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第391回   イージェンと五大陸総会(上)(3)

 『空のバトゥドゥシェル』がカーティア王宮そばの小さな湖に着水したとき、すっかり夜になっていた。アートランが到着を知らせようとひとりで学院に向かった。

 学院長室にはクリンスが山積みされた書面に書き込みをしていた。机の側のワゴンの上には総会で使う名札が積まれていた。窓を開けて入り、その名札を見て、あーあとため息をついた。

「えっ!」

 クリンスが驚いてあわてて見回し、アートランを見つけて、首を傾げた。

「き、君は……」

 アートランが名札をポンポンと手のひらの上で球のように突いた。

「セラディムのアートランだ、こんなの総会で使うのかよ」

 ひどい字だと酷評した。儀式用の文字は美しい装飾が施されているが、かなり複雑で一筆で書かなければならないので、とても難しいのだ。

「ここなんか、二重に書きなぞってるじゃないか」

 手のひらの上の名札を指差した。『一筆』でないと『しきたり』に合わないし、みっともないぜとクリンスにポンと投げた。クリンスが受け取ろうとして失敗し、頭にポコンと当たってしまた。

「いたっ」

 それでも何度もやりなおしてやっと仕上げたんだからと頭を抱えた。

「研磨布あるか」

 クリンスが頭を上げて、きょとんとしてから、あわててもってくると出て行った。すぐに戻ってきて、研磨布を何種類か差し出した。

 一番荒い目の研磨布を魔力で光らせてシュッと何度か名札の表面を拭いた。すると、一皮向けたようになり、焼き文字が消えた。二番目に少し荒い目、最後に一番細かい目の研磨布と順番に磨き、すっかりつるつるにした。

「へぇ……」

 クリンスが感心した。そのつるつるにした面に光らせた指先を近付け、シュルッと動かした。見事な動きで、一気に書き上げた。

「ダルウェル」

 コトッと広く重厚な学院長机の上に置いた。

「うわぁ……」

 クリンスが目を見張り、がっくりと肩を落とした。

「こんなに上手に書けないよ、わたしには」

 全部やり直してやると椅子を引き寄せた。

「ダルウェル学院長に、『空の船』が湖に着いたって伝えてきてくれ」

 クリンスがうれしそうに了解して、執務宮に向かった。

 すぐにダルウェルがクリンスと戻ってきた。名札が次々にキレイに仕上がっていくのをひたすら感心して見ていた。

「それにしても、最初に会ったときと、すっかりヒトが変わったようになったな」

 ダルウェルが見違えたと言うので、不機嫌そうに目を細めた。

「別に変わっちゃいない」

 いつだって気が向いたことしかやらないぜとそっぽを向いた。

「そうか、まあ、そういうことにしておこう」

 ダルウェルがところで相談だがと話し出した。

「俺のところにイージェンの承認撤回決議を提出してきた学院がある」

 三の大陸ランスと四の大陸ケルス=ハマン。

「それとエスヴェルン」

 やっぱりなとアートランが奥歯をぎりっと噛み締めた。

「そんなに仲違いしていたとは」

 ダルウェルが沈み込んでいた。

「仮面が思い通りに動いてくれないからだ、あいつはそういうガキみたいなところがあるから」

 自分の国のことしか頭にないと名札を積み上げた。

「おまえは読取ができるんだよな、学院長たちの腹の中、探ってくれないか」

 ダルウェルが真剣な目を向けた。アートランが次の名札を削り始めた。

「学院長たちの弱味でも握って脅すのか」

 ダルウェルが困った顔をしたが否定はしなかった。たしかに叩けばホコリのでるものもいるに違いない。アートランがふうと息をついて首を振った。

「そんなこと仮面は望まない」

 それにあんたはそんな画策できるやつじゃないだろうと肩をすくめた。

「逆にマレラと娘のことを突付かれたらどうするんだ、二度と会えなくなるぜ」

 ダルウェルがうっと言葉を詰まらせた。

「ほおっておこうぜ、それこそ、学院長たちの本音がわかるってもんだ」

 それもそうだなとダルウェルが美しく仕上がった名札を手に取った。

 翌日から各大陸から次々に学院長たちがやってきた。マシンナートのボォムで破壊された跡を見学してから、学院の宿舎に案内した。案内係はルカナとアディアが交代でおこなった。ヴァシルと同じくイリン=エルンの魔導師だったキュテリアは、隣国王太子夫妻訪問の立会いとして学院長ダルウェルとともに執務宮に詰めていた。クリンスとルシャ=ダウナ、東バレアス公国から手伝いにきたふたりはスケェィルの当番をしながら、総会の準備やら食事の手配やらに追われていた。

 一晩かからずに名札を作りなおしたアートランは、『空の船』に戻った。

「ダルウェル学院長、てんてこ舞いだったぜ」

 条約調印式は明後日だった。当初、調印式後にベレニモス鉱山の視察予定だったが、変更して先にジェデル王とラウド王太子が視察に向かっていた。サリュースが護衛も兼ねて随行し、さきほどダルウェルも向かった。

「明日には帰ってくるっていうし、どうせ学院長たちもまだ揃わないだろうから」

 イージェンが書き物をしながら了解した。

「ダルウェルには悪いことをしたな」

 アートランが書き掛けている書面を覗き込んだ。

「仮面……こんなことを……」

 いいのかと険しい目を向けてきたアートランにああとうなずいた。

「隠して承認されても、あとでばれたらよけいにまずいことになる」

 アートランが机に手をついた。

「ほんとは承認撤回されてもいいと思ってるんじゃないのか、全部投げて、勝手にやれって」

 イージェンが顔を上げた。

「姫様と子どもとどっかで静かに暮らせたらってそれでいいとか思ってるんじゃないのか」

 また書面に戻って書きながらそれもいいなと曖昧に答えた。アートランがむっとして机を叩いた。

「あんたはそれでいいかもしれないが、マシンナートの連中はどうなるんだ! 皆殺しにあうぜ!」

 イージェンが仮面を伏せた。くくっと声を漏らして、笑い出していた。

「おまえにそんなこと言われるとはな」

 アートランが顔を赤くしてますますむっとしていた。

「承認撤回されるとしても、戦後処理は別に討議してもらう。俺が大魔導師でなくなったからといって、皆殺しなどさせない」

 アートランが疲れたように顔を伏せた。

「あいつら、そんな殊勝な連中じゃないぜ」

 そうかなとまた曖昧に答えて、書面の書き綴りを続けた。

 しかたなくアートランが窓から甲板に出ると、ラトレルが足元を這い這いしていた。

「危ないぞ」

 抱き上げようとすると、ぶうっと膨れて、タタタタッと逃げ出した。思いのほか早く、あっと言う間に後部甲板に達していた。

「ギャンッ、ギャァァンッ!」

 リュールの叫び声がして、覗き込んだ。ラトレルがリュールの尻尾を掴んで振り回していた。

「やれやれ」

 いじめるなとラトレルからリュールを取り上げると、うわぁあんと泣き出した。

「嘘泣きするな」

 ピシッと尻を叩いた。ちょうど船尾に出てきたセレンが駆け寄った。

「アートラン、赤ちゃん、叩いちゃだめだよ」

 ラトレルを抱き上げて、アートランを怒った。ラトレルが甘えるようにセレンの胸にしがみついて、顔だけアートランに向けてにまぁと笑った。むかっとしたアートランがラトレルの腕を掴んだ。

「こいつ、嘘泣きするんだ、きちんとしつけないと」

「赤ちゃんが嘘泣きするの?」

 セレンがまさかと口を丸く開けて驚いた。

 後ろからティセアも出てきて、ラトレルがまた泣き出した。

「なんで泣いている?」

 ティセアがいじめたのかとアートランを睨みつけた。

「違うって、こいつがリュールを……」

 ぶん回していたと言っても信じないだろうなと『お手上げ』した。

「ったく、おまえ、あとでひどいからな」

 ラトレルにだけ聞こえるように話しかけると、さすがにラトレルがガタガタ震え、ほんとうにぐずり出した。

「よしよし」

 ティセアがあやすと機嫌を直して赤ん坊らしい笑顔でティセアの胸をぎゅうぎゅう握った。乳を欲しがっているとわかってティセアが微笑んだ。

「まだ乳は出ないんだ、来年になれば吸わせてやるぞ」

 この子が生まれたらなと腹をさすった。セレンが寂しいそうにリュールをぎゅっと抱き締めた。

……おかあさん……

 みんな元気かな、おなかすいてるんじゃないかなと心配していた。

「セレン、こいつやウルスに餌やったのか」

 アートランが尋ねると、いけないとあわてて船室に駆け戻った。その後を追いかけてリュールを預かった。セレンの部屋で待っていると、セレンが小鉢ふたつに山羊の乳とパンを持って来た。ふたりでパンを細かくちぎって乳につけて柔らかくしてやり、木箱の中の二匹の前に置いた。

「セレン」

 二匹がガツガツ食べているのを楽しそうに見ていたセレンを後ろから抱きついた。触られると分かってセレンが首を振った。

「まだ片付けあるから」

 だめだよと拒んでいるのを手伝いたちがいるから大丈夫と抱き上げてベッドの上で身体を重ねた。

……もう故郷のことなんか……思い出すな……

 生まれ故郷や親兄弟のことを思い出したセレンが帰りたいと言ったらどうしよう。そう思うとせつなくなる。術でもかけて縛り付けたくなる。

「アートラン、また、魚さんたちがいっぱいいるところに行ってみたいな……」

「ああ、連れて行ってやる……」

セレンが天井を見上げながら、アートランを受入れた。

「ア……トラァン……海、海の中みたい……」

 ふわふわと気持ちよくなっていく。

 アートランが昂ぶりに身を任せた。

「あいつの腹の中にはいっ……てっ……解け合お……うっ!」

「うん……うれしいな…」

 セレンは、いつものように頭の中に真っ白な光が広がって、身体の中に暖かい海の中にいるような気持ちよさが広がるのを感じた。

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