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セレンと空の船《バトゥウシエル》(5)

リィイヴが目を見張ったが、すぐに細めて顔を逸らした。

「ヴァンに聞いたの?」

 イージェンが首を振った。

「いや」

 リィイヴが顔を上げた。

「昼間エアリアに話してたこと、ワァカァじゃ知らないことだろう。インクワイァでも知ってるのはごく一部では」

 リィイヴが肩で息をした。

「もしかしたら、ぼくのこと、評議会の『犬』だと思ってる?」

「別に『犬』でもかまわん。知られて困ることはなにもない」

 イージェンが立ち上がり手すりに近づいて腰掛けた。

「シリィや五大陸のことは、マシンナートたちのほうがよっぽど知ってるだろう。総会の議事録をもって帰ってもいいぞ」

 リィイヴがイージェンに向かい合うように手すりに座った。

「ほんとうに『犬』だと思うなら、ここから突き落としてよ」

 悲しそうな顔でそう言って下を見下ろした。下は山なのか湖なのか、草原なのか人里なのかもわからない。ほとんど光のない暗闇だった。イージェンは返事をしなかった。リィイヴが下を見下ろしたまま話し出した。

「ぼくは…ファランツェリと同じように、インクワイァの中でも数値が高いメイユゥウル(優秀種)だったんだ。ぼくも十歳のときにすでにチィイムの中でミッションに加わっていたよ」

 甲板に降りて手すりに腕をかけ顎を乗せた。

「そのチィイムの教授、ぼくが作ったオペレィションコォウドを自分のものとして発表したんだ。それで評議会に訴えるって言ったら…」

 イージェンがちらっと後を振り返ったが、またリィイヴを見下ろした。

「殴られて、犯されて…幻覚剤漬けにされた」

 次第に冷えていく夜の風がリィイヴの髪を揺らした。イージェンの外套もはためいた。

「薬の後遺症と神経症で、まともに口も利けなくなって、病棟に入れられて…もう一生出られないと思った。なんとか八年後出られたけど、数値が落ちていて、ワァカァに落とされたんだ」

 イージェンの手がリィイヴの髪を撫でた。両腕を伸ばし、リィイヴを抱き上げた。

「つらいことを言わせてしまったな。すまない」

 悲しそうな笑みを浮かべてリィイヴがイージェンの肩に顔を押し付けた。

「ぼくがひどい目にあってるとき、チィイムのみんなは黙って見てた。助けてって叫んでも誰も…。友だちだと思ってたヒトもいたのに。でも、あなたはぼくたちのために…だから…」

きつく抱きしめたイージェンがリィイヴの鼓動を感じた。自分への好意が伝わってきた。

リィイヴが顔を上げた。不気味な灰色の仮面にイージェンの悲しそうな顔が重なった。

 ゆっくりイージェンから離れながらリィイヴは空を見上げた。

「イージェン、ぼくが怪しいと思ったら、いつでも殺して」

 イージェンが手すりから降り、同じく見上げた。

「そんなもったいないことするか。俺は、敵でも仇でも、使えるものは使う」

 リィイヴが驚いてイージェンを見つめた。そしておかしさを堪えきれず笑った。

「あはっ、あなたって…ほんとうにおもしろいヒトだ」

 イージェンが、船室に向かいながら、振り返った。

「こき使ってやるから、覚悟しておけ」

 きっと、にやっと口はしを上げて笑っているのだろうとリィイヴが笑い返した。

 

 イージェンが船長室に入ると、サリュースが船長席に深々と身を沈めて書物を読んでいた。ちらっとイージェンを見たが、座ったまま目を戻した。イージェンは机の横に椅子を持ってきて座り、机の上の書物を広げた。扉が叩かれ、イージェンが返事をすると、イリィが入ってきた。胸に手を当てお辞儀をした。

「どうした」

 イージェンが尋ねたが、イリィは下を向いて言いよどんでいた。しばらくして顔を上げた。

「その…殿下とエアリア殿のことで…」

 イージェンがサリュースを見たが、サリュースは書物に目を向けたままだった。しかたなくイージェンがうながした。

「言ってみろ」

 イリィが言いにくそうに口を開いた。

「おふたりに間違いがあったらと心配で」

 イージェンが仮面の額に手を当てた。

「それは余計なお世話ってやつだぞ、なあ、サリュース」

 サリュースが書物で顔を隠すようにしてそっぽを向いた。

「わたしに振るな」

 イリィはさらに困った顔をした。

「でも、殿下は一途な方なので、もしエアリア殿とその…ねんごろになったりしたら、お妃がいらしたときにうまくいかないのではと…」

 イージェンが呆れて肩で息をした。

「イリィ、おまえ、いつか空が落ちてくるんじゃないかって心配する性質たちだろ?」

 イリィがため息をついた。

「そんなに心配しなくても殿下はやるべきことはわかっている方だと思うが」

 イージェンは手にしていた書物を机に戻した。

「殿下とエアリアのことはほおっておけ、楽しむか苦しむか、それもふたりが大人になるためには避けられないことだ」

 イリィがまだ晴れない顔で頭を下げて出て行った。サリュースがイージェンが机に戻した書物を手にした。

「おまえは王族が宮廷が認めた相手以外と交渉すると面倒になるってこと、わかっているのか」

 サリュースがぼそっと言った。イージェンが仮面を向けた。

「だったら、反対しろ。黙認するような態度を取っておきながら、今さらそれはないだろう」

 ふたたび書物を広げて目を落としたサリュースが背中を向けた。

「一応言っておくだけだ。面倒なことになったら、おまえが尻拭いしてくれればいい」

「尻拭いくらい、いくらでもやってやるが、今までもそうやって、面倒なことは全部ヴィルトに押し付けてきたんだろう」

 イージェンの皮肉にもサリュースは応えず書物に没頭していた。先に休むと言ってイージェンが自分の部屋に戻った。ベッドの上にはセレンとリュールが寝ていた。その横に座った。

 ヴィルトはラウドとエアリアを添い遂げさせてやりたいと思っていた。身分の違いで反対されたが、そんなものは、エアリアを大公家の養女にでもすればすむこと。しかし、サリュースはじめ学院の本音としては、仮面を継がせたいと反対したのだ。ヴィルトは継がせたくなかった。弟子にしなかったのもそのためだった。イージェンの出現がヴィルトの危機感をあおったので、弟子にして後継者とするもやむをえないかと思い直したのだ。

ふたりが互いに想い合っていてもなかなか踏み切れない事情も心情もよくわかる。そしてあきらめきれないその気持ちも。

イージェンはつくづくすべてを押し付けて逝ってしまったヴィルトを恨んだ。恨んでいるといってもそれは本音ではない。憎しみもとっくに消えていた。

「にいさん…仇を討つどころじゃなかったな」

ウルヴは殺されてもしかたなかった。セレンにした仕打ちを考えれば。わかっていたからこそ、ただ失った悲しみをヴィルトにぶつけたのだ。セレンの髪を梳きながら、側に横になった。


 ラウドは横になりながらできたばかりの国勢報告書に目を通していた。昨年調査した分で、リアルート地方は豊作となっていた。しかし、春先の作付けの時期に乱水脈が起きたので、今年はあまり収穫が望めないかもしれない。他の地方から援助しなければならないかもしれなかった。

災厄を鎮化できるのは、ヴィルトとエアリア、シドルシドゥ、あとは規模によるがサリュースと第三特級のロインだった。それでもエスヴェルンは強い魔力の特級が多いほうなのである。

「…西海岸の漁獲量が減っているのは海流の関係か…」

 周期的に海流の変化があり、魚の群が大陸から遠ざかる時期がある。漁場が移動しているのがわかっても漁船があまり遠くまではいけないので、どうしても獲れる量は減ってしまう。

報告書から目を離して窓の外を見た。

「エアリア…」

 夕方、夕食の支度を手伝おうと厨房を覗いた。エアリアとマシンナートの男が楽しそうにしているのを見て、不愉快になった。

「あんなに愛想よくする必要があるか」

急に文句を言ってやりたくなった。ベッドから起き上がり、靴を履いて上着をひっかけ、部屋を出た。エアリアの部屋はひとつ下の階だった。いきなり扉を開けた。

「エアリア!」

 部屋はからっぽだった。

「まさか…あの男のところに…」

 邪推して頭に血が上った。廊下に飛び出し、探すかのように首を振った。甲板の方に人影があった。誰なのかと顔を出した。エアリアとあの男が話をしていた。あまりよく聞こえない。這うようにして近くの物陰に寄り、隠れた。

「…おいしかったよ、あのソォオス、肉に掛かってたたれ」

「また作りますよ、気に入ったのなら」

「作り方、教えて、ぼくが作ったら、味を見てほしいな」

「そんな、教えるなんて…」

 恥ずかしそうに下を向いた。星の光の(もと)できれいな笑みが零れていた。ラウドは怒りで拳が震えた。

「そろそろ休もう?」

 リィイヴがエアリアの肩に手をかけた。エアリアが驚いて見返したが、逃げなかった。リィイヴが顔を近づけた。

「おやすみ」

 口付けしようとしたとき、積んであった箱がガタンと音を立てた。リィイヴが振り返ったが、すぐに向き直ってエアリアに言った。

「じゃあ、また明日」

 そのまま手を振って船室に入っていった。エアリアが箱に寄っていき、裏を覗き込んだ。ラウドが決まり悪そうに下を向いていた。

「殿下、こそこそと隠れて覗き見るなど、恥ずかしいと思いませんか」

 立ち上がり、怒りに目を見張った。

「そなたこそ、あのようなふしだらなことを!」

エアリアが顔を赤くしてラウドから目を逸らした。

「そのような侮辱、心外です!」

 ラウドが乱暴にエアリアの腕を掴んだ。

「なんでたやすくあの男に触れさせたりするんだ!」

強く引き寄せ抱きしめた。

「嫌だ、嫌なんだ!俺以外の男に触れさせたくない!」

 エアリアがすっとラウドから離れた。強く抱きしめていたはずが、呆気なくいなされてしまった。

「そんな勝手な!」

 あっという間に船室に駆け戻っていった。

「エアリア!」

 部屋に駆け込んで鍵をかけた。ラウドが扉を叩いて、叫んだ。

「エアリア、聞いてくれ!俺はそなたのことを!」

 好きだ。

言い終える前に中からエアリアが叫び返した。

「言わないで、言わないで下さい!」

 ダンッダンッと叩き割るような勢いで扉を叩き、取っ手をガチャガチャと音を立てて何度も強く引いた。

「エアリア!」

 ラウドの首根っこがぐっと後ろに引っ張られた。驚いて振り向くとイージェンが襟を掴んでいた。

「もう寝てるやつもいるんだぞ、いい加減にしろ」

 怒りにこわばっていた身体から力が抜けていった。

「エアリア、おまえもだ。罰として、船長室の書物三十冊、一日で覚えろ」

 扉の向こうからか細い声がした。

「…わかりました、師匠…」

 イージェンがラウドを部屋に引っ張っていった。ベッドに座らせ、椅子を引き寄せて腰を降ろした。

「殿下、好きな女に受け入れてもらえないのは苦しいだろう。だからといって、嫌がるのを無理やりというのは決してしてはならない。それはわかるな」

 下を向いたままのラウドがうなずいた。

「エアリアも苦しいんだ。殿下が自分以外の女に触れることを嫌だとは言えないからな」

 ラウドが両手を合わせて堅く握り締めた。

「ふたりの立場からすれば、このまま契ることなくさだめに従うほうが楽かもしれない、だが、苦しむとわかっていても好きな女を抱きたいと思う、好きな男に抱かれたいと思う。そして、ひとときの喜びとわかっていてもそうしてしまう。それがヒトの(サガ)だろう」

 イージェンがテーブルの上の杯に冷えた茶を入れて、差し出した。ラウドが受け取ってすすった。苦くて涙が出た。

「それを飲んだら休むことだ。また明日も忙しいからな」

 ラウドが首を折ってから顔を上げた。

「わかった、そなたも休んでくれ」

 イージェンが顎を引き、静かに部屋を出て行った。

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