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セレンと海の獣《セティシアン》(3)

リィイヴがふっと口元を緩めた。

「ばかばかしくなったんだ、大教授になるために功名を争ったり、派閥を作ったり。なったらなったで、競争相手を蹴落とそうとうかがい合って。そんなのもう関わりたくなかった」

 それだけでもないがと思いながら、書物の山を見た。

それにしても、この数値はどうやって計測したのだろう。シリィにアナラァイズドインストゥォルメント(成分分析器)があるのか。熱心に頁を捲り続けているエアリアをちらっと見た。

「こんなの覚えさせて意味あるの?」

「数値だけではないからな、当時のことが詳しく書かれているから意味はある。それにこれは罰なんでな」

 エアリアが頭を上げた。

「師匠、さきほどのセティシアンは、いったいなんでしょう?」

 イージェンが窓に寄った。

「わからん。今も深く潜行しながらこの船に付いてきてる。あの泳ぐ速度も口から吐き出した光も魔力によるものだ」

 エアリアが信じがたいという風に首を振った。

「まさか、あれは魔導師?」

 リィイヴも驚いて息を飲んだ。イージェンが机の前に戻ってきた。

「言葉を持たない獣がなるとは考えにくいが。いずれにしてもこの船を襲ってくる様子はない、ほおっておこう」

 サリュースが戻ってきた。自分とエアリアに茶を入れてきたようだった。

「そいつの分はないぞ」

「これから夕飯の準備の手伝いをさせるから、別にいい」

 イージェンがリィイヴをうながして出て行った。サリュースがエアリアの近くに茶碗を置いた。

「無理しなくていい。これを三十冊なんていじわるでやっているとしかおもえん」

 エアリアが軽く頭を下げて茶碗を取った。

「いじわるだなんて…学院長様は、イージェン様を誤解されています」

 サリュースが茶を一口すすってからため息をついた。

「誤解?あんな災厄…ヴィルトもなんで後継者なんかに。おまえが継いでくれればよかったんだ」

 エアリアが茶碗を置いた。

「学院長様、大魔導師なんですよ、災厄なんて、言わないで下さい」

 目じりを上げてきっと見据えてきた。自分にそんな顔を向けるとは。悪影響としか思えない。サリュースがむっとした。

「わたしが素子の実クルゥプだったならば…でも、おまえがそうなのだからと喜んでいたんだぞ」

エアリアとしては大魔導師となれなくなっても、イージェンの言いつけを守って修練し、少しでも強い魔導師になって、ラウドを守ることができれば…むしろそのほうがよかった。再び頁に目を戻した。


 リィイヴは、湯を沸かしておくよう言われて鍋に水を入れ、かまどの火を点けた。少しして、イージェンが手に魚を持って厨房に入ってきた。

「こいつはうまい魚だぞ」

 そう言って、まだ生きている魚を板の上に乗せた。

「とってきたの?」

 リィイヴがまじまじと見た。包丁の背で頭のあたりをコンと叩くと、魚はおとなしくなった。腹を割いてはらわたを出した。腹の中に香草を詰め込み、岩塩を山ほどかけて、すっぽりと包み込んだ。

「これを天火で焼くんだ」

 天火に火を入れて中に入れた。リィイヴは、その間に豆をするよう、すり鉢を渡された。

「ほんとうの豆のスープを食わしてやる」

 リィイヴは、豆を鞘から外し、すりこぎで豆をすった。

 イージェンはリィイヴにすらせた豆を布で丁寧に裏ごしして、ゆっくりと煮た。味見をしろと渡された小皿に入れたスープを飲んだ。

「美味しい。すごく濃いというか深い…感じがする」

 イージェンが鉢に入れた小麦の粉に水を入れてこね出した。

「そのうち、なぜ俺がマシンナートの食事を嫌がったか、教えてやる。俺もなんでヘンな味がするのか、ようやくわかったんでな」

 リィイヴも知りたかったのでうなずいた。ちらっと粉をこねている手元をみた。

「その…手ぶくろ、普通の布じゃないの?」

 イージェンが手を止めて、手のひらを見た。

「ああ、魔力で精錬した布でできている。ヒトの肌とほとんどかわらない。同じ感触が伝わってくる。前と同じようにアナラァイズドインストゥォルメントにもなる」

 アナラァイズドインストゥォルメントとは成分分析器のことだ。毒や薬が入っていないか分かるのだ。

 窓の外が急に暗くなった。まだ日没には時間がある。イージェンが窓の外を見た。

「どうやら、天気が悪くなってきたようだな。今夜は嵐かもしれんな」

 食堂に食器を出して夕卓を整えた。窓から外を見ると、いつのまにか船は海面から空中に飛び上がっていた。海面に波が立っていて、荒れてきていた。南に雲のかたまりが見える。

「低気圧か…この季節だとそれほど規模は大きくないだろうけど…」

 イージェンが焼きあがった魚を皿に乗せて持ってきた。

「少し早いが夕飯にしよう」

 リィイヴがみなに知らせにいった。船長室に入ると、サリュースはすぐに出て行ったが、エアリアはまだ書物から目を離さなかった。

「暖かいうちに食べようよ、残りは後にしたら」

 リィイヴに言われてエアリアが顔を上げた。パタンと書物を閉じた。

「終わりました」

 リィイヴが目を丸くした。

「すごいね。でも、覚えるだけじゃ、だめだね。分析して考察できなきゃ」

 今度はエアリアが目を見開いた。

「魔導師に環境ニュゥメリックデェイタを分析するファウンデェイションがあるの?それはケミカルテクノロジイの分野だよ」

 魔導師にとってテクノロジイは異端だから、それを認めるようなファンデェイション(基礎)はないはずだ。基本的な長さ・重さなどの度量衡・暦が一緒なのはわかっていたが、ここで使われている環境基準値や分析単位は、マシンナートが使っているファンデェイション(基礎)だ。測定の方法はわからないが、この書物はむしろマシンナートのデェイタと言えるのだ。エアリアが戸惑った。

「わかりません、わたしはただ師匠に従っているだけです」

 リィイヴが扉を開き、出たところでヴァンがセレンを背中におぶってやってくるのに出くわした。

「セレン、大丈夫なのかい?」

 リィイヴがセレンの前髪を優しく払った。

「はい、大丈夫です。歩けるって言ったんですけど…」

 セレンが頬を赤くした。ヴァンが無理やりおぶってきたのだろう。食堂ではすでにみなそろっていた。外は雨が降り出していた。

「今夜は嵐の中を突っ切ることになりそうだ。でも、揺れたりしないから安心していろ」

 船の揺れは苦手だったイリィが、ほっとした。

ラウドのテーブルに塩焼きした魚の大皿が置かれていた。

「せっかく海に来たんだ。魚を食わないとな」

「魚さん?」

 セレンが不安そうな顔で見た。

「あの魚とは違う。とてもうまいぞ」

イージェンが木槌で塩のかたまりを叩いた。割れた白いかたまりの間からふわっと湯気が立って魚が見えた。

小皿に切り分けた身を乗せていく。ゆでた人参と香草を添えて配った。水で乾杯して食べ始めた。イリィが魚料理をほめちぎった。

「いや、これはうまいです!こんな美味しい魚料理、食べたことありません。王宮の調理師もこれほどの腕のものは滅多にいませんよ!これもエアリア殿が?」

 エアリアが首を振った。リィイヴが言った。

「イージェンが作ったんですよ」

 イリィが驚いてイージェンを穴が開くほど見つめた。ヴァンも口に合ったらしく、すでに平らげておかわりしていた。

「エアリアといいイージェンといい、魔導師って料理がうまいんだな、学院長さんもうまいんだろうね、次よろしく頼みますよ」

 ヴァンが自分で山盛り皿に乗せてサリュースを見た。サリュースがぎょっとした顔で見返した。

「わたしは料理などしたことない」

 イージェンがいじわるげな声で言った。

「学院長はせいぜい茶を入れるくらいだな。この旅の間に一品ひとしなくらいは作れるようにしてやろうか?」

「遠慮する」

 ぷいと横を向いた。セレンもおいしそうに頬を膨らませて、ラウドがうまいなと声を掛けると笑い返していた。イージェンが豆のスープの小鉢をもって食堂を出て行った。後片付けはヴァンとセレン、イリィですることにした。

「ヴァン殿はいい体格されているが、剣術や体術などの経験は?」

 イリィがヴァンに尋ねた。ほとんど話をしていなかったので、ヴァンが驚いた。

「いや、なにも…強いて言えば、筋力訓練くらいかな。後はミッションで力使うことが多かったから」

「イージェン様からヴァン殿に剣術を教えてやってほしいと言われたので、どうかなと…」

 ヴァンが手元を止めてイリィを見た。

「俺にできるかな?」

 イリィが笑ってうなずいた。

 ヴァンとイリィは船倉に汚水を捨てに行き、セレンは部屋に戻った。リュールが足元に駆け寄ってきた。

「リュール」

 抱き上げた。ベッドに横になってリュールの頭を撫でた。

「あの魚さん、ぼくを呼んだんだよ、おいで…って。だから、飛び込んじゃった。それでね、身体に触ったら…」

 胸がどきどきした。ヴィルトやイージェンに抱かれているときとも違う。身体がふわっと浮くような感じだった。頭の中がじんとしてきてとても気持ちよくなった。あのまま触っていたかった。

「でも、溺れて死んじゃうよね…」

 …おいで…

 あの声がまた聞こえるような気がした。

「いきたい…な…魚さんのとこに」

 …もっとぼくを呼んで…

 うとうととしてきたセレンの顔をリュールが悲しそうな目で舐めた。

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