第369回 イージェンと天空の叫喚(上)(3)
檻の側にマシンナートたちが数人集まっていた。その中にいつもルキアスたちをいじめて遊んでいる男レグがいた。
「セアドのやつ、偉そうにしやがって、なんとか思い知らせてやりたいな」
そうだなと別の男がちらっと檻の中のルキアスたちを見た。
「おい、野獣、逃がしてやろうか」
ルキアスが顔を向け、険しい目で見返した。
「どういう風の吹き回しだ」
男が檻に手をかけた。
「いつも食事をもってくる男を殴れ。そうしたら逃がしてやる」
ルキアスが首を振った。
「そんなことできるか。あのヒトだけは親切なのに」
恩知らずにはなりたくないと睨みつけた。さきほどの男がレグにこそっと耳元でささやいた。
「いいな、それは」
いきなり二股に分かれた棒でルキアスを突付いた。ビリッと痺れが来て、ルキアスが仰け反り倒れた。
「ルキアス!」
エルチェが寄ろうとすると二股棒で突付かれた。
「ああっ!」
バタンと鋼鉄の板の上に倒れたエルチェを檻の鍵を外して引っ張り出した。
「な、なにを……」
ルキアスが懸命に手を伸ばした。
「隣の狼の檻に入れる」
「よせっ……」
動かない身体で這い寄り、檻の柵を掴んだ。
「だったら、セアドを殴れ」
ジェトゥがルキアスにだけ聞こえる声でささやいた。
「わかったと言え」
ルキアスが悔しそうにわかったと顔を伏せた。
翌朝までエルチェはトレイルの部屋に入れられた。セアドが朝食をもってきたとき、檻の中にエルチェがいなかったので、心配そうに見張り番に尋ねた。
「女はどうしたんです?」
見張り番が具合が悪くなったので、医療ルゥムに連れて行ったと話すと、ほっとしていた。檻を開けて盆を置いた。
「あとで様子見てきてあげますから」
目を赤くして見上げているルキアスに心配しないで食べなさいと盆を押しやった。食べながら、口の中でつぶやいた。
……このヒト、殴れません。
ジェトゥが弱くていいから殴れと命じた。とにかく合図が来ないことには動けないのだ。ルキアスが困った顔を上げた。
「セアドさん……あなたはアリアンのおとうさんだよな、アリアンがとうさんって呼びたいって」
セアドがええとうなずいた。
「父といっても、ジェノム上の……血のつながりがあるだけです」
親子として呼び合うことはできませんと言うので、ルキアスが、身分が違うんですかと尋ねた。
「あなたがたの社会の身分とは少し違いますけど、でも、似たようなものかもしれませんね」
ルキアスが小鉢から直接スゥウプをすすった。セアドがゆっくり食べなさいと檻から出ようと立ち上がった。そのとき、ルキアスがセアドを柵に押し付けた。背中をガッとぶつけて、セアドが驚いた。
「どうしましたっ……」
ルキアスが拳を作り、小さな声で頼んだ。
「あなたを殴らないと、うちのやつを狼の檻に入れるって、だから殴られたふりしてくれ」
下から腹を突き上げるようにした。勢いほどは強くない衝撃だったが、セアドが顔を歪め、腹を押えてうずくまった。
トレイルの影からレグたちがぞろぞろと現れた。エルチェも連れていた。エルチェは目を真っ赤にして泣き腫らしていてガタガタと震えていた。ルキアスが柵を握って怒鳴った。
「このヒト殴ったぞ! うちのやつ、返してくれ!」
レグがエルチェのスカートを引き摺り下ろした。
「やあぁぁっ!」
エルチェが悲鳴を上げて座り込んだ。
「なにするんだっ!」
「もっと殴れ!」
レグが二股の棒でエルチェの胸を押した。
「やっ…あっ!」
エルチェが両膝を合わせ両手で胸を隠した。ルキアスが悲鳴のように叫んだ。
「よせっ! やめろっ!」
セアドが柵にすがりながら立ち上がった。
「やめなさい!」
レグが二股棒をセアドに向けた。
「アリアン様の父親だからって、いい気になるな、ワァカァ上がりのくせに!」
棒を突き出した。その棒をルキアスが掴んだ。
「わあっ!」
まともに電撃をくらい、髪が逆立ち身体が跳ね上がった。
「ばかがっ!」
レグが引っ込めたが、ルキアスは倒れて痙攣していた。
「査問にかけますよ! アリアン様の検体を傷つけて!」
セアドがよろけながら檻を出た。そのとき、ガコンと大きな音がして、次にシュウゥゥゥンと蒸気が漏れるような音がした。
「なんだ?」
レグが回りを見回した。セアドも異変を感じてトレイルに向かった。
リンザーがすっと木から降りて、レグたちを次々に倒した。もちろん、息の根を止めていた。
「魔導師さま!?」
ルキアスが驚いているのをしっと指を立てて黙らせてエルチェを抱え上げ、輪っかを砕いた。ジェトゥ、レスキリも降りてきた。
「レスキリ、この娘を連れて砦に戻って、アルバロたち二、三人と来てくれ」
あの電波塔を壊すとエルチェを渡した。ジェトゥがルキアスを檻からひっぱり出し、輪っかを砕いた。
「おまえはアリアンの顔を知っているから、一緒に来るんだ」
異端の都でアリアンを探すと言われ、ルキアスが顔をゆがめて承知した。
「わかりました……」
首を振っているエルチェの頬に触れた。
「いってくる、砦で待っててくれ」
エルチェがぐっとこらえながらうなずいた。
「待ってるから」
レスキリがすぐに戻りますとエルチェを抱えて飛び上がった。
「どうやら、電波塔が停電したみたいだな」
ジェトゥが湖の鋼鉄の塔を見上げた。トレイルの中での騒ぎを『耳』が捉えたのだ。
「……バレーにもキャピタァルにも連絡が取れないとあわてている……バレーの中に向かうかも」
ジェトゥとリンザーがルキアスを連れて、セアドが入ったトレイルの上に飛び乗った。電波塔の脚台のほうで騒がしくなっているのがわかった。岸からプテロソプタも発進している。テンダァという小型の船舶も何台か向かっていた。
「停電したので揚重台が途中で停まってる!」
「固定台の鎖が切れそうだと!? コンテナが落ちるかも!」
口々に叫んでいるのがルキアスの耳でも聞こえてくる。
さすがにプテロソプタが飛んでいるので上空から近付くのは難しいかと様子を見ていた。
足元のトレイルがますますあわただしくなり、セアドが飛び出してきた。
「レグにトレイルに戻るよう、言いなさい! わたしはピエヴィを見てきます!」
ピエヴィとは脚台の下の出入口のことのようだった。セアドはテンダァの一台に乗って、電波塔を設置している人造石の中ノ島に向かった。それを追って、港の端から湖に潜った。
中ノ島の周りにはたくさんテンダァが集まってきて、マシンナートたちが次々に島に上っていた。気付かれないように、その合間を縫って、電波塔の脚のひとつに登った。電波塔の四本の脚の間に大きな空間が空いていて、大きな板が登ってくるようになっていた。その大きな板が途中で斜めになって停まっていた。板の上には車輪のないトレイルのような箱が積んであり、それがずり落ちているようだった。
「あの箱には荷物が入っているんだ」
ジェトゥがつぶやいて、電波塔を見上げた。昼夜問わずに点いているエレクトリクトォオチが消えている。休まずにぐるぐる回っていた白い皿のようなものも停まっていた。
「セアド主任、コンテナが落ちるかもしれません、過重量だったようです!」
係員のひとりがセアドに報告していた。セアドが下を見た。
「安全基準は守らないと」
事故になりますよと呆れた。
「まだ復旧しませんか」
セアドに尋ねられて、ピエヴィにある詰所から戻った係員が有線箱も通じないと困り果てていた。
停電してから二十ミニツ経っていた。
「主任、バレーの中でも停電してるんでしょうか……」
係員たちが不安そうにピエヴィを見下ろした。セアドがそんなことはありえないと断じた。
「バレーの発電システムは何重にも安全対策が取られています。ひとつの発電所に不具合があっても別の発電所がありますから」
生命線から復旧するようになっているので、テェエルの施設は後回しなのでしょうけどと困った様子を見せた。
「対策マニュアルの対象外だから、しかたないですが、こちらも早く復旧してもらわないと」
底まで行き、作業抗に入れば、内部連絡できるはずと底まで行くことになった。
「底にバレーへの道があるんだな」
リンザーが緊張してきたのか、拳に力を込めた。
そのとき、ジェトゥが空を見上げ、リンザーも同時に目を向けた。
「……なん……だ……? これは……」
ふたりがぶるっと震えた。
「なにか、来る……?」
怖気がする。それも心底震えるというものだった。
「……ああっ!」
リンザーが頭を抱え、悲鳴を上げた。空を引き裂くような声に足元にいたマシンナートたちが見上げた。ジェトゥも目を見開き、冷汗を噴出していた。
「どうしたんですか!?」
ルキアスはふたりの様子がおかしい訳がわからず、見回していると、足元に寄ってきたマシンナートたちが鉄の筒を向けているのに気が付いた。
ジェトゥが恐ろしい気配を感じ取った。
これはきっと『大災厄』だ。
「……おしまい……なのか……これで……」
ジェトゥが塔から落ちかけたリンザーを抱え、空を見回した。
南方大島の南側ラグン港沖に停泊していた『空の船』では、ティセアとセレンが船尾甲板で干し肉を作る準備をしていた。鳥肉に太めの串で穴を開け、丁寧に塩を擦りこみ、香辛料を砕いてまぶし、四角い平皿に並べていた。
「塩で水が出るからそれをこまめに捨てないと」
干し肉の作り方は談話室の調理箋集に書かれていたので、それを書き写して作り始めたのだ。干し肉は出来上がりまでひとつきやそこらは掛かるが、保存食になるだけでなく、スープやシチューの出汁にできるので重宝するのだ。
セレンが楽しそうに香辛料をすり鉢で砕いていたので尋ねた。
「セレン、なにかいいことあったのか」
セレンが顔を赤くしてうなずいた。
「アートランに嫌われてなかったんです」
うれしかったとにっこり笑った。
「そうか、それはよかったな」
ティセアもイージェンに嫌われていないとわかってうれしかったと話し、ふたりでよかったと笑い合った。
ラトレルは木箱に入って、ときおり縁に掴まって立ったり座ったりしていた。その横にはリュールとウルスも木箱に入っていたが、喧嘩せずにおとなしくしていた。
急にラトレルが空を見上げた。
「あ、あぁうあ……」
そして、ひっくり返って火がついたように泣き出した。
「わぁぁあん、わあああんん!!」
ティセアが驚いて近付こうとしたとき、腹がぎゅううっと締まったようになって、激痛が走った。
「ああっ……ああっ!」
リュールやウルスも唸り声を上げだした。
「腹が……ああっ!」
ティセアが腹を押さえてうずくまってしまったので、セレンが驚いて、船首にいるルカナを呼びに行こうと走った。
「ルカナさん、ティセアさまが!」
だが、ルカナもぶるぶると震えながら座り込んでいた。
「なに、なんなの……これぇ……」
真っ赤な目で空を見上げた。
恐ろしいことが起きる気配。
素子たちはみなそれを感じ取り、部屋にいたものは窓から空を見上げ、あるいは飛び出して気配の元を探して空を見回した。赤ん坊も年寄りも、みな、迫り来る『大災厄』の予兆を感じて、恐れおののいた。