第371回 イージェンと天空の叫喚(中)(2)
ドォアァルギアの艦長室でタァウミナァルを操作していたザイビュスが、側に立っていたヴァシルの様子がおかしいことに気が付いた。頭を抱え、ぶつぶつと何かつぶやいて座り込んだ。
「ヴァシル、どうした、まだあきらめるな」
ヴァシルが首を振った。
「もう、もうだめだ……来る、来るあれが……」
ガタガタと震え出した。
「なにが来るんだ」
ザイビュスが座り込んだヴァシルの両肩を掴んだ。眼を真っ赤にしていた。
「ミ、ミッシレェが……たくさん!」
降って来るとザイビュスを見上げた。
「アーリエギアで発射したのか」
わなないているヴァシルを抱き締め、頭を撫でた。ヴァシルが驚いて押しやった。
「な、なにするんですかっ!」
「なんだ、正気じゃないか」
ザイビュスが呆れて立ち上がった。
「てっきり、おかしくなったのかと思った」
ぽかんとしているヴァシルから離れて、席に戻り、またボォウドを叩き始めた。
『炉心融解まであと二〇ミニツ』
抑揚のない女の声が聞こえてきた。そのとき、訪問音がして、開閉許可すると、ファドレス副艦長が駆け込んできた。
「ザイビュス!」
艦長はと見回しているのでそんなことはいいからと手招いた。
「炉心融解を停めることはできませんが、ここを閉じれば、爆発は発電区画だけで済むんじゃないかと」
艦内図の発電区画の図面が拡大されていた。
「たしかにこの三箇所の扉が閉まれば……発電区画はラカン合金鋼で出来ているから……でも、閉じられるのか」
ファドレスが覗き込んだ。
「レェベェル7発動の時点で、開放状態でロックされているので遠隔ではできませんが、手動なら」
動くはずですと席を立った。
「この三人でやりましょう」
ファドレスがえっと息を飲んだ。
「なにもしなくても死ぬんです。だったら、わずかでも可能性がある限り、やりましょう」
ザイビュスがまだ座り込んでいるヴァシルを見下ろした。
「おまえ、きちんとワァアクをやり遂げろ」
たとえ、アーリエギアからミッシレェが発射されても、こっちはこっちでユラニオゥムの汚染を防ぐんだ、途中で投げ出すようなことはするなと叱りつけた。
ヴァシルが眼を見張って見つめた。
「……ええ、ええ、やり遂げます」
ヴァシルが奥歯を噛み締めて立ち上がった。
艦長室を出て、ヴァシルがザイビュスとファドレスを両脇に抱え、魔力のドームで包み込んで、飛んだ。
「な、なにっ、まっ……!」
ファドレスが言葉を失い、眼を剥いた。
「先輩、これが『素子』ですよ」
「まさか、ザイビュス、おまえ、『素子』と……」
ごくっと唾を飲み込んだ。
「いろいろと面白いですよ、地上の連中は」
ザイビュスが珍しく口はしを上げて笑った。
ファドレスが観念したように首を振った。
「まったく、おまえは、ほんとに変わり者だ」
艦内のすべての扉が開放されていた。ヴァシルが艦尾に向かって飛んでいた。ファドレスが途中の通路を右に折れ、その突き当たりの階段で一番下まで行けばいいと教えた。
『炉心融解まであと一五ミニツ』
乗組員には接岸しているラカンユゥズィヌゥに逃げ込むように指示していた。
「ラカン合金鋼の扉で閉じこもれば助かるだろうが……」
だが、助かってもその後、出るに出られない。空気は作れるだろうが、水や食料がなくなったら飢え死にするしかないだろう。
艦底近くのユラニオゥム発電区画に着いた。普段は艦長が許可したものしか入れない区域だが、今はすべて開いていた。
三階層分の吹き抜けになっていて、その中央にユラニオゥム発電装置が不気味な音を立てて高熱を発していた。
『炉心融解まであと一〇ミニツ』
三階層の一番底までやって来た。ユラニオゥムミッシレェの格納庫に続く扉が開いていた。
格納庫には大型五基、中型二十五基、総計三十基のユラニオゥムミッシレェが横たわっていた。炉心融解で爆発すれば、このミッシレェも誘爆するだろう。そうなれば、エトルヴェール島は跡形もなくなり、南海海域の汚染は広範囲に及ぶことになる。
「ここの扉、先輩、お願いします!」
扉の横の認識盤に直接コォオドを打ち込めばとコォオドを小箱に送った。
すぐに反対側の扉に向かった。冷却用の海水を取り込む大型配水管や空気製造プラント区との仕切りの扉だった。
ユラニオゥム関係の認識盤のボォオドの入力コォオドは、多階層に分かれていて複雑だった。小箱に表示された命令コォオドを打ち込んでいく。
「五つの鍵にはめていく」
ひとつの鍵を完成させるのにコンマ五ミニツ強かかると懸命に叩き込んでいた。鍵が合うと認識盤の五つに分かれた茶色の硝子面の区分のひとつが緑色に光る。次々に光っていく。
「よし、あとひとつ」
五つすべてはめ込み終え、上からガァンガァンと大きな音を立てて、扉が降りてきた。
『炉心融解まであと五ミニツ』
「最後は入ってきたところだ!」
ヴァシルがさっと抱きかかえて、三階層上に戻った。さきほどと同じようにコォオドを打ち込んでいく。
『炉心融解まであと二ミニツ』
ザイビュスが、ボォオドから手を離した。
「よし、これで全部だ!」
ガガッガーッと音がして扉が下りてきた。だが、まだ、ファドレスは上がってきていなかった。
「先輩は!?」
まだですとヴァシルが青ざめた。
「待ってる間に連れてこられただろう!」
ザイビュスが声を荒げた。そうすべきだったとヴァシルがぶるっと震えた。
「ザイビュス!」
ファドレスの声がした。壁際の階段から駆け上がってきた。
「先輩、急いで下さい!」
だが、分厚い扉がまもなく肩辺りまで下がってきていた。懸命に走っていたが、間に合うかどうかというとき、ヴァシルが魔力のドームを強くして、厚み三十レクの扉の下に潜って両手で支えた。
「なにするんだ!」
ぐうっと腕に力を込めて下がってくる扉を押さえていた。
「急いで、急いでっ!」
ファドレスが驚きながらも走ってきた。扉は次第に下がってくる。全身を光輝かせて、眼を剥き、歯を食いしばって耐えていたヴァシルが膝を折った。
「支えられないのか」
ザイビュスが覗き込むと、ヴァシルがぐぐっと力を込めようとしていた。
「重い……んですっ……いきおいもあって……」
次第に苦しい体勢になっていく。ようやくファドレスが扉をくぐった。
「おい、先輩出たぞ、抜け出ろ!」
『炉心融解まであと一ミニツ、六〇ズゴンドゥ、秒読み開始五九、五八』
ヴァシルが涙を流しながら重さに耐えていた。
「だめ……です……魔力のドームがっ……」
ピシッと音がした。光が消えた。ドームが消えたのだ。扉がドォンと落ちてきた。
「ぐあっ!」
直に重みが加わり担ぎ上げるようにして必死に耐えていたが、眼を閉じた。抜けて出られそうになかった。
「もう、もち、ません……あとは…お願いします……」
ザイビュスがさっと隙間から中に滑り込んだ。
「ザイビュス、なにするんだ!?」
ファドレスが悲鳴を上げた。
「待て、今、なにかで支えてやる!」
『四〇、三九、三八……』
荷物を搬送する重機があった。小型コンテナを積んでいた。プライムムゥバァを始動し、扉まで動かしてきた。
「こいつで支える。おそらく一ズゴンドゥくらいしか持たないが、その間に抜けられるだろう!」
まさかとヴァシルが首を振った。
「そんな……ことしたら、あなたが……」
ザイビュスが扉の側に寄せた。
「合図するから抜け出ろ!」
『一二、一一、一〇…』
「いくぞ、三、二、一!」
コンテナごと扉の下に突っ込んだ。一瞬肩が軽くなり、ヴァシルが転がるようにして扉の下から抜け出た。
ガカガッと音がして、コンテナと重機が扉の重みで砕けていく。隙間はもうヒトが通れるほどの高さがなかった。
その隙間から何かが滑って出てきた。
「それをアダンガルに!」
ザイビュスが叫んだ次の瞬間、ガガァアンと音を立てて扉は一番下まで下りていき、完全に閉じた。
ヴァシルが扉にすがった。
「ザイビュス! ザイビュス!」
ファドレスが泣き伏した。
『三、二、一、……』
扉の向こうで恐ろしい気配が広がっていた。
「ザイビュスゥウ!」
ヴァシルが全身を震わせて、ザイビュスの名を叫んだ。
キャピタァル上層地区では、東側道区域の重揚台が一台のタンクを揚げて来た。タンクを載せた台車には、ヒィイスが乗っていた。
「ヒィイス、『下』は大丈夫なのか!?」
ゆっくりと重揚台から降りてくる台車の運転席側の扉に登ったカトルが咎めた。屋根なしのモゥビィル三台、二輪モゥビィル五台もいっしょに上ってきていた。
「だってよう、こんな面白いこと、逃す手はないぜ!」
やりたいって連中も連れてきたぜと口笛でも吹きそうな様子で親指を立てた。
「まったく、面白がってるだけだな」
先が思いやられるなと呆れた。
上空で見張っていたエアリアがすっと降りてきた。
「プテロソプタが十台飛んでいます。そちらの準備はどのくらいでできますか」
カトルが消火作業車のタンクと交換するのに三〇ミニツだなと予測した。
「プテロソプタを落としたら、リジットモゥビィルも攻撃してくるでしょう」
タンク交換完了後、攻撃を開始しますと言い残して、ふたたび飛び上がっていった。
「へぇ、まじで生身で飛んでるんだな」
ヒィイスの隣に座っていた男が感心していた。とっととやっちまおうとヒィイスが台車の速度を上げた。
エアリアは、ひととおりその辺りを巡ってから天井近くにまで上った。薄暗い空に手を伸ばした。空を突き抜けて、ひやっと何かに当った。天井だった。
「ほんとうに作った空なのね」
キャピタァルの外殻はラカン合金鋼だ。この天井壁の外側には配管区があり、さらに地下洞との接触面は三重の殻で覆われているということだった。
急に怖気が来た。
……なに、これ……?
訳も無く不安になっていく。
「いやっ……いやっ……まさか、あれ、あれが来るの?」
何かが襲い掛かってくるような恐怖が身体を硬くした。
「いやっ、いやぁぁあっ!!」
空気を裂くような悲鳴を上げた。林立する建物のぶ厚い特殊硝子の窓にピシピシとヒビが入っていく。
作業していたカトルたちが上を見上げた。
「どうしたんだ!」
ヒビが大きくなってガシャァンと割れ始めた。次々に窓硝子が割れていく。近づこうとしていたプテロソプタが衝撃波を受けたようになって、大きく揺らぎ、接近して飛んでいた別の機にぶつかり、爆発して落下していく。逃げようとしていた機もあわてて操縦を誤り、ほかの機に突っ込んだり、建物に激突したりした。
「うわぁ、あれも魔力か、すげぇな」
ヒィイスがヒュウッと口笛を吹いた。カトルが目をすぼめて見ていたが、どうも変だと肩から下げていた長身オゥトマチクを構えて、望遠照準器を覗き込んだ。
「やっぱり、様子がおかしい」
下のリジットモゥビィルが発砲を始めた。白光空弾を立て続けに撃ってきた。衝撃波から逃れたプテロソプタも撃ち出して、エアリアを集中砲火した。
「だいじょうぶか、あんなに」
薄暗かった上層地区の天井にまるで昼間になったようにまぶしい光が広がった。
エアリアのほうからの攻撃がない。
「設置できたぜ、移動しよう」
ヒィイスが言うよりも早く消火作業車を発車させた。
「弐号道路に出ろ、正面から放水だ」
カトルが走りながら車窓に怒鳴ってから、後ろの梯子に飛び乗った。
ふっと上を見ると、砲撃が止み、真っ白な爆煙が少し薄くなった。エアリアらしき灰緑の固まりがすーっと落下していった。カトルの背筋がぞっとした。