第370回 イージェンと天空の叫喚(中)(1)
極北の海に浮かぶ空母アーリエギアからは次々とユラニオゥムの矢が放たれていた。 発射を防ぐことができなかったアートランはそれでも一基でも防ごうとミッシレェの発射口に回るためにアーリエギアの甲板に出た。甲板は発射口が全て開いていて、ユラニオゥム以外のミッシレェも発射されていた。轟音と爆風を吐き散らし、白い煙を引きながら空へと上っていく。
「ちくしょう! ちくしょうぅぅ!」
アディアを離してミッシレェを追うように飛んだ。
「アートラン?!」
アディアが呆然となって甲板にへたりこんだ。
あと少しだったのに。あと少しで発射を防げたのに。
一基のミッシレェを追いかけていた。
……みんな、みんながんばったのに、こんな、こんなものでおしまいなのか!
目の前のミッシレェに拳を叩きつけようとした。
「仮面っ! どうにかしろっおぉぉぉ!」
その獣のような咆哮が空を震わせた。そのとき。
「えっ……」
アートランが空の彼方に光る点を見つけた。その点から黄金の筋が出ていた。速度を上げて、空を突き抜けるようにして高度を上げた。たちまち成層圏を抜けていた。
「まさか……これは!?」
足元に青い水を湛え、白い雲を纏ったこの惑星があった。その惑星を囲む五つの小さな岩の塊りが光る点になっていた。その五つの岩から黄金の筋がすさまじい勢いで無数に出てきて、蜘蛛の巣のように広がり、互いに編みこむようにしながら、惑星の空を覆っていこうとしていた。
「ああ……これが……」
込み上げてくる何か。感嘆というものか。畏敬というものなのか。
大魔導師の道具『天の網』。
惑星上の空を覆い尽くした黄金の網のあちこちで白い光が激しく瞬いていた。雷鳴のような音が轟き、黄金の網に沿って電光が走っていく。ミッシレェが網に引っかかり、消されているのだ。
アートランがよかったと身震いした。震えが止まらなかった。
「アートラン」
はっと振り返った。灰色の布に包まれた大きな身体。灰色の不気味な仮面が静かに向けられていた。
「……仮面……」
ばっと近寄って、その胸に飛び込み、堅く握った拳で叩いた。
「ばかやろうっ! 遅いよっ! 今頃来やがって!」
ガンガン叩き、やがて、泣きついた。
「こいつが動くなら、俺たち苦労しなくてよかったじゃんかぁ……」
イージェンがぎゅっと抱き締めて首を振った。
「いや、ギリギリまで動く気配がなかった。俺もだめかと思った」
イージェンから暖かいぬくもりの波が伝わってきた。生きている証しはなにも感じられないのに、身体はなくて、空っぽのようなのに、なぜこんなに暖かいのか。
なんで、こんなに優しいんだ、こいつの波って。
涙が溢れてきた。
ほっとしてぐったりとなってしまったアートランを外套で包み込み、ゆっくりと降下していく。
「おまえたちががんばってくれたから、なんとかなったんだ」
キャピタァル中枢を乗っ取ったことや策謀を組みなおして手配したことは『星の眼』が大気圏内を飛ぶ通信波を捉えて傍受していた。
「五つの『星の眼』、これで動くようになった」
大魔導師たちが亡くなった後に滞っていた各大陸の記録の更新ができるとミッシレェを迎撃している足元を見下ろした。
「この天の網は本来五つの『星の眼』を補うものだ。こんな使い方をするものじゃないんだ」
こんな使い方はもうしたくないとつぶやいた。
ようやく黄金の網のあちこちで瞬いていた白い光が消えた。ミッシレェが引っかからなくなったようだった。
「撃ち尽くしたか」
アートランが首を振った。
「アーリエギアのやつは撃ち尽くしたかもしれないけど、他のマリィンのは、発射命令が行かないようにしただけだからまだ残っている」
アリアンを殺していない。ドォァアルギアのほうもどうなっているかわからなかった。
「発射したければすればいい」
一基も地上に落とさせないとたちまちアーリエギアの上空まで降りてきた。
アディアがまだ甲板に座り込んでいるのが見えた。
「アディアを連れてアーリエギアから離れろ」
アートランがまだふらつきながらもすーっと甲板に降りた。
「アートラン……あれは……」
アディアが側に立ったアートランに気づき、空を指差した。空には昼間でもわかるほどに黄金の粉がキラキラと舞っていた。
「仮面が『天の網』を動かしたんだ、ミッシレェも全部始末できた」
ひときわ輝く光点が次第に大きくなっていく。アートランがアディアを抱えて海に飛び込んだ。
……近くにいるやつら、早く離れろ。
魚や海獣たちを遠ざけようとした。その心の波を感じ取った魚や海獣たちは、アーリエギアから素早く離れていった。
アディアがよかったと泣き出した。
パリスは黒い箱の中で黒いモニタの画面を眺めていた。
今頃、地上は焼け爛れているだろう。
どうしてもその様子が見たくなったパリスが第二艦橋に連絡を入れた。ミッシレェ発射ミッションが発動すると同時に第二艦橋は艦内に引っ込んでいた。
「プテロソプタを飛ばせ。遠方からでいいから地上の様子を見たい」
第二艦橋を外に出せと命じた。第二艦橋から連絡が来た。
『パリス議長、外の様子がおかしいです。なにか……金色の粉のようなものが飛んでいます』
空いっぱいと呆然としている様子だった。ボォゥドを操作すると、目の前に第二艦橋の外部キャメラから取った映像が映し出された。
「これは」
青空にキラキラと金色の粉が舞い散っていた。いきなり、モニタが真っ白になり、ボォゥドにビビッと電撃が走り、ピシッとヒビが入って、まっぷたつに割れた。
「うっ!」
飛んでくる破片を避けようと手で顔を覆った。
小箱で第二艦橋の担当官に繋ごうとした。だが、不達になってしまった。なにかあったのだ。ここを出るしかないかと腰を上げた。だが、思いとどまった。
「なにが起ころうと今さらあわててもしかたない」
あらためて腰を降ろし、真っ白なモニタを眺めた。そのモニタの画面が、急に真っ黒になった。その黒の真ん中が小さく光った。
『…ビッビビビー…』
タァアミナァルから不快な音がした。モニタにぼおっと顔が浮かび上がり、パリスが驚いて食い入るように見つめた。
それは、バレー・アーレのモニタで見た顔、エトルヴェール島でのエヴァンスたちの会談に現れた顔だった。
灰色の不気味な仮面。
「アルティメット」
なにが究極者だ、薄汚い殺戮者のくせに。
『パリス、ユラニオゥムミッシレェは一基も地上に落ちなかったぞ』
エトルヴェール島でエヴァンスと会談したときと同じ声が聞こえてきた。
パリスが眼を見張り、唇を震わせたが、すぐに不敵な笑みで口はしを上げた。
「そうか、監視衛星は第一大陸上だけだと判断したが、やはり五基とも可動していたのか」
『そんなところだ』
どうやってこのモニタにこの顔を映し、こちらの声を聞き取り、あちらの声を聞かせているのかなどと考えたくもなかった。
『おまえとリィイヴのやり取りは聞いた。大魔導師がこの惑星を復活させたことが不愉快のようだが』
「ああ、そのとおりだ。きさまら『よそもの』に汚された自然など、もはやこの惑星の本来の姿ではない」
パリスが拳を作り、操作机に叩き付けた。
『あのまま滅びればよかったのか』
三千年前、この惑星のヒト種は、衛星軌道上に宇宙島を作り、第一衛星にもバレーを作って移り住み、同じ太陽を巡る隣の惑星にも研究ラボを作るほどにレックセステクノロジイを発展させていた。
いかに文明が発展しようとも、ヒトの欲は留まることはなく、地上でも宇宙島や第一衛星のバレーでも資源や権力を争っての紛争は絶えなかった。空の連中の間では地上への回帰も起こって、最後には、破滅的なユラニオゥム戦争を起こして多くのヒトの命を奪い、残っていた自然も破壊された。それでも破壊を逃れた都市や宇宙島もあり、ユラニオウムの嵐に晒されながらも生きていこうとしていた。
しかし、テクノロジイを憎むアルティメットたちに、大勢のヒトもろともデェリィトされた。一部の層はアルティメットたちのいいなりにテクノロジイを捨てる生き方を選んだ。パリスにはアルティメットたちは救済者ではなく殺戮者としか思えなかった。
「ああそうだ。それもこの惑星のヒトが選んだ道だ。きさまら『よそもの』に助けてもらわなくてもよかったのだ」
アルティメットが少し顎を引いた。
『まったくおまえは、傲慢だな。自分たち以外の生き物のことなど、考えもしない』
「ヒトがこの惑星の進化の頂点に立ったのだ、勝者が敗者をどう扱おうと勝手だろう! その勝者の理論こそが、むしろ自然淘汰に沿ったものではないか!」
テクノロジイはヒトの非力を補い、無限の可能性を追求する、それは当然敗者に対して行使していいものだ、狼が鹿を狩るのに牙を使うのと同じだろうとパリスがうそぶいた。
アルティメットが仮面に手をかけた。
『おまえとの問答も不毛だな。この惑星は、一度ならず二度も死んだ。殺したのはヒトという種だ。それをなんとか蘇らせたが、もうかつての活力はない。無理はできないんだ。だから、素子の理<ことわり>に従い、足るを知り、多くを求めず、わずかな恵みを生きとし生けるものたちで分け合って生きていくしかない』
パリスが険しい目を細めた。
「たしかに不毛だな、その点だけはおおいに同意する」
パリスが肩の力を抜き、背もたれに小柄な身体を預けた。
「消したければすればいい。わたしは先祖のように屈服しない。命乞いもしない」
もちろんと言って、顎に指を掛けた。
『そういえば、きちんと名乗っていなかったな』
ヴィルトだろうと言ってから、どこか違うことに気づいてパリスがぐっと身を乗り出した。
……この声。
ヴィルトの声は一度バレー・アーレで聞いただけだったが、もっと低かったような。
『俺はイージェンだ』
一瞬目を見張り、すぐにふっと口元に笑いを浮かべた。
「なるほどな、素子の中にアルティメットになるものがいるということか」
パリスが顔を伏せた。
「ファランツェリが言ってたように、殺せるときに殺しておくべきだったな」
急に悔しさが湧き上がってきた。
どんなに待っても、アルティメットがいなくなることはなかったのだ。たとえ、この意志を継ぐものに後を託したとしても、無駄だったのだ。
「さっさと始末しろ」
悔しさに崩れたこの顔を見られたくなかった。
『現し世にいてはならない存在』
イージェンの声はひそやかだった。モニタの中で顎に指を掛け、仮面を上げた。その仮面の下を、パリスが見ることはなかった。