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夢見る少女の錯覚未遂  作者: 油淋鶏
第一章:『蜘蛛の糸』を読んで
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「うん……まあそうだよね。……普通そうだよね」

 目的の場所――正確にはその手前で、僕の行く手を遮る鉄の扉。

 どこで計画が狂ったのだろうか。これでは気持ちの整理どころの話ではない。

 悪足掻きにノブをガチャガチャと回してみるが、当然それで鍵が開くはずもない。

 それでも意固地になって左手で回し続ける。一度や二度で駄目でも、三度目の正直という言葉もあるのだ。オープンセサミ!

 魔法の呪文を声には出さず唱えてみるが、もちろんそれで開くわけがない。そもそもこの世に魔法なんて在るわけがない。否定する人間もいるが、今は科学万能の時代なのだ。

 ……教室に戻るか。

 人間、諦めが肝要である。いつまでも過去に捕らわれていてはいけない。とっとと見切りを付けて、新たなる未来に生きよう。そうしよう。

 きびすを返そうとした僕だが、しかしその願いは叶わなかった。

「キミ、何してるの?」

 唐突に。すぐ真後ろからの声。まるで迷子に語りかけるような優しい口調だった。

 驚きを隠してゆっくり振り返ると、見覚えのない女生徒が小首を傾げて笑っていた。


 第一印象は「黒い」だった。

 いつだったか、テレビで漆塗りの映像を見たが、あれが一番近い。墨汁よりも濃密で、タールよりも艶やかで。黒と光を混ぜ合わせて魔女の大鍋で煮詰めたかのような夜の色。

 黒の正体は髪の毛だった。重苦しいほどに長い黒髪。前髪は目元を完全に覆う程に長く、隙間から覘く目尻の下がった瞳は、虫を虐めて遊ぶ子供のような輝きに満ちていた。

 背は女子にしてはやや高めだろうか。視線を少し下に移すと、なだらかな胸の起伏の上に、二年生を表す赤色のリボン。つまり彼女は先輩ということになるので、失礼にならない程度の丁寧語で答えた。

「……別に何かしてるってわけじゃありませんよ」

「あはは、何もしてないのにこんな所にいるなんて、かえって怪しいよ」

 けらけらと笑いながら、先輩は「こんな所」を髪に隠れた瞳で、ぐるりと辺りを見渡す。つられて僕も視線を巡らせた。

 窓もない、わずか三畳ほどの薄暗いスペース。ある物と言えば出番が無さそうな掃除用具のロッカーと、いつからあるのか「置く場所が無いので一時的に放置しておきました。面倒なのでそのまま放置し続けてます」といった雰囲気の廃机。それらを囲む打ち放しの壁からはコンクリート特有の湿った臭いが漂い、淀んだ空気と混じって重たい閉塞感を与えてくる。僕たちの視線に気が付いたのか、机の上にいた大きな赤茶色の蜘蛛が、カサカサと八本の脚を器用に動かして隙間へと逃げ込んだ。

 そんな具合だから、お世辞にも居心地が良い場所とは言えない。彼女が言う通り、用もなく来るような場所ではないだろう。僕だってこんな所に留まりたくなかった……アレさえなければ。

 再び僕の思考を読んだかのように、ぴっと先輩が僕の背後の鉄扉を指差した。

「そこ、開かないでしょ?」

 にんまりと意地悪な顔……どうやら僕が何故ここに来たのか、そしてその行動がどれだけ馬鹿げたことなのか知った上で、先ほどの質問をしてきたらしい。

 『天国への扉』――誰の悪戯か、扉には黒のマジックでそう落書きされている。

 センスは最悪だが、あながち間違えでもない。高校生にとって学校は監獄であり、これは幸せの国へと続く希望の扉だ。もちろん天国に至る道は険しく、囚人には通ることが許されていないことも含めてだ。扉にしっかりと鍵が掛かっているのは、つい先程、僕が確認したばかりである。

 扉の向こうに広がる青空を想像して小さく溜息を吐く。そんな僕に、ネズミをいたぶる猫のような追い打ち。

「屋上は立入禁止だよ。知らなかった?」

 そう、ここは屋上へと出る一歩手前にして袋小路。階段を上った先にあるどこへも続かぬ踊り場だ。先程説明したとおり廃机で埋まっているせいで、名前に反して踊ることすらままならない。

 おかしいな。高校の屋上と言ったらカップルがお弁当を食べてるはずなのに。授業をサボった不良が寝転がっているはずなのに。文化祭実行委員の二人が後夜祭のキャンプファイアーを喧騒から外れて眺め下ろし、二人きりのフォークダンスを踊り始めるはずなのに!

 ……いや分かるけどね。少し考えれば当然のことだ。屋上などという教師の目の届かない場所をわざわざ開放する理由はないし、給水塔のような重要な物だってあるのだ。それに……ひょいと柵を乗り越えて、自分の体を用いたガリレオの実験をしようとする馬鹿が現れないとも限らない。何かがあってからでは遅いのだ。それなら最初から封鎖しておくのが一番である。

 もっとも今更分かったところで後の祭り。いわゆる後夜祭。文化祭実行委員の二人に眺め下ろされるしかない。

「うんうん、新入生だもんね。知らなくても仕方ないよね」

 ……実際には、見知らぬ先輩に見下さされてるわけだけど。

「都心部の学校では、土地がないので校庭代わりに屋上が開放されているんですよ」

「でもここは東京じゃないしね」

「中二までは都心にいたんですよ僕。なので間違えても仕方ありません」

 嘘ではない……が、僕の居た中学は普通に校庭があったので嘘とも言える。先輩はどこまで見破っているのか、「ふーん」と興味なさ気に返すだけだった。

 ……さて、やられっ放しは性に合わない。ここらで反撃に出よう。

「そう言う先輩は何でここに? 屋上は立入禁止らしいですよ?」

 笑いが一瞬だけ消えた。前髪の隙間から覗く瞳が「追い詰められたネズミのくせに生意気ね」と嘲り混じりに言ってるように見えたのは、もちろん僕の錯覚だろう。

 先輩はすぐにおどけた表情に戻ると、わざとらしく顎に手を当て、うーんと唸り出した。言い訳を考えてるというより、秘密を打ち明けようか迷っている雰囲気だ。

 ……なんだろう、反撃をしたつもりだったが、罠に飛び込んでしまった気がする。

 嫌な予感は当たるもので、先輩はとびっきりの笑顔で地雷を発動させた。

「私ね、屋上で寝転がって空を眺めるのが好きなんだ。特に今日みたいに晴れた日は最高だと思わない?」

「…………」

 どうしよう。

 ついさっき屋上には入れないと言ったのは他ならぬ彼女だ。もしかして、ちょっと頭が可哀想な方なのだろうか。メルヘン世界の住人だったりしちゃうのだろうか。

 こちらの困惑を他所に、先輩はぐいぐいと自分のペースで攻めてくる。

「君も屋上で寝るの好き?」

「え、ええ、まあ……嫌いじゃないと思います」

「本当? じゃあお姉さんと一緒にお昼寝しようか?」

「誰だよ、お姉さんって」

 いや突っ込むべきはそこではないだろ僕。どうしよう、困った、会話が成り立たない。

 今一度周りを見回すが、薄汚い机くらいしか目に入らない。お昼寝用のベッドの代わりにするのは出来れば遠慮したいところだ。背中が痛くなりそうだし。制服も汚れそうだし。

 そもそも何よりの問題は、ここが屋上ではないということだ。高度的には屋上と同じだが、扉の内と外では、どうしようもなく隔たりがある。

 それとも先輩にはこの薄暗い空間が、僕とは違った景色に見えているのだろうか。例えば豪華なシャンデリアに照らされた煌びやかなダンスホール。ああ、舞踏会を夢見る可哀想なシンデレラ。魔法使いは現れず、埃だらけの踊り場で妄想に耽る少女!

「……ガラスの靴って割れたら大惨事だよな」

「え、ガラパゴスがどうしたの?」

 しまった思わず声に出してしまった。けどガラパゴスはないだろう。ガラしか合ってないし。どんな聞き間違えだよ。

「えーっと、ガラパゴスゾウガメみたいに日向ぼっこして暮らせたら幸せだと思います。それじゃあ僕はもう行きますね。失礼しました。さようなら」

 これ以上関わると泥沼な気がしたので、早口で捲し立てて退散を決め込んだ。

 先輩の脇をすり抜け、何かを言われる前にトットットッと逃げるように(実際に逃げてるのだが)階段を降りる。参った。これじゃあまるで僕がシンデレラだ。ちょうど十二時くらいだし(昼の)。ガラスの靴は履いてないけど(大惨事回避)。

 馬鹿な思考をしながら、さて次はどこに行こうと考えていたが、しかし途中まで降りたところで上からの声。

「待って、冬杜君」

 振り返った僕の目の前に飛来する、小さな物体。

 僕はそれを反射的に右手で掴もうとして──

「    っっ!」

 ぽとり、と格好悪いことに取り落としてしまった。

 ……気まずい。

 こういう時はパシッと片手で格好良くキャッチするのがハードボイルドのセオリーなのに。いや、別に僕はハードでもボイルドでもないけどさ。

「ぷっ……あは、あはははははははっ!」

 頭上から聞こえる遠慮のない笑い声。先輩は腹を抱えて笑っていた。と言うか笑いすぎだろう。何がツボに入ったのかは知らないが、比喩ではなく本当に腹を抱えて笑う人間を初めて見たよ。まったく芸人冥利に尽きる。いや別に僕はゲイでもニンでもないけどさ……いや、何だよニンって?

 先輩はたっぷり三十秒は笑った後、ご丁寧に指先で涙を拭う仕草まで披露してくれた。

「ごめーん、笑ったお詫びに、それあげるよ」

「……ありがとうございます」

 お詫びにしては渡される順番がおかしい気もするが、指摘するのはやめた。何が切っ掛けでまた爆笑されるか分からないので素直に従うことにする。

 だが階段の途中に落ちたそれを拾おうとして、僕の動きは止まった。

 ポケットサイズの小さな紙箱は、落ちた衝撃のせいか蓋が開いており、中から白いスティック状の物体を何本か顔を覗かせている。太さは一センチもなく、口に咥えるのには丁度良さそうだ。

 この時点で当然その正体は分かっていたのだが、認めたくないという思いが、それの名前を出すことを拒否していた。何とか別の可能性を見出そうとするが、うまくいかない。だってパッケージに書いてあるし。

『喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます』

 駄菓子屋にある、それを模したチョコである可能性は消えた。

 だって書いてるもの「喫煙」って。言っていい? 言うよ? 言うからね?

 タバコじゃん! タバコじゃん! もう一度言おう、タバコじゃん!

 参った。先輩はメルヘンかつ不良さんだった。

「……何ですかこれは?」

 理解した上でなお、問わずにいられない。先輩は悪びれもせず、どころか悪戯が成功した子供のような、満足そうな笑顔だった。

「通行証」

 先輩は目元に掛かった黒髪を掻き上げながら言う。

「それを持って放課後ここに来たら、お姉さんが良い所に連れて行ってあげるよ」

「…………」

 何も答えずに、彼女が言うところの通行証を左手で拾い上げる。

 紙箱は軽く、ほとんど重さを感じなかった。

「拾ったということは、『良い所』を期待しちゃった? えっちー♪」

「違います。善良な生徒として、校内にこんな物が落ちてるのを見過ごせないだけです」

「嘘吐き」

「あんたこそ」

 意味の無い言葉の応酬を交わし、その場を後にする。

 もう一度くらい何かあるかと思ったが、今度は呼び止められることはなかった。


「あれ?」

 一階に到着した所で、ふと足を止めた。

 近くで立ち話をしていた女子が怪訝そうな顔で僕を見たので、慌てて歩行を再開する。

 ……僕、名乗ってないよな?

 さっき先輩に「冬杜君」と呼ばれた気がしたが……いや、きっとフルマラソンとか言われたのを聞き間違えただけだろう。

 そんなはずは無いけど、強引に自分を納得させることにした。だって深く考えたら何か恐いし。

 まぁ何にしろ、

「変な女だったな」

 呟いてから、僕は先輩の名前すら聞いてなかったことに気が付いた。

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