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《外伝》イージェンと銀環の月(下)-(2)

流感はただの風邪の何倍も致死率の高い病だ。薬も普通に調薬しただけではなかなか効かない。精錬して効力を高めないといけなかった。イージェンは自分たちがかかったときのために精錬した。売りに行こうかと思ったが、やめた。さすがにこれを売れば学院に嗅ぎつけられるだろう。氷穴から氷を運んできて、藁に包んで雪をかぶせた。早く冬が終わり、春が来ないかと雪空を見上げた。

 

 真冬は一の月と二の月を跨いだ時季だ。一の月の終わりごろの夜中、ティセアが寒さに目を覚ました。イージェンはたまにぐっすりと寝ていることがあって、今夜はその時なのだろう、寒さにもかかわらず、目が覚めなかったようだった。火が小さくなっていて、外の冷え込みが尋常でなかった。薪をくべようとベッドから降りようとしたとき、腹が重くてひっくりかえり床に倒れた。ダァンッという音がして腹をかなり打ってしまった。イージェンがその音で目が覚めた。

「ティセア?」

 あわててベッドの反対側に落ちているティセアを抱き起こした。

「い…つっ…」

 横腹を押さえてティセアがうめいた。

「大丈夫か、痛いのか!」

「だいじょうぶ…」

 ぎゅっと抱きついてきた。

「さむい…」

 火が消えかけていたことにようやく気づき、ベッドに寝かせて、火を大きくした。

「すまない、よく寝てしまっていた」

 いつもはほとんど寝ないのだが、ときどきは睡眠を取らないとさすがにもたないのだ。あたたかい茶を入れているとティセアが呼んだ。

「イージェン…腹がちょっと…いたい」

 ティセアの唇が紫色になっていた。熱はないようだ。服と敷布が濡れていた。まさか小水を漏らしたのかと着替えを持ってこようとした。

「い、いたっ…いっ!」

 ティセアが腹を押さえて、身体を曲げた。

「ティセア!」

「なんか…つめたい…」

 ゆったりとしたスカートを捲り、ズロースを見た。血の混じった水で濡れていた。

「ティセア、腹の水が出ている」

腹の中がギュウッと締まるらしく、そのたびに身体を縮こまらせていた。少しして緩やかになったようだが、イージェンが着替えをさせている間にまた締まりが戻ってきたようだ。

「イージェン、もしかしたら…」

 腹の水は少しづつだが出ていた。

「まだ早いだろう」

 そう言いつつ、寒さで身体の熱がないし、さきほどベッドから落ちたときに腹を打ったからかもと緊張した。さすがにお産についてはまったく無知だった。ティセアは初産だ。もし手当てを間違えればふたりとも…。

 母も父とふたりで双子を産んだのだから、なんとかなるのではないかと楽観的に考えていた。現実に陣痛らしきものが来て、しかも早産かもしれないとなっては、動揺してきた。

「うっ…やはり…これはっ!」

 ティセアが冷汗を掻き出して苦しんだ。納まる様子がなく、断続的に来る痛みはやはり陣痛のようだった。しばらく見ていたイージェンが迷いながら尋ねた。

「ティセア、産婆を連れてきたほうがいいよな…」

 ティセアは薄く目を開けて手を伸ばしてきた。

「無理だろう、こんなっ…ところまで…」

 その手を握ったイージェンが、ティセアの不安を感じ取り、自分にはどうすることもできないと判断した。

「いや、なんとしても連れてくる。少しの間、我慢しててくれ」

「イージェン!」

 手をほどいて外套を羽織り外に出た。雪は降っていないが星で輝く夜空に氷の粒が浮かんでいる。ものすごい冷え込みだった。馬は寝ていたが、イージェンが手のひらを当てると起きた。跨ってすぐに魔力を使って空に駆け上がった。ふもとの村には産婆がいるのではと向かった。いなかったら、産んだことのある女でもいい。とにかく連れてこなくては。

 夜明け前にふもとに着いた。朝早すぎてまだみな眠っているだろうが、いつも武器を持ち込んでいる道具屋を訪ねた。扉を叩き、主人を呼んだ。

「頼む!開けてくれ!」

 扉が割れそうなくらい叩き続けた。ようやく中から主人が目を擦りながら出てきた。

「いったい…だれなんだい、こんな朝早くに…」

 扉の前に立つイージェンの姿を見て目が覚めたようだった。

「これは旦那、どうしました」

 高値で売れる品物を安く売ってくれる上客なので、主人はいつものように丁寧に応じてくれた。イージェンが白い息を吐き、主人の肩を掴んで頼んだ。

「子どもが産まれそうなんだ!この村に産婆はいないか!」

 主人の後ろから女将も出てきた。主人が女将を見返って言った。

「ジャルジャのおっかさんのところに案内してやれ、うちの大切なお客さんだからってな」

 女将はすぐに仕度して出てきた。馬に乗せて走らせると驚いて悲鳴を上げた。

「ひぃーっ!」

 たてがみにしがみ付くようにしている女将に言った。

「どこだ、その家は!」

「村の一番北のはずれです!」

 村の真ん中を通っている道は人通りがあるため、雪も薄く締まっていて馬を走らせていけた。北のはずれの家はすぐに見つかった。女将は息も絶え絶えながら勝手口に回り、そろそろ起き出していた家のものに声をかけた。中から五十すぎの女が出てきた。

「おっかさん、この旦那の奥さんがもうすぐ産まれそうなんだとさ。取り上げてほしいんだって」

 女将が言うと産婆はなかなかに肝が据わっているのか、イージェンをじろっと見上げた。

「この付近のもんじゃないね」

 イージェンが落ち着かないようすで山を見た。

「旅の途中なんだ。予定まで後ひとつきもあるのに、腹の水が出てきて。頼むから一緒に来てくれ」

 産婆が気難しいのを知っている女将が拝むようにして頼んだ。

「おっかさん、たのんますよ、うちの亭主の大切なお客さんなんだよ」

 産婆が家の中に戻り、家のものに仕度するよう言った。それほど暖かくもなさそうな外套を羽織って出てきた。道具屋の女将に金の袋を握らせた。

「すまん、帰りは自分で帰ってくれ!」

 そのまま産婆を乗せて走り出した。

「どこまでいくんだい!」

 魔力を使って空に駆け上がろうとして止め、馬を停めた。降りて産婆を見た。

「なんだい…なにか…」

 産婆がかくんと首を折った。

「少し寝ていてくれ」

 そしてまた馬にまたがり、飛び上がった。

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