《外伝2》イージェンと金の目の老魔導師(上)-3
ブルゴを見ないようにして店に戻っていく。ブルゴが震えた。
「ひでぇ…ひでぇよ…ちくしょう…」
痛みにもだえた。誰かが側に立った。
「ひどい怪我じゃな」
かがみこんで腕に触れてきた。灰緑の外套ですっぽり身体を覆って杖をついた小柄な老婆が見下ろしていた。ブルゴが手を伸ばした。
「頼むよ、助けてくれ」
こんな見ず知らずの老婆に頼んでもと思ったが、藁にもすがりたかった。
「誰にやられたんじゃ」
老婆が血止めしていた布を取った。ブルゴが顔を歪ませた。
「わかんねぇ、若い男で…あんな強ぇやつは初めてだっ…」
「ふむ、黒い外套で黒髪の大柄なやつか」
ブルゴがうなずいた。老婆は手のひらをぐちゃぐちゃになっている肘に当てた。手のひらが白く輝き出し、その光が傷を覆った。
「えっ…ま、まさか…」
ブルゴが呆然と老婆を見た。見る見るうちに出ていた骨がひっこんでいき、傷が塞がっていく。
「ま、魔導師さま…?」
魔導師は魔力でこのように傷を治してしまうと噂には聞いていたが、初めて見た。痛みも薄らいでいく。光が消えた後、腕を見ると、すっかりきれいになっていた。しかも、自由に動く。
「こんな…」
ブルゴは、がばっと身体を起こし、頭を地につけた。
「あ、ありがとうございます、魔導師さま、命の恩人です!」
何度も頭を打ち付けるようにして最敬礼した。老魔導師は、しっと黙らせた。
「静かにせい。傷は塞いだが、身体の力を失っているから、当分無茶はできんぞ」
どこかで横になれと言った。
「家がこの先なんです」
寄ってくれと立ち上がって歩き出そうとした。がくっと膝が折れた。
「まだ力がはいらんじゃろ」
老魔導師が、ひょいとブルゴの腕を掴んで、浮かび上がった。たちまち空高くに上がっていた。ブルゴが驚いて、身をすくませた。どこが家か聞かれ、指差した。老魔導師は、自分の身体の何倍もあるブルゴを軽々とぶら下げて、そちらに飛んでいく。
小さな掘っ立て小屋のような家が何軒も軒を並べている地区の中にブルゴの家があった。家の前に降り、中に入ろうとしたとき、隣の家から女が出てきて、驚いた。
「ブルゴ、どうしたんだい、ずいぶん早いじゃないか」
背中に赤ん坊を背負った隣の家のおかみだった。
「いや、ちょっと怪我して」
部屋に入り、灯りをつけると、隣のおかみが三つか四つの子どもを連れてきた。
「ルゥ・スン、少し粥食べたけど、すぐに戻しちまったよ」
子どもがごほごほと咳をしながらブルゴの足に抱きついた。熱があるのか、頬が赤い。
「とうちゃん…かあちゃんは」
か細い声で尋ねた。ブルゴが抱き上げようとして、老魔導師に止められた。
「腕はまだ使わんほうがいい」
隣のおかみが不審そうな目でじろじろ見ているのをブルゴが押しやった。
「後でミザリアをいかせるから」
おかみが首をかしげて出て行った。老魔導師は、厨房で片手鍋に湯を沸かし出した。
「その若いやつ、どこに行ったかわかるか」
ブルゴがベッドに横になりながら、咳き込むルゥの背中をさすった。
「今、俺の女房が付いていってて、ねぐらがわかったら、ディッリの旦那に知らせることになってるんです」
老魔導師が、考え込んでいたが、ふところから袋を出して中の粉を湯にちろちろと散らした。匙でかき回しながら、持って来た。
「冷ましながら、これ一杯飲め」
渡してから、ルゥを抱き上げようとした。ルゥが怯えて首を振った。
「怖いか」
老魔導師のしわくちゃの顔ががっかりした。ブルゴが半分起き上がり、鍋を受け取って、ふうふうと吹いて冷ましながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「どうもヒト見知りが激しくて。すまんです」
「病やまいがちだとしかたがないな、坊のためには、もう少し暖かい地方に住んだほうがいいかもしれん」
南方の海岸沿いがいいかもしれんと言った。ブルゴが鍋の薬湯を飲みながら、真剣な様子で話を聞いていた。
バタンと大きな音がして、扉が開いた。息を荒らし眼を真っ赤にした女が入ってきた。ベッドの上のブルゴを見て驚いた。
「あんた!?ここにいたのかい!」
「ミザリア!」
ミザリアが駆け寄った。だが、右腕をしげしげと見て、眼を見張った。
「あんた、そ、その腕」
わなわなと震えて指差した。ブルゴがベッドを降り、鍋をテーブルに置いた。ミザリアが抱きついた。
「あんたぁ!」
泣きじゃくるミザリアをブルゴが愛しげに見下ろして左腕だけで抱きしめた。
「かあちゃん…かあちゃあん」
ルゥも一緒になってしがみついて泣いた。
老魔導師が肩で息をしてから鍋をぐいっと差し出した。
「まだ残っとるぞ」
ブルゴが何度も頭を下げて受け取って、飲み干した。
「どうしたんだい、あの傷は…」
老魔導師がブルゴに横になるよう勧めた。ミザリアが見知らぬ老婆に戸惑いながら小さく頭を下げた。
「このお方は、魔導師さまだ、俺の怪我を治してくれたんだ」
ブルゴが紹介すると、ミザリアが驚いて、土下座して、頭を床に付けた。
「魔導師さまとは気が付かなくて。ありがとうございます、うちのヒトを助けていただいて!」
礼を言いながら、ミザリアは、はっと気が付いた。
もしや、あのヒトも…。
人にありえぬ力。あんな強い酒を飲み続けても少しも酔っていない様子。
顔を上げると、老魔導師がすぐ側に来ていた。
「おまえの亭主を怪我させた若いやつ、どこにいるんじゃ」
ミザリアが震えだした。
「それが…街はずれの宿にいたところを…」
ルセギンが手下たちとやってきて、鉄棒で叩いて気絶させて、鉄の鎖で縛り上げて連れていったと話した。
「やつがそんなに簡単に捕まるとは思えんが…」
老魔導師がふうむと不審がった。
「宿でもかなり酒飲んでましたし」
ミザリアはまさかコトの最中で油断していたとも言えず言葉を濁した。老魔導師が腰を伸ばすようにして天井を見上げた。
「そのルセギンとやらがやつを連れていくとしたら、どこか」
ブルゴとミザリアが顔を見合わせた。ブルゴが眉を寄せた。
「おそらく、山の五番炉じゃないかと。今は使われてないとこで、さらってきたも同然の女たちを連れ込んだり、酒盛りしたり、そこでやってるんで」
自分もルセギンの手下だが、ヴラド・ヴ・ラシスから回されたわけではないので、そういうときには呼ばれないのだと言った。
「そうか」
老魔導師はふところから袋を出した。皿をもってこさせて、そこに袋の中の粉を入れた。
「こいつをふた摘みづつ湯に溶かして、なくなるまで飲め。あと、二、三日は右手で物を持ったりするなよ、それからひとつきくらいは力仕事するな」
二度と使い物にならなくなるぞと脅した。ブルゴとミザリアが何度も礼を言った。ミザリアが心配そうに言った。
「魔導師さま、あのヒト、まさか死んでしまったとか」
鉄棒でかなりひどく殴られて、ピクリとも動かなかった。老魔導師が首をひねった。
「さあて、わからんな、とにかく行ってみる」
見送ろうとしたブルゴたちを留めた。
「魔導師に治してもらったことは、くれぐれも内緒じゃぞ」
ふたりが黙ってうなずいた。
老魔導師が出て行ってから、ブルゴがベッドに横になった。
「あんた、しばらくは包帯して痛がってないと」
ミザリアが布切れを出してきて、包帯を作り出した。ブルゴがうなずいた。
殴られて気絶したイージェンは、眼が覚めたとき、吐きそうなくらいひどく気分が悪かった。頭をそうとう殴られたようだった。
「うっ…」
うつ伏せになっていて身体が動かなかった。ジャラッと音がした。鉄の鎖で縛られているようだった。
「気が付いたか、小僧」
いきなり顔を蹴られた。
「鼻折りやがってっ!くそっ!」
鼻に湿布を貼ったディッリが、なんども蹴り上げた。
「そっちは剣で切りかかってきただろうが…鼻折るだけで勘弁してやったんだぞ」
イージェンが鼻血を流しながらも険しい眼で見上げた。何人かが近寄ってきて無理やり身体を起こした。
「こいつか、ナッソスの輸送馬車を襲ったってのは」
丸々と太っていて、しかも上背のあるルセギンが横に立っていた痩せた男に尋ねた。
「生き残ったものはいなかったが、輸送馬車とすれ違った商人がいて、御者をしていたやつの風体を覚えていた、おそらくこいつだ」
ナッソスの輸送馬車は、この自治州からの上納金をウティレ=ユハニの王都にあるヴラド・ヴ・ラシスの本拠に送金していたのだ。しかし、何日か前何者かに襲われて、護衛の私兵も何人もいたのに、全員殺され、上納金も奪われてしまった。
痩せた男は、ヴラド・ヴ・ラシスの本拠会員のひとりで、輸送馬車が襲われたと聞き、調べに来た。襲ったのが、黒髪で大柄な若い男らしいと聞き、向かった方向であるこの自治州にまで追ってきたのだ。
痩せた男がイージェンの前髪を掴んでひっぱった。
「輸送馬車を襲ったのは、おまえだろう、金はどうした、どこに隠したんだ」
馬車ごと奪われ、その馬車は途中で見つかったが、もちろん中は空だった。イージェンが顔を逸らした。
「金なんて、知らん」
ルセギンが突起がたくさん付いた鉄の棒でイージェンの顎を上に向けた。
「さっさと吐かないと、こいつでモノを叩き潰す。二度と女が抱けなくなるぞ」
イージェンがルセギンをにらみつけた。
「どうせ、明日の日の目を見せるつもりはないんだろう?好きにすればいい」
ルセギンがあまりのふてぶてしさに鼻白んだが、思いなおして鉄棒でくいっとさらに顎を上げさせた。
「まあ、そう意気がるな、金を返せば命は助けてやるし、いい思いもさせてやるぞ」
ディッリが青くなった。
「兄貴、こんなやつ、生かしておいたら、あとあと面倒なことになるぜ!」
ルセギンが手を振った。
「おまえは黙ってろ」
ディッリが眼を吊り上げてころがっていた桶を蹴り上げた。
「ミザリアが気に入ったようだから、家を買って囲えばいい、好きなだけ抱けるぞ」
イージェンがくっと顔を逸らした。突起に引っかかって顎が切れた。
「知らんと言ってるだろう」
いきなり痩せた男が背中を鉄棒で叩いた。
「ぐあっ!」
「知らんはずはない!おまえしかいないだろう、襲ったやつは!」
なんとか取り戻さないと、自分の命が危ないのだ。またうつぶせになったイージェンの背中を力いっぱい叩き続けた。ルセギンが呆れて、鉄棒を肩にかついだ。
「そこまでやっちゃあ、もう背骨折れてるだろう、助かっても、一生立てないぞ」
気の毒になぁと薄笑いを浮かべた。ディッリが桶に水を入れてきて、イージェンに掛けた。ぴくりとも動かない。
「死んじまったんじゃ」
ディッリが近寄って覗き込もうとした。そのとき、イージェンの肩が動いた。
「くくっ…」
ディッリがぎょっとなってのけぞった。笑っていた。
「笑ってるぞ、こいつ」
さすがにディッリが不気味になって震えた。イージェンが自分でごろっと仰向けになった。
「くだらん、おまえらも、なにもかも」
イージェンを縛っていた鉄の鎖や金輪がピキンと音を立てて、粉々になった。
「えっ!」