ける。

「……げ」

 思わず、うめき声が漏れた。

 この段階になってようやく教室内が普段と違うざわめきに満ちていることに気付いた。頭を抱えたくなる衝動を抑えて、入り口に向かおうとすると、背中に凍り付くような声が掛かった。

「冬杜さん。貴方が何をしようと勝手ですが──などとは言いません。学校は集団生活の場であり、貴方一人の行動も、その皺寄せは生徒全体に波及します。高校生として節度ある行動を取るように。くれぐれも風紀を乱す様な真似は慎んで下さい。宜しいですね?」

 振り返った。ガン睨みだった。振り返らなければ良かった。

 さて、高校生ともなれば交友の幅は広がり、必然、他クラスの人間に用があるなんてことは結構あるものだ。それは学年が違っても有り得るし、異性に用事が生じるのも何も不思議はない。それを軽薄かつ安直に色恋沙汰と結びつけるなんていうのは下衆の勘ぐりという物だろう。

 だが呼び出したのが女子で、呼び出されたのが男子で――さらに、その女子がお弁当の袋を二つ持っていたならどうだろうか。「おいどんは食べ盛りで、お弁当が一つじゃ足りないでごわす。でゅふ!」と解釈する人間は少数派と思われる、と言うかいない。恐らく大半の人間が「大好きな彼氏のために、早起きしてお弁当を作って来ちゃいました。てへっ☆」という甘々カップルの所行と解釈するだろう。

 僕は潔白だ!

 ……と言いたいところだが、昨日の記憶が飛んでいるせいで、そう言い切れないのが怖い。いやでも無いだろう。どう考えても昨日の半日でこんなフラグが立つルートなど思いつかない。うんあり得ない。

 ところで、高校に入って驚いたのが恋愛に対しての大らかさだ。校内でカップルらしき男女をよく目にするが、中学なら冷やかしの対象であるそれも、ごく普通のこととして扱われている。だがそれも四月半ばの一年生の教室内となると少々話が変わる。クラスメイトの大半、と言うか恐らく僕以外の全員は一ヶ月前まで中学生だったのだ。恋愛に関する感覚はまだ中学的である。ゆえに好奇心を隠そうともしない視線が集中する。そんな衆人環視の中で僕はそいつと対峙した。

「やっほー冬杜君。こんにちわんにゃん♪」

「…………」

 入り口には謎のポーズで謎の言語を発する謎の生物がいた。前髪で目が隠れてるので、恐らくアンゴラウサギかオールド・イングリッシュ・シープドッグだろう。おかしい。僕にはアンゴラウサギの知り合いなんていないはずなのに。OESの方だって近所に飼われてはいるが、知り合いと呼べるほどの交流はないはずだ。

 もちろん目の前の怪生物はアンゴラウサギでもオールドなんちゃらでもない。あいつらの毛は黒じゃなくて白だし、何より二足歩行しないし。て言うかこれ、昨日の先輩だし。

「あれあれ、なんで固まってるの冬杜君? 照れてるにゃわん?」

 ニヤニヤと笑う怪生物、もとい先輩……いや、やっぱり怪生物でいいだろう。て言うか何だよ、その語尾。そんな喋りしてなかっただろう。

「ふっふっふー。どうしたにゃわん? 何か言ったらどうだにゃわん?」

 言うことなど何も無い。僕は黙って目の前の怪生物の首根っこを掴むと「にゃっ?」駄犬の首輪を引っ張るようズルズルと扉から引き剥がし「きゃうん!」視線の群れを遮断するようにドアを閉めた「や、にゃ、大樹く…くぅーん…」

 同時に教室内が爆発。ドア越しに聞こえるクラスメイト達の喧噪。「誰あれ」「先輩?」「やべぇ!マジやべぇ!」「冬杜君って案外」「彼女?」「きゃー!」「ペットプレイだよねあれ」「羨ましくなんてないぞ!」「くそぉ俺も彼女が欲しい!」……その爆風に後押しされるよう僕は駆けだした。もしかしたら、この時の僕は泣いていたかも知れない。

「ちょ、ちょっと冬杜君、離し……にゃわわわわんっ!」

 吠える駄猫犬に耳を貸すことなく駆けた。多分それは青春の疾走だ。

 グッバイ平穏の日々。ああ、もう教室に帰りたくない。何処か遠くへ行きたい。

 何処か、遠くへ。


 考えがあった訳ではなかったが、気が付けば自然と脚はここに向いていた。全力疾走の代償の荒い呼吸がコンクリートの壁に吸い込まれていく。

「ハァ…ハァ……先輩……まず最初に…言って、おきますが……」

「ハァ…ハァ……なに、冬杜君?」

 お互い息も絶え絶えだが、それでも言わなければならないことがある。

「さっきのは別に、疾走と失踪を掛けた駄洒落じゃないですからね!」

「え? あ、うん……え? ご、ごめんなさい…?」

「分かれば好し!」

「…………」

「よくねえよ!」

「落ち着いて冬杜君! どうどう! どうどう!」

「めぇぇえええええんっっ!」

「痛ったぁッ!」

 我ながら何が何やら。剣道で言う所の胴打ち落とし面を決め(名前の通り相手の胴打ちを打ち落とし、その隙と反動を利用して面打ちを決める技……なのだが、僕が今やったのは単なる脳天チョップである)、一息吐いたところで改めて騒ぎの原因となった前髪お化けに向き直る。

「……で、どういうつもりですか先輩?」

「痛たた……ん? なんのことかにゃん?……わん?」

「それはもういいですから。て言うか、何ですか、その面妖な語尾は」

 わん、無理矢理付け足してるし。

「仕方ないでしょう。だって冬杜君がネコミミ派かイヌミミ派か分からなかったんだから」

「だからって混ぜないで下さい。少なくともキメラには興奮しません」

 ちなみに実際はイヌミミ派だ。いや、そんなことはどうでもいい。

「先輩……何が目的かは知りませんが、面白半分で僕からクラス内での平穏を奪わないで下さい」

 教室に戻ったら間違いなく質問責めに遭う。僕としてはありのままに否定するしか無いのだが、果たしてそれを信じてもらえるかどうか。考えるだけで、げっそりする。

「そんな……大好きな冬杜君のために早起きして一生懸命作ったのに。うるうる。……あ、指先に絆創膏を巻いておいた方が効果的だったかな?」

「うるうる言うな。いつの時代ですか」

「むー。そんなに怒らないでよ。『どきっ☆気になる先輩の手作りお弁当。クラスメイト公認のLOVE☆LOVEカップル爆☆誕』作戦の何が欲求不満なのさ」

「怒るわ! 気になってないわ! 認めてないわ! 一人で爆死しろ! 欲求は余計だ!」

 文章に起こしたら星マークが付きそうな甘ったるい声に全力で突っ込む。

 それにしても良かった。僕の中で万が一の可能性で残っていた「僕たち私たちは昨日、彼氏彼女になりました」を完全に否定できた。

「なにさ冬杜君、ツンデレってやつ?」

「ツンでもデレでもないです」

「つっけんどんな照れ屋さんめ」

「つっけんどんでも照れ屋でもないです!」

 微妙にツンデレと違うし。つっけんどんとか死語だし。ツンデレも死語だよなぁ……

「まあ公認カップル同士の粋な会話はこれくらいにして」

「だからカップルでも粋でも……ハァ」

 面倒臭い……昨日から薄々気付いていたが、面倒臭いぞ、この先輩……

「頼みますから、そういうの教室では止めて下さい。他でなら多少は付き合いますから」

 最大限の譲歩。

「そんな、付き合うだなんて……私たちまだ昨日会ったばかりなのに」

「はいはいまずはお友達から始めましょう、その後は交換日記ですね。だから、そういうのをしないで下さいって言ってるんです! いいですね?」

「つれないなぁ。やけに拘るけど、もしかしてクラスに好きな子でもいるの?」

「違います」

「あの委員長っぽい三つ編みの「違います」」

 即答。断じて否。

 というか、やっぱり他の人から見ても委員長様は委員長に見えるのか。

「ふーん……まあいいけどね。教室では自粛してあげる」

 にゅふふと気味悪く笑う。本当に大丈夫なのだろうか……不安だ。

 そんな僕の不安げな顔を見て満足したのだろうか。

「ねえねえ、それより腹ごしらえしようよ。走ったせいで、お腹空いちゃった」

 先輩は満足したように頷くと、両手のお弁当袋を掲げてニカッと笑った。

「私ね、屋上で空を眺めながらお弁当食べるのが好きなんだ。特に今日みたいに晴れた日は最高だと思わない?」

 どこか聞き覚えのあるセリフ。

 昨日の僕だったら「何を言ってるのこの人? 頭が可哀想な人? シャンデリアなシンデレラ?」などと思っただろう。

 だが覚えている。

 昨日の放課後、先輩が取り出した鍵。鉄扉の開く音。差し込む光……もっとも、記憶はそこで途絶えるのだが。

 記憶の焼き直しのように再び鉄扉の前に立つ先輩。鍵を取りだそうとしたのだろうが、両手がお弁当の袋でふさがっていることに気付いたようだ。ちょっと迷ったそぶりを見せてから、僕に向き直る。

「はいこれ冬杜君の分。先に渡しておくね」

「あ……ありがとうございます」

 手渡されたお弁当の袋はずっしりと重かった。

 そう言えば僕の弁当は教室に置いたままだったが……まあ放課後に食べればいいだろう。食べ盛りかつ伸び盛りなので、二食分くらい問題ない。今はありがたく先輩のお弁当も頂くとしよう。

 それに正直に言えば、どんな理由だろうと(たとえ教室で僕をからかうためであっても)女の子からお弁当がもらえるというのは嬉しいわけで。いやほら僕だって健全な男の子ですから。

 少々気が早いが、ワクワクしながら包みをほどく。そしてお弁当にご対面。

「やっほう!」

 思わず歓声が出た。

 取り出した直方体の物体に、燦然と輝く『英和辞典』の文字。

 紙製のケースから分厚いそれを取り出す。パラパラとめくると、細かい字でビッシリと英単語やその説明、例文なんかが並んでいる。うーん、食べる前からお腹いっぱいだ。

 ぱたんと閉じる。ケースに戻す。袋に詰め直す。いたずらを成功させた小学生の様な顔で笑ってる先輩の正面に立つ。弁当もとい英和辞典を振りかぶる。息を吸う……

「めぇぇえええええんっっ!」

 鈍い音と「にゃわん」という悲鳴が、コンクリートの壁に吸い込まれていった。

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